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第2部 性交の社会学 11.大胆な避妊 種の維持を目的としてだけ、性交が行われているのではない。 一部の宗教家がなんと言おうとも、むしろ、種への奉仕のためにする性交よ り、それ以外の目的でなされる性交のほうが圧倒的に多いだろう。 一生の間にする性交の回数と、そこから生まれてくる子供の数は、昔から、ほとんど関係がない。 数え切れないほどする性交の中で、それが妊娠に結びつくのは、せいぜい数回である。 次の世代を生むためには、性交が不可欠であった。 だから、性交がなされる理由を、種の維持に求めやすかった。 性交の本当の目的は、種の維持にあったのではない。 たかだか、数人の子供を手にいれるために、人間はかくも多くの性交をするのだろうか。 多くの動物は、メスが妊娠したら、もう性交はしない。 人間のする性交の目的は、妊娠にあるのではない。 人間のする性交の本当の目的は、男性と女性の間の親密さの確認とか、慰安や娯楽にあったのではないだろうか。 そして、妊娠は単にその結果に、すぎなかったのだろう。 だから、子供がいらなくなっても、また何才になっても、男性も女性も性交をやめないのだ。 背徳の行動には、非日常の臭いがする。 それゆえに、背徳のもとの性交には、ふつうの社会人が嫉妬を感じる何かがある。 そして、それは同時に、今の秩序に対する挑戦でもある。 だから、不倫や年少者の性交が、少しの事例しかなくても、それは極めて大きく扇情的に取り扱われる。 しかし、ラヴホテルがどんなに乱立しようとも、婚外の性交は、いまだ圧倒的な少数例である。 少数例であるからこそ、嫉妬されるのである。 日本の性交の大多数は、既婚者たちによって、家庭で日常的になされているのである。 新婚時代は、子供が生まれることを期待して性交する。 その結果、たくさんの子供が生まれ、にぎやかな家族になって、種は無事保存される。 しかし、子供がある人数をすぎると、それ以上は、親の負担が重くなってくる。 そして、新しく生まれる子供は、もはや歓迎されなくなってくる。 だから、 性交をしても、妊娠したくなかったのは、むしろ既婚者=ふつうの大人たちのほうだった。 ふつうの大人たちにこそ、避妊は切実だったのである。 男性も女性も、同じように性交に関わりながら、妊娠するのは女性だけである。 望まぬ妊娠は、女性にだけ極めて重い負担をおわせたのだ。 だから、男性から誘われても、妊娠とそれがもたらす結果を考えると、女性は既婚者と言えども、気楽に性交するわけには行かなかった。 そのために、女性は性交に対して、慎重にならざるをえなかった。 ましてや、女性に経済力のなかった時代、未婚で妊娠した女性は、ただちに自らの生活に困窮した。 今までは男性が性交の主導権をもっていたから、どんな避妊法も必然的に、男性の意志によらざるを得なかった。 ましてや、コンドームの場合、それを装着するのは男性性器である。 性交の主導権のない女性が、男性性器にコンドームをとりつけるのは、男性の指示もしくは命令がなければ、不可能であることは簡単に了解できる。 コンドームをつける意志のない男性に、性交の最中にタイミングよく、女性がそれをつけさせるのは至難の技である。 工業社会までの女性にとって避妊は、性交の時になって、はじめて考えることであった。 性交するかどうかも判らないのに、常に避妊していることは、常に性交を予期していることである。 それは男性の領域を犯すことだった。 常に避妊した体をもち、性交の主導権を握ろうとする女性は、色情狂のそしりを免れなかった。 もちろん、妊娠させても男性には何の責任もない売春婦は、淫らな存在そのものであった。 例外は、片時も性交せずにはいられない、盲目で情熱的な恋人たちだけだった。 工業社会までの性交は、男性から誘うものであった。 だから、必然的に避妊の役割も男性にあった。 避妊に失敗し、女性を妊娠させる と、男性は責任をとれと、当の女性からだけではなく、社会から要求された。 今まで、多くの女性にとっての避妊法とは、性交を拒否することしかなかった。 性交は両性が平等にかかわるものだから、男性からしか誘うことしかできないこと自体が不自然である。 台頭する女性は、人間性の全的な回復をめざした。 男性と同じ性交する自由の獲得も、同時にめざした。 そして、それを獲得した。 それと同時に女性も、避妊の役割を男性と同等に、引き受けざるをえなくなった。 その時、科学の進歩は、避妊するために、性交の時に特別な手続きをなくすことに、とうとう成功した。 ピルによって、性交と避妊が関係なくなった。 ピルによって女性は、常に避妊している体になった。 副作用が取りざたされながら、ピルは台頭する女性に大歓迎された。 ピル以前の避妊方法は、確実性に欠けるとか、自然な性感が損なわれるとかと言った理由で、台頭する女性に不人気だったのではない。 それらは、男性の意志にたよっていたのだ。 それに対して、ピルがはじめて、避妊を女性の意志のもとに置いたのだ。 だから、ピルは台頭する女性たちの、熱い支持をえたのである。 日本では、ピルの市販はさまざまな理由をつけて、引き延ばされた。 やっと市販が検討され始めたものの、副作用が少なくなった今日で も、いまだにピルは避妊の主流ではない。 同様に、子宮内装型のリングも、確実な避妊効果がありながら、ほとんど市民権を得てない。 成人した人間は、誰でも性交をすると判っていながら、日本の医者は避妊をまじめに考えない。 未婚の女性には、性交しないことが最良の避妊法だとすら、暗にほのめかすのである。 日本の男性たちは、性交の主導権を手放したくないために、安全で確実な避妊法の普及に力をいれない。 そしていつでも、男性の口からでてくる避妊法は、性交の相手が男性であるにも関わらず、不用意な性交をするなという説教だけである。 そして日本では、いまだに避妊の75パーセントに、コ ンドームが使われている。 男性の不確かな意志に頼ったばっかりに、避妊に失敗した女性は、人工妊娠中絶に頼らざるを得ない。 コンドームによる避妊が主流である限り、日本の女性たちは、犯される者としての性交しかいまだに望んでないのだ。 産む性でありながら、自分の体が妊娠するのでありながら、女性は受け身として体だけを性交に提供している。 日本の女性は、いまだに避妊に関して、男性にまかせきりで、自ら は無知でいられるのである。 そして、男性はいつでも女性に対して、勃起すると気楽に考えているのである。 |
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