|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
第1部 腕力支配の終焉 7.肉体の賛美 地上に誕生したばかりの人間は、採集や狩猟によって生活をしていたのであろう。 それが、いつの時代からか、農耕を始めたりして、貧富の差が発生してきた。 時代が下って、社会が複雑化してくると、知恵の重要度が増してくる。 以前にはなかった、企画という仕事の重要性が認識されてくる。 複雑な社会では、企画が先行しなくては、どんな仕事も着手のしようがない。 たとえば、肉体労働の典型である土木の仕事にあっても、企画という知恵=頭脳労働が、何にもまして先行してくる。 企画が実施される段になって、肉体労働を担当する土工だけが、どんなに大勢いても仕事は少しも進まない。 土工たちが、いきなり土を掘り始めても、それが水路となることは決してない。 まず、測量そして設計が必要である。 長い距離にわたって水を流すためには、工事に着手する前にも、膨大な頭脳労働が不可欠である。 施工にあっても、仮設工事、掘削工事、石積み工事……さまざまな工事を調整する人間がいないと、工事はまとまらない。 つまり、現場監督が不可欠である。 現場監督は調整役なのであって、肉体労働者ではない。 彼に必要なのは、知恵である。 建設機械がなかった時代、労働はすべて人力によった。 大規模な工事になると、土工だけでも何百人となる。 何百人の土工が現場に殺到すると、大混乱になること必定である。 そこで、土工のまとめ役=世話焼きが必要になって来る。 世話焼きは肉体労働をしない。 だから、非力でよい。 周知のとおり、知恵の担当者である企画者や現場監督の方が、土工より収入は多い。 その意味では、頭脳労働のほうが格が上だった。 力の担当者より も、知恵の担当者のほうが優位だった。 にもかかわらず、なぜ、力=肉体労働の賛美が続いてきたのか。 その理由はたった一つ、男性の圧倒的多数が土工だった からだ。 そして、土工がいなければ、どんな企画も絶対に実現しないからである。 土工の存在を肯定し勇気つける価値意識が、その社会を支配してないと、土工たちは自分の仕事が継続できない。 世の中の99%の男性が土工であっ た時代には、土工=肉体労働が支配的な価値でなければ、社会が維持できなかった。 土工たちの存在を肯定し、勇気づける価値意識がその社会にないと、土工た ちは自分たちの仕事が継続できない。 土工たちより高給をとっている、企画者や現場監督をも貫いて、世の中の男性たち全員が共有する価値、それが力の賛美で あったのだ。 知恵を使って巨額の富を稼いだり、知恵を使って政治的な権力を握った者であっても、力強いことに優位の価値をおいていた。 むしろそうした人間個人 は、決して肉体的な強者でないにも関わらず、男性たちは誰でも力強いことは素晴らしいことだと、吹聴してきた。 すべての価値が、肉体的な腕力の上に築か れていたから、社会的な成功者が力強いことを否定することは、みずからの否定につながった。 それ故に、ひ弱な成功者であっても、力よりも知恵を上位価値とすることは、あり得なかった。 男性社会の中で、肉体的な力こそ、男性の証であり、力こそ男性の属性であると、男性たちが考えていれば、それは同時に女性たちの価値観として も、自動的に横滑りした。 女性たちも同様に力強い男性が、男性の中の男性であり、素晴らしい男性だ、と考えていた。 その社会が優秀だと認める男性を伴侶とすることが、女性の利益でもあるからだ。 今まで男性は、力強い男性としての存在に、確固たる自信をもっていた。 男性は、労働をとおして自然に働きかける手ごたえを実感して、男性の世界を築いてきた。 力強い筋肉の動き、飛び散る汗、豊かな収穫、力あふれる労働の喜び、これらはすべて男性のものである。 体を使って働くことは、無条件に素晴ら しいことであり、労働の成果と、男性の存在証明は、ぴったりと一致していた。 |
||||||||
|