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第1部 腕力支配の終焉 5.力の役割 原始時代の男性達が、狩猟に出かけたとする。 大型動物に正面から向かえば、窮地に陥った獲物が反撃に出た場合、非力な人間は殺されたり、大怪我をすることになってしまう。 医療の発達していなかった大昔、怪我は即、人命に係わることであったろう。 そんなリスクを犯して、毎日の食料を入手するとした ら、人間はとうに滅びていただろう。 鉄砲などがなかった時代の狩猟は、獲物を罠に追い込んだり、仕掛にかけたりする以外には、あり得なかったはずである。 むしろ、人間の人間たる由縁は、知恵=頭脳を使っての狩猟にあった。 食料の獲得が、まず狩猟だと考えるよりも、身近にある貝や魚などの採取が、日常の外仕事と考えるほうが自然である。 そこで必要なのは、貝や魚の習性や、採取方法にかんするノウハウである。 また、動物を取るとしても、兎や鳥などの小型動物に、罠を仕掛けて取るというような、人間独特の知恵を使った方法であったはずである。 動物タンパク質を手にいれる方法を、いつまでも偶然に任せておくほど、人間は知恵がなかったわけではない。 野生の動物を、家畜化する方法をたちまち身につけた。 <穀つぶし>という言葉が生きていた頃は、すべての生き物が、役割をもって生かされていた。 子供も老人も、皆それぞれに働いていたように、動物たちだって例外ではなかった。 鶏は卵を産むから、農家ではない普通の家でも、飼われていたのだ。 だから、卵を産まなくなった鶏は、あっという間に絞め殺されて、飼い主に食べられてしまった。 鶏に穀をつぶさせるわけには、いかなかったのである。 食料の入手は、動物タンパク質だけに限ったことではない。 多くの民族を調べてみても、必要カロリーの70〜80パーセントは、植物性のものから得ているという。 もちろんのこと、農耕民族と言われる日本人には、植物のほうが身近であった。 ここでも最初は、野原に自生していた植物を、とって食べていただろう。 それがだんだんと、耕作という方向に進んできただろう。 外仕事というと、狩猟を思い浮かべるかもしれないが、日常としての外仕事は、まずなによりも農作業である。 農作業は、労働対象に対して、人間のほ うが働き方を調節することが可能である。 しかも農作業は、経験によって、予定がたてられる。 人間のほうで、状況を予測し、調節できる種類の労働では、腕力がそれほど重要ではない。 腕力に劣る労働者は、対象を小さくして、少しづつ消化すればいい。 もちろん、能率は悪いが、充分に労働者たりうる。 人間は知恵を持っていたから、長い年月をかけて工夫に工夫を重ねて、生産力をあげてきた。 知恵と力が生産力を支えてきたが、力が果たしてきた役割を、見 逃すわけにはいかない。 知恵が、長い時間をかけて、形成されてくるノウハウの結晶だとすれば、力は毎日を生きるための、根底を支える原動力だった。 食料や生活必需品の入手において、力が不要ということはない。 力=腕力は、人間が自然に働きかけて、成果を得るときに、いちばん最初に使われる、もっとも基礎的なものである。 人間だけが知恵をもっているから、つい 知恵こそ大切だと考えがちである。 しかし、知恵より前にすべての動物が持っており、それなしでは知恵すら実現できないもの、それは力である。 力を下敷きに しない、いかなる行動もない。 |
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