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第2部 性交の社会学 8.結婚と家族 今日の結婚は、いつか分かれるかもしれないことが、考慮のうちとして始まってはいない。 男性も女性も、一生愛し続ける自信はないままに、一生にわたって同居するつもりの結婚生活にはいる。 もしくは、一生にわたって愛し続けるという、幸せな錯覚のまま、結婚生活にはいる。 いつの時代か ら、結婚が一生添い遂げることを、前提とする制度となってきたのだろうか。 一夫一婦制とか、一夫多妻制といったときは、いずれも経過する時間の概念が入っていない。 人間は生きているのであって、生きること は、常に時間の継続にさらされている。 種の保存からみると、その一組の男性と女性が、どの様な関係にあるか、いいかえると、一夫一婦的に結婚しているかどうかはまったく、どちらでもいい問題である。 種は種として、保存されればよく、健康でありさえすれば、誰の子であってもかまわない。 婚姻制度は、種の好みとは無関係である。 女性は愛されることを好むと言うが、男性も愛されることは好きである。 男性が愛することが好きなのと同じように、女性も愛することが好きであろう。 性交が一対一でしかできないことから、自然と終生の一夫一婦制が発生したと、錯覚されやすいが、けっしてそうではない。 むしろ、生産力が向上してから、終生の一夫一婦制は強固になってくる。 武士社会で終生の一夫一婦制は強調された。 とりわけ近代社会に入って、専業主婦を生み出してから、一夫一婦制はますます強固になってきた。 日本の近代では、女性に経済力がなかった。 だから、妊娠させた男性が育児期間中に、他の女性のところへいってしまうと、その子が育たなくなる。 だから、一夫一婦制を、良しとせざるを得なかった。 ほんとうは、生まれた子を育てる社会の制度が、どんな形かでもあれば子は育つ。 結婚制度としての、終生の一夫一婦制は、種の保存とは何の関係もない。 夫や妻以外の誰とでも性交はできる。 その結果生まれた子は、 夫や妻以外の人間でも育て得る。 男性が終生の一夫一婦制を、強調した本当の理由は、自分の血縁を確かめられないからである。 だから、他の男性の精液を自分の女性の体内に入れさせないために、終生の一夫一婦制を強調したのであった。 親子が擬制の血縁によって結ばれていることを、知らなかった時代の不幸で あった。 終生の一夫一婦制は、男性の都合で生まれた。 男性の都合で、その維持が強調されたのである。 だから、終生の一夫一婦制は、女性のほうにより強く強制力が利いた。 男性には妾を持つことや売春婦を買うことを黙認したように、弱くしか利かなかった。 もちろん、離婚する権利は男性にしかなく、女性から離婚することはできなかった。 女性が嫁ぎ先から逃げ帰っても、実家の両親から因果を含められて、もう一度嫁ぎ先へと送り出されたのだった。 終生の一 夫一婦制を維持するためには、女性に経済力をもたせないことが肝要だった。 経済力がある男性には、夫婦をやめることはできても、女性からそれを言い出すことはできない。 そんなことをしたら、直ちに明日からの生活にこまる。 だから、女性はどんなことをされても、男性の身勝手さに耐えたのである。 そして、夫婦関係が実質的には破綻しても、終生の一夫一婦制にしが みつかざるを得なかった。 労働それはヒトにとって、不可欠である。 男性にとってだけ、もしくは女性にとってだけ、必要なのではない。 誰かが労働をしなければ、 種としての人間は生きていけない。 だから、労働自体の可否は、考慮の対象ではない。 労働の讃歌があったでけである。 労働は、それに従事すること自体が正し く、だから楽しいことであった。 今日のサラリーマン生活からは、労働が苦役のように感じるかも知れない。 しかし、肉体労働が主流であった時代には、労働に従事することは喜びだった。 肉体労働に従事する人間は、労働に従事するだけで、自己の存在証明を手にした。 労働が与えてくれる達成感が、何にも増しての、存在証明なのである。 労働している、そのこと自体が、種の繁栄に奉仕していることだったのだ。 だから、労働に従事する人間の存在証明を、改めてつくる必要はなかった。 働くことそれ自体が、存在証明なのだから。 終生の一夫一婦という結婚制度から発生した、専業主婦はそうではなかった。 主婦の担当した家事労働は、ヒトに不可欠のものではなかった。 ましてや、激しい筋肉労働は男性しか担えなかったのとは異なり、それを女性という性が、分担しなければならない必然性はなかった。 人間は、否定のうえに自己の存在証明を築くことはできない。 それゆえ、社会は、女性の存在証明を無理矢理にも、作り出さなければならなかった。 社会は、常に女性に向かって、さまざまな力づけをいって、家事労働者を守ってきた。 曰く、妻のシャドーワークが夫を元気に働かせる。 曰く、主婦が次代の担い手を育てる。 子供の非行は欠陥家庭から生まれる。 女性は弱し、されど母は強し。 腹を痛めた母の愛情は、海よりも深し。 近代以降、今日まで、結婚=家庭生活のあってほしい姿は、なにかにつけて力説されてきた。 健康でたくましい夫、優しくかいがいしい妻、これは何度も宣伝されてきた。 そ して、男性も女性もその宣伝を、信じてきた。 |
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