「性差を越えて」−働く女と男のための栄養剤
by  匠 雅音    新泉社から1992年刊
故 永山 カノ氏にささげる

 1982年、「性差を越えて」のさわりを、花泥棒という雑誌に書いた。そのときは、少数の例外をのぞいて反応がなかった。いつの時代にも元気のいい女性はいる、と言うだけだった。男性には自分が女性を差別している、という自覚はなかった。ましてや、男性の存在自体が女性を差別している、という認識はまったくなかった。

 私たちは、人間社会に生起している事象の、根元的な原因を考える必要性が希薄だった。女性の台頭についても、しかりである。女性の台頭という事実は認めたうえで、男女で平和に暮らすには、と考えるのである。変化の根本的な原因を考えるのではない。

 女性の台頭した理由が判れば、自ずと理解の道筋が見える、と考えた。なぜ今、女性が台頭してきたのか、その理由を考えてきた。それが、肉体労働から頭脳労働へだった。それに気づいた時は、なんと景色が眩しかったことか。それと同時に、女性の台頭が必然だと言ったとき、状況は恐ろしいことになるのも判ってしまったのである。

はじめに

 ヒトが人間になってから、人類の長い長い歴史を、率直に認めることから、この話を始めよう。
それは、どんなにひいき目にみても、男性が女性に対し て、威張っていた。
しかも、男性も女性も共に、男性が優れていると考えていたのが、人類の歴史である。
それが証拠には、上座に座るのは、いつも男性だった し、女性は男性にいつも一歩下がって立っていた。
男勝りという女性がいても、やはり女性は男性にくらべれば、弱い存在だった。


 人間が、猿から分かれてから今日まで、常に男性が優位に立っていた。
日本での神話のはじまりが、天照大御神という女性であっても、現実の世の中で は、男性が威張っていた。
最近の人類学の研究によると、地球上のどんな社会であっても、女性が劣位に置かれていると、報告されている。

 今日、生活している私達の経験にてらして考えても、弱い存在である女性は、多くの場面で男性に道を譲らざるをえなかったことは、簡単に納得でき る。
決して男性と女性は、平等ではなかった。
職場でも、家庭でも、どこでもまず男性だった。
外では男性が威張っているけれど、家庭では女性が財布を握って いて、女性が主導権を持っていたというのは詭弁である。

 男性が女性から小使いをもらったとしても、家計を成り立たせる収入は、男性が稼いでくる。
女性は、家事を切り回し、子供を育て、家計をやりくり し、その上、へそくりを作っていたとしても、最終決定権は男性が持っていた。
部分的な所で、女性が力を持っているからといって、男性社会ではなかったとい うのは嘘である。


 男性は女性を養ってきた。
女性は男性に養われてきた。
男性が一等、女性が二等であった。
女性だって働いてきた。
女性には、子を生むという、何もに も代えがたい能力があるにも関わらず、女性は二等であった。
どんな社会でも、いつの時代でも、女性は男性に対して、普遍的に劣等と見なされてきた。
この事実を認めることから、この話は始まる。


 そして今や、女性は強くなった。
女性は、男性と対等になろうとしている。
今まで言われた女性らしさは、男性が作ったものであり、女性の本質ではな い。
女性は優れている。
女性は美しい。
女性よ自信を持て。
男性が悲鳴をあげ、女性の本質を真に理解するまで、女性はいままでの劣位から、より対等になろう としつづけるであろう。
これがもう一つの事実である。


 劣位にいた女性が、なぜ今、強くなってきたのだろうか。
ふたつの事実のあいだをつなぐ論理が、見えなかった。
そのために、現状はこうだとしか、言いようがなかった。
しかし、突然変異的に、女性の時代が到来してきたわけではない。
ここには、はっきりとした理由がある。

 国の内外で、女性の台頭について、多くの著作が刊行されている。
しかし、その多くは、表層的で、対処的である。
女性が台頭している現象を、語って いるに過ぎない。
男性は女性上位時代に、如何に生きるべきかの処世術を語り、女性は現代社会に、如何に巧く参入するかの処方箋を語るだけである。
そして、 男性はこっそりと過去をなつかしみ、女性は来る時代に、どうどうと甘い期待を寄せる。


 女性の時代の到来は、世界の趨勢だとか、時代の必然的な流れだとか、しばしば語られる。
時として、本当は女性の方が男性より優れている、とすら言 う人もいる。
しかし、なぜ、今というこの時代に、女性が台頭してきたのか、それは誰も語らない。
男性と女性の違いも研究されてきた。
女性の職場進出も盛ん になってきた。
しかし、それらはすべて現象面の説明に過ぎない。
女性の台頭の根本的な理由には、誰も言及しない。


 人類の歴史が始まって以来、女性がこんなに自由に行動できることは、今までなかった。
何万年の人類の歴史の中で、これだけ女性が強くなったのは、始めてのことである。
かって青鞜の女性たちが、男女平等論を唱えた時代とは、まったく事情が違っているのである。


 私たちは、前の時代は暗かったと、つい考えてしまう。
戦前は軍人が威張っていて、庶民は小さくなって生活せざるを得なかったとか、下積み時代は兄弟子に無理ばかり言われたという。
しかし、昔は暗い時代で、楽しいことは、何もなかったというのは、現状を肯定するための、現在からみた過去や歴史の読み 直しにすぎない。


 前の時代は暗かったと考えることは、歴史という事実の解読に、今がいい時代である、もしくはあって欲しい、という願望を無意識のうちに混入しているのだ。
いつの時代も、どんな社会でも、人間は、男性も女性もともに、笑い、怒り、泣いたりしながら、生活しているのである。

 宗教、民族、階級その他あらゆる抗争が、すべて白日の元にさらされた後、最後の抗争が始まった。
男性と女性の違いにもとずく差別に、今はじめて歴史のメスが入れられようとしている。
人類の長い歴史を、素直に見直すなかで、なぜ、今という時代に女性が台頭してきたのか。
それを検討してみよう。そして、女性の台頭は、何を物語っているのかを、読みとっていこう。

 本書のもとになった文章は1980年代に書いた。
30年以上も経過したので、現在では事実と少し異なっている部分(たとえば、アメリカの経済情勢など)もあるが、本論の趣旨には影響ないので、そのままにしてある。


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