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第2部 性交の社会学 2.誕生の契機 ヒトは社会に参入し、社会によって教育される。 そして、男性や女性という人間になる。 しかし、社会はヒトを生むことは出来ない。 ヒト は、男性と女性の肉体以外からは、作り出すことは出来ない。 しかも、ヒトの子をつくるためには、男性と女性の性交という儀式が不可欠である。 ヒトには発情期がないから、本能=性欲だけでは、性交にいたらない。 男性は男性の、女性は女性の、社会的な価値観によって性交に臨む。 性交は生理的な行為ではなく、 きわめて意識的な行為である。 <産む性>では、女性の意志は無視しても子は誕生すると述べたが、ヒトという種からみると男性の意志も問わない。 種の保存には、精神や意識の介在する余地は絶無である。 女性の体内において、健康な卵と精子の結合さえ確保できれば、次世代の誕生に結びつく。 だから、強姦(=女性の意志の 無視)であろうと、人工授精(=男性の意志の無視)であろうと、とにかく女性の体内で、授精卵が確保されさえすれば、何パーセントかの確率で子は生まれるのである。 性欲が、議論されているわけではない。 性欲の社会的な発現形式が、問われているだけである。 性交と性欲は双子の兄弟であっても、性交と性欲のあいだには遠い距離がある。 性欲が自動的に、性交をさせるわけではない。 性交のやり方を教えられなかった人間は、性欲があっても性交ができない。 たいていの性交が、秘められてなされるため、社会は性交を否定しているように錯覚する。 しかし、社会が本当に性交を否定していたら、男性は性交のたび に、社会的な禁止と戦わなければ性交ができない。 食欲は、生き物のもっとも基本的な欲求である。 基本的な欲求であっても、それを無条件で満たすことは許されてはいない。 食欲の満たし方には、社会的な規制がかかっている。 どんなに空腹であっても、盗んで食うことは許されてない。 それと同じように、性欲の満たし方には、社会的な規制がかかっている。 しかし、社会的な規制を満たした上では、性交は奨励されている。 なぜなら、社会的な規制を満たした上で、性交ができないと種が滅ぶから。 性交できない男性は、生めない女性が、女性でないかのように見られたのと同様に、男性とはみなされなかった。 食欲を満たすのは一人で完結できるから、食欲に対する社会的な規制は比較的に緩かった。 同じ理由で、睡眠欲を満たすのも、社会的な 規制は緩い。 しかし、性欲の表現である性交は、相手を必要とする。 しかも、男性優位社会の男性にとって、相手は劣者であるはずの女性である。 劣者である女性が不可欠だから、性交には複雑なしかも、強い規制がかけてあったのだ。 今女性が台頭し、女性の劣性が弱まってくると、つまり、女性が劣者ではなくなるにつれ、性交にたいする規制は、だんだんと緩んできた。 婚前交渉や、不倫がひろまった背景には、女性の台頭があるのだ。 男性と女性が、親密な関係を保つだけなら、必ずしも性交を伴う必要はないかも知れない。 しかし、種としてのヒトの次世代を考慮のうちとするとき、性交のない男性と女性の関係はない。 そこで、性交を成立させる、男性と女性の条件を、検討してみよう。 男性が性交に臨むとき、たとえ射精欲を満たすことが、第一の目的であったとしても、平常時と異なって性器を勃起させなければならない。 ところが、勃起 は自動的におきるときもあるが、必ずしもそうとは限らない。 勃起は、男性性器に血液が流れ込むだけのことだが、この指令が意識と生理の境目にある。 そのため、肉体的には何の不具合がなくても、時として勃起しないことがある。 勃起は性交の絶対必要条件である。 男性が勃起しないと、性交自体が成り立たない。 男性は何も考えずに、ただ性欲のおもむくままに、女性の体に接するのではない。 同様に、女性も何らかの意識をもって、性交にのぞんでいたはずである。 しかし、男性優位の社会では、夫婦のように継続的な性関係にある男女間では、強姦はありえないと考えられていた。 だから、女性は不本意な性交にも、応じざるを得なかった。 性欲に支えられつつも、性交にいたる社会的な約束ごとが、両性の行動を規制してきた。 それが、生き物としてのヒトとして だけではない、人間の人間たる所以だった。 |
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