第1部 腕力支配の終焉
4.家事労働
職業は社会の姿を反映して、多彩な形をとってきた。
職業には、今や男性も就いているし、女性も就いている。
今までの社会は、
@ 職業としての労働だけをする人間 |
A 職業プラス家事労働をする人間 |
B 家事労働専門の人間 |
の三種類が存在していた。
@は、もちろん男性である。最近では女性も、少数ながら出現してきた。
AとBは女性である。ただし、女性の台頭の影響で、Aには男性も、散見されるようになった。
こうして整理してみると、職業と家事労働は両立することが、理解されるはずである。
しかし、何故、家庭内外分業論がこれほど世の中に、蔓延してい るのだろうか。
それは、逆説的に言うと、職業には男性でなければできない、もしくは、男性の方がきわめて有利な条件があったためと考えられる。
そして、家 事労働の方にも、それ特有の事情があったのである。
職業は、時代とともに、特殊化し、専門化していく。
専門化することが、その仕事の質を上げさえする。
それにたいして、家事労働は、料理、洗濯、掃 除、育児などなど、様々なものを含んでいる。
そして、時代が変わっても、仕事の内容はそれほど変わらない。
昔から、家事労働は多様だった。
多様な、家事労働のなかでも、洗濯は重労働であった。
かつては、洗濯といっても洗濯機はなくて、手洗いであったから、洗濯は肉体労働ではあった。
しかし、農業と同じよ うに、家事労働は、その対象を細かくできる。
つまり、非力な人は、非力なりの労働が可能である。
例えば、非力な人は、少しづつ長い時間をかけて、洗濯すれ ば良いのである。
家事労働には、生活の便宜さを支える、さまざまな仕事が含まれるが、実際のところ、家事労働に本当の腕力が必要かというと、むしろ肉体労働と言い
切るには、軽い作業である。
とりわけ病弱な人でもない限り、大概の家事労働は可能である。
家事労働、それは寳の河原の石づみのように、際限のない仕事である。
とりわけ、手の仕事が生活を支えていた、つい2・30年前までは、膨大な量の家事労働があった。
なにしろ、既製服やインスタント食品が売られていなかったのである。
贅沢になれてしまった、今日の日本の生活からは想像もできないが、家事労働はつましく、如何に出費を抑えるかという、生活のコーディネートなのであった。
与えられた給与=決められた収入の中で、如何に上手にやりくりするかが、家事労働の要である。
家事労働が、職業としての労働と、決定的に異なるのは、それが生産をめざしていたのではなく、主として、消費する方向にあったことである。
この消費指向という特性が、家事労働は計量されない、という結果をうみだすのである。
通常の職業的労働は、質が高いほど、量が多いほど報酬の量は多い。
それは、どんな種類の労働であろうと、職業である限りは、そうである。
しかし、 それが一度、家庭内でなされると、計量できる形で報酬がでてこない。
家族の着る物を洗濯しても無料であるが、クリーニング屋にだすと有料である。
計量さ れない家事労働は、従事する人間に自己の存在証明を実感させない。
存在証明なしでは、人間は生きていけないから、家事労働従事者にたいして、人為的な存在証明の回路を、その時その時の社会がつくってきた。
それがなんだったかは、先へいって述べることにする。
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