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第1部 腕力支配の終焉 6.技術と腕力 労働の成果は、量と質の積で計量される。 質は、熟達した技術が保証するが、量を生み出すのは、腕力であり、体力つまり力である。 単純労働であれば あるほど、腕力の大小によって、労働の成果には多寡がでる。 技術と同時に腕力が、能率の差を生み出したのだ。 労働の報酬は、その成果に対して支払われる。 技術と腕力の積が、賃金の額を決めるのだ。 だから、技術が同じなら、腕力の勝るほうが、高賃金を取るのは、あたり前である。 腕力は技術と共に、高賃金を保証 する両輪の一方だった。 腕力に劣るものは、男性とか女性とかを問わず、人間として低い労働力だったのである。 いままで、技術=技について語られることは多くあったが、 力については、ほとんど語られなかった。 それは、力が善なることは、自明のことだったからだ。 技術は語ることによって改良される。 語り継がれることによっ て、技術は広められ、伝えられる。 そして、技術の向上は、収穫量の増大となる。 しかし、力は語っても、伝わらないし、向上もしないのだ。 だから、男性たち は、あえて力について、語らなかったのである。 ところで、技術はどのようにして、体得されるのだろうか。 技術的労働の典型である、職人仕事を例に考えてみよう。 職人技という言葉が、ことさら技 術の面ばかりを強調する傾向がある。 しかし、どんな職人仕事であっても、腕力を必要としないものはない。 技術は、腕力によって修得されるといっても、過言ではない。 技術修得にむけた、腕力の繰り返しの行使が、肉体に技術をすりこむのである。 道具を使いこなすには、肉体の鍛錬が不可欠なのだ。 換言すれば、肉体が技術を修得するには、無駄と思える力を、何度も何度も振り絞ることが不可欠である。 その繰り返しが、安定した体の構えを作り、職人としての腰のは いった姿を作るのである。 今日では、名人というと、老職人ばかりを連想させる。 しかし、技の盛りは、気力体力の充実した40才台である。 名人と呼ばれる老職人といえども、 老いて体力が衰えてから、優れた技を身につけたのではない。 老職人は、若く体力も充実していた時にこそ、技術を修得したのだ。 今までの社会では、すべての 根底には、力が横たわっていたのである。 技術と言おうとも、知恵と言おうとも、それらは力=腕力によって支えられていた。 力=腕力がないところには、知恵も技術もなにも開花しない。 それゆえ、とりわけ生産力の低かった時代には、腕力に秀でた人間を大切にすることが、より多くの糧を入手する方法だった。 生産のための労働力を、よりたくさん持っている人間は、無条件に大切にされた。 今を生き延びていくために、人間という種が、より生産性の優れた人間を、一級の人間だと積極的に認めたのである。 そうしなければ、今の自分たち自身が生きていけなかった。 とりわけ生産力の低い時代、技術が未発達だった時代には、力の占める割合は今よりもずっと大きかった。 だから、腕力に優れた人間を大切にすることが、人間社会を維持していくために不可欠であった。 男性とか女性を問わず、とにかく腕力に優れた人間を、社会が大切にしたのだ。 そして、腕力に優れた人間は、多くの場合は男性だった。 その結果として、男性が優位にいたのである。 現代でも、アフリカで焼畑農業をやっている人々は、通常の耕作は男女の共同作業としながら、開墾ははっきりと男性の仕事である。 通常の耕作には、それほど大きな力は不要でる。 しかし、開墾はきわめて大きな腕力を必要とするため、女性には担当できない。 畑が開墾されなければ、耕作は始まらないのだ。 腕力において劣った女性は、男性に労働の主力を担わせ、自らは二流の人間の位置に甘んじたのである。 そうすることで、人間社会全体の生産力を高めることが出来た。 腕力に劣った女性が、自らを男性と同じところに位置づけていたら、社会総体の生産力が落ちて、女性たちの生活はより厳しかっただろう。 男性が外(=社会)にでて働き、女性が内(=家庭)で働くのが自然だ、という家庭内外分業論は、今まで一面の真理をもっていた。 体の構造がそれを 支持していたのだ。 頑健な男性は、大きな力を必要とする肉体労働に向いていたし、非力な女性は力の不用な仕事に向いていた。 外での仕事の多くが肉体労働だった。 それに男性が対応し、家庭内の労働は、あまり力のいらない労働だったが故に、女性が担ったのである。 結果として、力のある男性が外で、力のない女性が内でと、分業するようになったにすぎない。 家事が女性にしか、できない労働だったわけではない。 ましてや、外では女性が働けなかったわけでは決してない。 外で働く女性が、たくさんいたことが、それを証明している。 早乙女や海女、これらは外労働である。 腕力が、労働の主な支えである時代、腕力の多寡に応じて、労働の分担が決まった。 ここで は、決して女性=家事、男性=外仕事という性に固有の問題としてあったわけではない。 家庭内外分業論は、生産力の低い社会で生きるための、単純に腕力の問 題だったのである。 |
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