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第1部 腕力支配の終焉 8.労働の結果 頑健な肉体によって担われてきた労働は、時代が下るに従って生産力をあげてきた。 男性たちはもっと生産力をあげたかった。 この男性の欲求には限 りがなかった。 男性たちはそのために、道具に代わって機械をつくり始めた。 初期の機械はよく故障したし、男性たちの仕事に、太刀打ちする能力をもってい なかった。 しかも、その機械を取り扱うのに、また大きな腕力が必要な代物だった。 ところが、機械はだんだん賢くなって、いつの間にか、男性たちの何倍もの 仕事をするようになってきた。 ダイナミックに動く機械。 油にまみれた機械。 高熱を発し、騒音を発する機械。 蒸気機関にしても、自動車の発明にしても、男性の力強さの延長線上に あった。 ところが男性たちは、とうとう考える力をもった新しい機械=コンピューターをつくってしまった。 コンピューターの発明は、男性たちの歴史を根底から、ひっくり返してしまったのである。 コンピューターを内蔵した機械は、正確に早くしかも汗をかくことなく、仕事をするようになった。 新しい電脳的機械は、人間にかっての肉体労働の過程を気づかせることなく、労働の成果を生み出してしまうのである。 いままで、肉体労働でしか入手できなかった労働の成果が、新しい機械によって、いともたやすく実現されてくるのである。 新しい機械は、もはや肉体的な力強さの証ではない。 機械のように正確な仕事は、機械が未発達の時代には、売りものだった。 しかし、機械が賢くなれば、機械が人間にとって代わる。 それは悲しいかな、 時代の必然的な流れである。 人間のために生まれた機械によって、人間が働かされることを皮肉ったのが、モダンタイムスだったとすれば、人間のために生まれた新しい機械は、人間を働かせることなく、ただ不要にしたのである。 平らに塗る左官仕事は、左官屋より、いまや左官ロボットのほうが正確で早い。 コン ピューターを内蔵したロボットの登場は、左官屋の世界に限ったことではない。 さまざまな世界で、職人が新しい機械によって、もうれつな速さで駆逐されている。 ビニールのサンダルが、下駄を不要にし、プラスチックのボールやバスタブが、桶屋を廃業に追い込んだ。 不器用な肉体には、応用がきかない。 同じ木を扱っていても、建具屋には桶が作れない。 桶屋には、家具は作れない。 職人の親方たちは、自分の技術が不要になったこの現実を見て、自分の技術を教えても無意味だ、と知ってしまった。 だからもはや、自分の技術が伝えられないのである。 芸人と異なって、職人技は、それ自体が評価の対象ではない。 あくまで職人業を使った結果、生まれてくる成果で評価されるのだ。 成果が同じであれば、誰が作ろうと、どんな過程で作られようと、言及されることはない。 そのうえ、安くて丈夫であれば申し分ない。 新しい機械は、肉体によってなされた労働を、結果だけが即座に現出するという、手品を見せるようなものだった。 ここで、労働の過程が、ブラックボックスとなっていった。 もはや、頑健な男性の肉体がなくても、生産はできる。 コンピューターを内蔵した機械を操作するには、力強い肉体は不要である。 それには、注意深い気配りと、新しい機械を理解する頭脳が、必要なだけなのである。 今まで支配的だった腕力は、もはや不必要になってしまった。 コンピューターを内蔵した新しい機械は、かっての機械のように騒音や高熱を出すこと も、油を飛ばすこともない。 清潔に黙って、仕事を消化していく。 新しい機械の誕生で、肉体労働や肉体的な力強さの価値が低下してしまった。 それにかわっ て、新しい機械をつくるという頭脳労働とか、精神労働と呼ばれるものが優位になってきた。 男性社会のなかで、いままで支配的だった価値観が低下し、男性の男性たる証を失ってしまったのである。 現代社会が、この機械を無視しては、もはや成り立たなくなってしまった。 宇宙開発、戦争、工業生産、輸送、通信、どれ一つをとっても、新しい機械が不要なものはない。 新しい機械を有効に活用しなければ、もはや何もできない。 新しい機械は、頭脳労働の塊である。 男性社会の労働観が変わった結果、男性自体の価値づけが、肉体的な頑健さから、頭脳の優秀さへと変化してしまった。 肉体が支えた男性の文化の崩壊を、社会一般のこととして、男性が認めざるをえない時代に、いま私たちは立ちいたっている。 肉体的に頑健なだけで、性格や能力が評価の対象にならない男性は、もはや単なる野蛮人とか、無能な人間としか、男性が男性を評価しないのが現代である。 企画者や現場監督のほうが、土工よりも収入が多いにもかかわらず、土工が不可欠なために、力=肉体労働を賛美せざるをえなかった男性社会は根底 的に変化した。 今や、土工に象徴される仕事は、新しい機械が消化してくれる。 土工の仕事はなくなってしまった。 もはや、99%の男性が土工である必要はな いのだ。 肉体的な障害をもってしまった人間は、頑張っても健常者と同列には、肉体労働ができなかった。 それゆえ、障害者にとっては、より厳しい世の中だった。 肉体的な欠陥に基づく差別は、現として存在した。 二級の生き物として、差別されている女性ですら、障害を持った男性の妻になるのを嫌ったのである。 今まで、どうしても取り去ることの出来なかった肉体的な障害が、新しい機械の登場でどうでも良くなった。 頭脳さえ優秀なら、重度の身体障害者でも、全世界がその人間を買う時代である。 時代は、肉体的な頑健さ以上の価値を、見つけてしまったのである。 土工になりたくても、土工にすらなれなかった人間にとって、新しい機械の登場はまさに福音だった。 新しい機械が、土工の仕事をしてくれるのである。 大量の土工は、もはや不用なのだ。 しかし、それと同時に、99%の男性も不要になった。 新しい機械の発明は、男性によって、男性の欲求追求の結果として、発明されたのである。 にもかかわらず、新しい機械のせいで、99%の男性は不要になる。 男性の欲求に従った男性の発明が、男性を不要にした。 |
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