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第2部 性交の社会学 5.弱き強姦 どんな種も、生殖の相手を選ぶ権限はメスにある。 つねに最強のオスを選ぶことが、メス自身の利益であり、しかも、誕生してくる次世代 の利益でもある。 柔弱な男性を選ぶことは、自分の子供が、より柔弱になるように選択していることだった。 幸か不幸か、今までそうした選択はなされてこなかった。 生命力にあふれた頑健な男性を、昔の女性が選び続けてきたために、人類はいままで生き延びてこれたのである。 すべての人間が、異なった能力、才能、性格などをもっている。 社会のなかで、より良いとされるものに近くなろうと、男性は種に強制さ れてきた。 無数の精子が、たった一つの卵を目がけて競争するように、男性は生まれ落ちてから、常に競争の緊張下に置かれてきた。 男性性の確立は男性に強されてきたが、その確立は、それぞれの男性によって、より強かったり、より弱かったりした。 その程度は、本当にばらつきがあった。 男性性の確立を、非常に強く求められる時、すべての男性が、その期待に応えられるものではない。 好運にも、より強く男性性が確立できた男性は、その社会にうまく適応していくことだろう。 しかし、確立に失敗した男性は、うまく社会には適応できない。 肉体労働社会の男性性は、力=腕力が象徴した。 だから、男性性の確立に失敗した男性は、常に自分は強い、という自己催眠をかけていないと、自己が維持できない。 男性性が強調されればされるほ ど、強いポーズを維持しなければならない。 男性同士で、強いことが確認できれば、男性性は満足させられる。 自他共に優れた男性であると認められた人間は、社会の上層に押し出さ れ、安定した人格をつくる。 しかし、弱い男性性しか持てなかった男性は、より弱いものに対して、自己を検証せざるをえない。 そうして、精神のバランスを快復する。 男性は男性社会の価値観を背負って女性に対する。 だから、どんなにさえない男性であっても、その男性の意識の中では、男性の存在自体が女性を陵駕している。 弱き男性性は、男性社会が保証する二級の生き物に向かって、自己存在を確かめようとする。 勃起を強制された弱き男性性は、女性を見たら欲情しなければならないという、もう一つの義務を果たすことによって、自己の男性性を確認しようとする。 弱き男性性は、より弱き性に向かって、高圧的な態度に終始する。 より弱き性=女性の意志を無視する、もしくは逆らって自己の意志を貫徹することが、より強い自己の確認となる。 強姦というと、全く見ず知らずの女性を、男性が突然襲う形を想像するかも知れない。 しかし、こうした形の強姦は、必ずしも多くはない。 いくら助平な男性でも、強姦をすれば、その結果、自分がどうなるかは、簡単に想像がつく。 むしろ、すでに顔見知りの男性と女性の間での、強姦の方が多い。 けだし、女性にその男性の弱き男性性を刺激されたとき、男性は男性性の証明として、女性を強姦してしまうのだから。 男性性を、うまく確立できた男性は強姦をしない。 男性性をうまく確立できれば、女性は彼の方を向くし、彼に気に入られるように行動する。 女性が彼を選ぶ。 男性性を上手く確立できた男性には、ハゲでもチビでも、たとえ高齢になっても、女性がよってくる。 種が女性に、彼を選べと命令するのだ。 力=腕力は、生産の場で使われるときは有用である。 それこそが、今までの社会を支えてきた。 しかし、同時に男性たちには、緊張を強 いてきたのだ。 男性は一級、女性は二級という分け方自体が、強姦を必然的に内包しているのである。 強姦は、男性性の確立に失敗した弱き男性の、より弱き性に対する力=暴力の発揮である。 強姦は、性欲とは何の関係もない。 なぜなら、性欲が勃起させるのではなく、社会的な価値観=男性の二重優越性が、勃起させ、そして性交させるのだから。 強姦は、性欲による犯罪ではなく、単に暴力の行使という犯罪である。 |
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