近代の終焉と母殺し  1999.3−記

目  次
はじめに 第8章 電脳的機械文明の誕生
第1章 農耕社会から工業社会へ 第9章 男性性と女性性
第2章 自然という神の存在 第10章 フェミニズムの誕生
第3章 神からの距離による正統と異端 第11章 母 殺 し
第4章 神とその代理人たる父の死 第12章 無色となった性
第5章 個体維持と肉体労働 第13章 近代の終焉
第6章 新たな論理の獲得 第14章 純粋な愛情の時代
第7章 機械文明の誕生 おわりに

第7章 機械文明の誕生

 神の庭から論理を盗んだ男性たちは、よってたかって神を殺した。
万有引力を発見し天体の運行法則を見つけたニュートンしかり、

 「我々は、最高善としての神の概念を、どこから得たのだろうか。ほかならぬ理念から得たのである」(注−85)

と神の不在を暴いたカントしかり、1859年11月24日に「種の起源」を著し神の死を決定づけたダーウインしかり…。(注−86)
彼等はそれまで神の御手になる、とされていた世界の秩序を、白日の下に暴き出した。
そして後年、恐ろしさに打ち震えながら神から自立したとき、男性は論理によって機械文明を作り出していた。
工業社会の始まりである。


 工業社会は、田や畑という大地の上から工場という室内に、働く場所を移動させた。
初期工業社会の機械は、油まみれで騒音をふりまき原始的だった。
よく故障もしたが、機械は人間の肉体に代わって、屈強な力が必要な仕事をいともたやすく消化した。
機械は単純作業のくり返しだった伝統的社会の、過酷な肉体労働から人間たちを、たちまち解放するはずだった。
しかし、過酷な農耕作業から過酷な工場労働へと、庶民にはその過酷さは変わらなかった。
むしろ農耕社会から弾き出されて、都市部へと流れざるを得なかった庶民には、より過酷な生活が待っていた。(注−87)

 伝統的社会において、交易の拠点に過ぎなかった都市は、それ自身が生産活動をしてはいなかった。
その都市へ多くの人が流れ込んだのだ から、都市の自浄力はたちまち限界を超え、居住環境は破壊された。
初期工業社会では、西洋でもわが国でも都市部ではスラムが発生し、環境の悪化が進んだ。
ロンドンのテムズ川に限らず、河川や空気は汚濁にまみれることになった。
それは多くの歴史家が指摘するとおりである。
たとえば、クリストファー・ヒバート は次のように言う。


 「1849年には、ロンドンの排水施設が原因となって、またロンドンの218エーカーに及ぶ浅くて超満員の墓地の胸の悪くなるほどひど い状態や、煤煙を含み病気を蔓延させながら街路を漂う霧のせいもあって、極めて恐ろしいコレラが発生し、猖獗を極めていた時期には、一日400人の死者が 出た。大部分は貧民街の住民であり、貧民街は不潔を極め、その状態は凄まじく、セント・ジャイルジズの貧民窟では、ほぼ3、000人が、100戸以下に詰 め込まれており、彼等自身の下水汚物でほとんど窒息するばかりの状態であった」(注−88)

 明治初期から中葉にかけて、近代に入っていたわが国でも、事情はまったく同様だった。
紀田順一郎の言葉を見よう。


 「ノスタルジーとは、いわば望遠鏡を逆さに覗くようなものである。まっとうに覗けば、万年町のみならず、それと合わせて三大スラムと称 された四谷鮫ヶ橋や芝新網町のほか、貧民の多かった地域として下谷区山伏町、浅草松葉町、本所吉岡町、深川蛤町一〜二丁目、本郷元町一〜二丁目、小石川音 羽一〜七丁目、京橋岡崎町、神田三河町三丁目、麹町一丁目、赤坂裏一〜七丁目、牛込白銀町、麻布日ヶ窪、日本橋亀島町などがただちに見えてくるはずであ る」(注−89)

 東京は隅田川の汚濁は有名だったし、牛込柳町の空気汚染は深刻になったことは記憶に新しい。
工業化にともなう都市への人口集中を、 いま経験しているアジアでは、先行諸国がかつて体験したのと同じ現象が現在進行中である。
これらは現在進行中なので、誰でも見ることができるが、一例として穂坂光彦の観察を見てみよう。


 「(ソウルでは)1988年のオリンピックに向けて拍車のかけられた『都市の近代化』のために、100万人を越える人々が強制立ち退き の対象となり、穴居生活や野菜栽培のビニールハウスに住むことを余儀なくされた。…アジア諸都市の数億の貧しい人々は、路上、橋のたもと、ゴミの山の上、 鉄道敷、墓地、排水路、河川敷、湿地、崖下、ビルの屋上、ドヤ、木造家屋密集地区、老朽狭小家屋に住んでいる」(注−90)

 農耕社会の人間と異なり、近代人は身分といった属性に拘束されなくなった。
近代人たちは生活の必要を越えて、欲望を無限に拡大させた。
そのため、支配階級だけではなく、庶民層にも大金を入手する機会がめぐってきた。
成り上がる者が出現し、近代の入り口では富める者と、貧しき者の差は拡大した。(注−91)
しかし、労働する庶民は無限に存在するわけではない。
環境も放置しておけば、改善するのでもない。
極大利潤の追求は、単線的には進まなかった。
より一層の利益を上げるためには、労働者の待遇を改善し、環境を浄化しなければならないと、もう一つの論理が教えた。

 神に代わる論理の働きは偉大だった。
時代が下るに従って論理が生んだ機械は、人間の肉体の何倍いや何十倍もの働きをした。
それだけではない。
空を飛んだり超高速で走ったり、はるか遠くの物を見たり、人間の肉体では不可能なことさえ実現した。(注−92)
そして、一度は悪化した環境も改善され始めた。(注−93)
テムズ川には魚が戻り(注−94)、隅田川も水質が改善されてきた。(注−95)
それにつれて労働者の生活も徐々に向上した。
今日のわが国では、庶民であっても毎日入浴し、山海の珍味を食すると言った、農耕社会の王侯貴族のような生活がくりひろげられている。

 頭脳が生んだ成果物が、人間の肉体的な力を充分に凌駕したのである。
頭脳の優秀さを大切にするほうが、生産をより向上させ得た。
そのた め、単純作業を担う肉体より、論理を司る頭脳が優位になった。
男性内において肉体の頑健さから、頭脳の優秀な働きへと、人間の評価が移動した。
ホワイトカ ラーというデスクワーカーの誕生である。
ここで肉体的には非力な女性が台頭する条件が出来たが、工業社会という機械文明は未成熟だった。
その機械は知能を持たず、屈強な男性の肉体労働の代替に過ぎなかった。
この時代は、人間の肉体労働と機械の肉体労働の対置でしかなかったので、女性たちは男性の後に従わざるを得なかった。

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