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第3章 神からの距離による正統と異端 100万年という人類の長い歴史から見れば、文字の誕生は極めて最近のことで、わずか5・6千年の歴史しかない。(注−31)しかも学校教育が普及し、誰でも文字が読める今日と異なり、伝統的な社会では文字は誰にでも取り扱えるものではなかった。(注−32) たとえば、19世紀になっての話であるが、1861年におけるイタリアの非識字率は78%だった。(注−33) 3人に2人は文字が読めなかったのである。 伝統的社会では、識字力は社会の上層階層に独占されていた。 それは昔だけの話ではない。 今日でも世界を見渡してみれば、人口の70%近くの人が文盲である国も存在する。(注−34) しかし、文字は人間生活に不可欠のものではない。 文字を知らなくても、人間は充分に生きていける。 柳田国男も言うとおり、 「農民は自分も文章が不得手なのみか、相手にも読んでくれる人が殆ど無い。その相互の知識授受に、記録を雇うべき必要は無かったのである」(注−35) そのため、文字の普及していない社会では、人間行動の規範は過去の記憶の中に求められた。 伝統的な社会では、日々のくり返し季節のく り返しがゆっくりと進行し、知は人間の記憶に集積された。 そして人々は、記憶を大切に継承した。 必然的に長い経験が、知の質を支えることになった。 つまり 伝統的な社会にあっては、長寿は博識とまったく同義であった。 人間の社会は、いつも平穏だったわけではない。 自然の脅威や人間同士のもめ事など、解決を迫られることがしばしば起きた。 そこでは老人たちの知恵が、農耕生産に大きな役割を果たし、人間社会を円滑に保つうえで極めて有効だった。 そのため、ことさら「敬老の日」を定めなくても、老人たちが日々に大切にされた。 シルバー・シートなどから見ると、老人は体力が弱くなったから、弱者としていたわりつまり保護の対象だったと誤解しやすい。 しか し、そうではない。 長く生きた老人たちは博識だったから、貴重な知恵の貯蔵庫として大切にされたのである。 農耕社会では老人たちは権威を持った強者であった。 老人といっても人間である。 彼等の知恵が及ばないこともあった。 老人という先達たちの知恵の及ばない領域では、呪術や祈祷などに頼るほかに解決方法はなかった。(注−36) 今日では呪術などは、迷信として蔑視されるが、経験が知の質を支えた社会では決してそうではない。 解決すべき現実が人智の限界を超えたとき、呪術などにすがったのである。 伝統的社会では、マーガレット・マレーに従えば、 「占い、夢、前兆、呪文、まじない、呪い、幽霊、悪霊等々への信仰は、王から始まって、臣民の中の最下層の、最も卑しいものにいたるまで、共同体のあらゆる階級の日常生活の一部であった」(注−37) そして、呪術などが大切にされた社会では、同時に多くの神話を生み出した。(注−38) 呪術は人間の体を通して行われ、呪術の担当者は神の近いところにおり、神の声を取り継いだがゆえに、神の声を独占しやすかった。 やがて呪術者の声が、神の声そのものになった。 神が人間を創ったので、全能の神は最上位にいた。 神が価値の序列を決めたので、神との距離で人間が評価された。 呪術を行う者が、人間と神との間を取り持ったとすれば、神のより近くにいる者は呪術者である。 社会的な高位者は、多くが呪術師だったり、聖職者と呼ばれた者だった。(注−39) 人類の初期つまり狩猟・採集社会にあっては、聖と俗が未分離だった。 つまり神事や呪術を司るものが、政治的な長でもある状態だった。 部族社会と呼ばれるここでの長の立場は、血筋や家柄ではなく、食料や材を再配分できる個人的な能力におっていた。 農耕社会になると、やがて高貴な身分といった世襲される特権的な階層を発生させた。 宗教的な支配者でもあり、同時に現世的な支配者でもある階層の人間たちを生み出した。 特権的な階層に属する支配者たちは、自分の存在を神と結びつけ、より神に近い存在として自らを位置づけた。 たとえば、V・ブルケルトは次のように言う。 「地中海沿岸の都市国家が興隆するはるか以前、オリエントの専制君主たちは、それぞれの神々から特別な庇護を受けていると主張するのを常としていた。ファラオとは神の息子のことだった」(注−40) 体系化された知はもちろん社会的な価値や財は、特権的な者たちに独占されたと言っても過言ではない。 そして彼らは、人間の肉体労働を軽視し、戦闘や統治というゲームに興じたのは、S・ヴェブレンも言うとおりである。 「生成史的にみて成熟段階にある有閑階級に通例特徴的な職業は、初期の形態とほとんど変わりがない。このような職業は統治、戦闘、スポーツおよび宗教的儀式である。…このような仕事は本質的に略奪的な仕事であって、生産的な仕事ではない」(注−41) 伝統的な社会は、神の授権を受けた血縁といった人間の属性が、支配する時代だったと言っても良い。 生産的な肉体労働には従事しない支配者たちが、その立場や血筋といった属性にものを言わせて、社会的な価値を独占していた。 ここでは加齢という例外を除けば、人間が社会的な立場を入れ替えることは不可能で、生まれや身分と言った属性が、社会的な立場を決定した。 つまり職業や結婚相手の選択は、当人の希望によるのではなく、生まれや家柄が決定したのである。 奴隷に生まれたものは、どんなに能力があっても、一生奴隷のままで終わる。 それが伝統的な社会だった。 喜怒哀楽と言った人間の精神活動は、いつの時代でもあったが、その社会的表現は時代によっておおいに異なる。 前近代における人間の繋がりは、属性によって規定されたのであり、恋愛感情などと言った愛情にだけ基づいた、精神的な人間関係が優先されることはなかった。(注−42) 身分や地位の違いは、人間を同じ生き物とは認めなかった。 農耕社会でももちろん男女関係は存在したが、そこにあった男女のつながりは、色であり情であった。 男女の繋がりでは、愛情がその触媒となることもあったが、結婚は愛情によってなされるのではない。(注−43) 結婚の多くとりわけ上級階級のそれは、婚資や持参金をともなった社会的行為と見なされ、男女の属した階級の習慣が決定した。 わが国には世界最古の恋愛小説である「源氏物語」があるが、あれは貴族階級内での話である。 身分を越えての愛情至上主義とか恋愛なる概念の普及は、北村透谷が謳い始めたように近代の出来事である。 農耕社会つまり伝統的な社会では、特権を手にした一部の者たちが、社会的な上位者として君臨していた。 特権を手にした者を貴族とか武士とか呼ぶが、彼等が体現する価値だけが正当なものとされた。 特権的な者たちは、自分たちだけで閉じた集団を作り、血縁や人脈のない人間は、その中に入る ことはできなかった。 今日では人間の体をした生き物はすべて同じ人間と見なされるが、伝統的な社会では特権的な者だけが、人間だと見なされていた。 そして、神の支配する世界だったがゆえに、神に近い正統と神から遠い異端という争いだった。 その典型を、正当性の鍵を入手するために、コンクラーベに明け暮れたカトリックの本山ローマ法王の選出に見ることができる。(注−45) |
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