近代の終焉と母殺し  1999.3−記

目  次
はじめに 第8章 電脳的機械文明の誕生
第1章 農耕社会から工業社会へ 第9章 男性性と女性性
第2章 自然という神の存在 第10章 フェミニズムの誕生
第3章 神からの距離による正統と異端 第11章 母 殺 し
第4章 神とその代理人たる父の死 第12章 無色となった性
第5章 個体維持と肉体労働 第13章 近代の終焉
第6章 新たな論理の獲得 第14章 純粋な愛情の時代
第7章 機械文明の誕生 おわりに

はじめに

 工業社会という近代の到来は、人類が初めて経験することだった。
そこでは、それまでの産業である農耕が要求したものとは、異なった価値観や社会的な秩序が要求された。
いかなる社会秩序が要求されているのか、当時の誰も判らなかった。
工業社会の秩序を確立する ためには、恐る恐る試行錯誤する以外に方法はなかった。
伝統に生きる静かだった農耕社会にとっての試行錯誤、それは混沌を意味した。


 近代化つまり工業化は長い助走期間(注−1)のすえに、西ヨーロッパで17〜18世紀に始まり、やがてアメリカ大陸へと拡大し、19世紀になると日本へも渡来した。
工業社会という近代に入ると、イギリスにしろフランスにしろ、社会不安が高まり環境が悪化した。(注−2)
今日でこそ美しい街と言われるロンドンやパリは、たちまち汚濁にまみれた街となった。(注−3)
近代化つまり工業化にともなう環境の悪化、それはわが国でも同じだった。(注−4)


 20世紀が終わろうとする現在、工業化した社会は西欧諸国とわが国だけではない。
最近になって、東アジアと東南アジアの諸国が近代化に突入し、工業社会を実現しつつある。(注−5)
これらの国々は、より一層の近代化をめざして、猛烈な勢いで先行する工業諸国を追い上げている。(注−6)
そして同時に、近代を進める方向とは反対の現象も起きた。
それは、西ヨーロッパ・アメリカ・アジア諸国とは別の道から、より一層の近代化をめざしたソ連が崩壊したことである。
以上のような背景で今や近代とは、西ヨーロッパに固有のものではなく、地域とのつながりを切り離して考察できるようになった。

 情報社会という新たな社会が見え始めた現在に、近代と近代がもたらしたものを検討し、近代もしくは現代とは如何なる時代なのか、そして現代に続く時代の展開を考察してみたい。
本論では近代なる言葉は、時代区分を表す言葉として使い、工業化した社会を近代社会と呼ぶことにする。
歴史の流れを、狩猟・採集社会→農耕社会→工業社会ととらえ、産業革命以前を前近代、それ以降の工業社会を近代だと考えている。
すると、工業社会の次つまり情報社会は、近代か否かが問われるであろう。
筆者は、情報社会を後近代と考えているが、それは本論で論証することにする。

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