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第2部 性交の社会学 9.哀しき主婦 狩猟採集社会が人間の始まりだとしたら、そこでは女性も、充分に労働力として計算できた。 貯蔵という概念をもたない社会でも、女性は 採取という形で、食料獲得の重要な役割を担っている。 妊娠出産期をのぞけば、女性も一人前の労働力であった。 いやむしろ、女性は前述のとおり、外仕事も家 事労働も担当したのが昔の社会だった。 腕力に劣るが故に、二級の労働力であったが、労働力であることには、何の変わりもなかった。 近代にはいって、機械が登場してきたので、社会的な生産力は全体として向上してきた。 その結果、男性だけが直接的な生産に従事するだけで、生活が可能になってきた。 機械による生産は、機械に従事する労働者を必要とした。 近代への移行は、女工哀史などでみるとおり、牧歌的になされたのではないことも、これまた周知のことである。 しかし、労働者の境遇が一時的に、より悲惨な状況になったとしても、社会における生産力の総体は確実に向上した。 工業社会までの近代は、対としての男性と女性が、社会的な労働に参加している手ごたえを持たせるべく、さまざまな仕掛を用意してきた。 家事労働といえども、男性の社会的な労働を支える立派な仕事だ。 家事労働も、不可欠の労働だ、といってきた。 しかし、もちろん実体はそんなことはない。 女性は外仕事も担ったが、男性は家事仕事をしてこなかったことが、それを証明している。 男性と女性の対を、労働単位とみなす近代社会は、主婦のシャドーワークにも手厚い保護を与えて、その社会を維持してきた。 内妻の功、 良妻賢母、配偶者控除、すべてそうである。 それは、富国強兵下で、男性性が極限まで追求されたことの裏返しであった。 いまでも、嫡出子は非嫡出子より も、二倍も多く相続できるという日本の差別に、女性たちは誰も反旗を掲げない。 嫡出子の保護は、人間の平等に対する挑戦である。 それは、女性の保護ではな く、主婦の座の保護である。 女性を二級と認めてきたのは、男性ばかりではない。 女性もそれを認めてきた。 私生児を生んだ女性は、男性だけからだけではなく、女性からも強く差別された。 男性社会で、力が正の価値である間は、かろうじて主婦も存続しえた。 しかし、男性社会で労働が肉体的な力によらないことが、明瞭になった分だけ、女性にとって家事労働は価値でなくなった。 男性社会で正の価値列に並ぶ者は、男性であろうと女性であろうと、女性の台頭を理解できない。 自己を肯定できずに、生活し続けることはできないから、存在証明のないヒトは生存できない。 労働の質の変化はとどまるはずはないから、女性の家事労働からの逃亡は、全社会的な潮流にならざるを得ない。 今はまだ、子育てが女性を家庭にとどめている。 しかし、子を生むのは女性であっても、ヒトを育てるのは社会だから、早晩、子育ては女性を、家庭にとどめておく契機にはならくなる。 女性の家庭からの放浪は、不可避である。 ここで、対としての男性と女性を労働単位とする、近代社会の家庭は崩壊した。 |
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