「性差を越えて」−働く女と男のための栄養剤
by  匠 雅音  新泉社から1992年刊

目    次         
はじめに
第1部
 腕力支配の終焉
1.生きていくこと
2.職種別の男と女
3.男と女の違いから
4.家事労働
5.力の役割
6.技術と腕力
7.肉体の賛美
8.労働の結果
9.劣性の無化
10.自己保身
11.産む性
12.アメリカ
第2部
 性交の社会学
1.男性性の確立
2.誕生の契機
3.勃起の背景
4.呪術の世界
5.弱き強姦
6.犠牲の血縁
7.近代の家族
8.結婚と家族
9.哀しき主婦
10.自立への恐怖
11.大胆な避妊
12.肉体の優先
13.貨幣の絶対化
第3部
 自立する頭脳
1.内在する神
2.奥義書の言葉
3.美の構築
4.価値の忘却
5.我を忘れる
6.痛いという言葉
7.体験という想像
8.鋭利な言葉
9.等しい男性と女性   10.男根欠損
11.買春の解放
12.今の男性から
13.二人の神
 
第4部
 想像力が飛翔する
1.敏感な部分
2.方法論の欠如
3.土着の稲作
4.墓と戸籍
5.内外を結ぶ
6.試行錯誤
7.事実と願望
8.若さの凋落
9.日本の女性たちへ
10.新しい価値

あとがき  

第1部    腕力支配の終焉

1.生きていくこと
 今日のように、物があふれかえっていると、食べ物はいとも容易に手に入る。
そのため、生きていく=自らの生命を維持していくことは、たやすいことのように感じる。
しかし、人間の歴史を振り返ってみると、餓死者がでていた時代の方が、はるかに長かった。
太平洋戦争の前には、いつの時代でも、ほんの少しの日照りや冷夏が続くと、確実に誰かが飢え死んだ。
江戸時代は天明の飢饉の時(1780年頃)には、津軽藩の人口23万人のうち、8万人が餓死した。
この時は、生きている人間を殺して食べた、という記録がある。
たった50年ほど前には、冷害で不作が続くと、東北地方の農村から、少女が身売りされた。


 かつての多くの日本人は、食料がなくて太れなかった。
いつも空腹だった。
腹いっぱいに食べることが、庶民の夢だった。
昔は、太っていることは、金持ちの証ですらあった。
その金持ちですら、今からみれば、実に質素な食生活であった。
ご飯に味噌汁、そして、野菜の煮物でもあれば、充分な献立だった。
今日のような潤沢な献立は、夢の世界のことだった。
すべての日本人が、食生活に不自由しなくなったのは、きわめて最近、ほんのここ2・30年のことである。


 日本から離れてみれば、地球上では、今日でも餓死者が絶えない。
飢餓線上をさまよっている地域で、干ばつがおきると、まず生活力のない乳幼児が死ぬ。
次に、生命力の衰えた老人が餓死する。
そして、体力のない順番に死んでいく。
そこに住み続ける忍耐の限界を越えたとき、部落民全員が村を捨てて、放浪の旅にでる。
その部落は地球上から、永遠になくなってしまう。


 餓死の発生を、流通の不備によるものと、断定してはいけない。
何故なら、とにかくそこには、食料がないのだから。
富の偏在や、流通の不備によって、食料が不足しているだけで、地球全体では今の人口を養っていけるというのは、生きている人間を見てない論である。
食料不足を、流通の問題として、かたずけるのではない。
その環境に置かれ、そこに生きざるを得ない当人の問題として、考えるのだ。
すると、世界は、生きている人間によって、構成されていることに気付くであろう。


 日本人の子供全員が学校に通うようになったのは、義務教育の始まった1886年(もしくは1900年)からである。
この時でも、貧乏な家庭は、まだ修学を免除されたりしていた。
まがりなりにも、日本の子供全員が学校に通うようになるのは、明治も末になってからである。
それまでは、小さな子供も重要な労働力として、子供なりの仕事が割り当てられていた。
太平洋戦争以前には、家の仕事の手伝いが、子供に割り当てられていた。


 主婦といったら、朝から晩まで、際限のない仕事に追いまくられていた。
もちろん、年寄りといえども例外ではない。
年寄りには、年寄りの仕事があった。
つい最近のことを考えてみても、家族の全員が働いていたことに、思いいたる。
多くの老人が、昼間からゲートボールに打ち興じる姿は、昭和50年頃には想像もできなかった。
ふつうの主婦のテニスなどは、社会が豊かになった、つい最近になって、出来るようになったのである。


 私たちは、今という時代に生きているため、今を生きるのに必死である。
だから、ほんの2・30年前のことでも、簡単に忘れてしまう。
そして、自分の体験から踏みだして、未知の世界を想像することは、なかなか出来ない。
豊かな日本に生活していると、食べる物はあって当たり前としか思えない。
どこからか自然と湧き出している、とすら錯覚する。
しかし、日本がこうなるまでには、大変な苦労があったのである。
そして、これを維持するためには、時として他の国に擬制を強いることすらなくはないのだ。


 今の日本は、ほんとうに豊かである。
しかしいまだに、飢餓線上をさまよっている人々は、地球上にたくさんいる。
第三世界の学校にいかない子供達は、自分のため家族のため、今この瞬間にも働いている。
今まではとにかく、生きていくことそれ自体が、厳しいことだったのである。
社会福祉もない、健康保険もない、失業保険もない、とにかく頼れるのは、自分の体だけだった。
そうした厳しいなかで、いかに人間が生き延びてきたか、素直に検証していこう。

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