近代の終焉と母殺し  1999.3−記

目  次
はじめに 第8章 電脳的機械文明の誕生
第1章 農耕社会から工業社会へ 第9章 男性性と女性性
第2章 自然という神の存在 第10章 フェミニズムの誕生
第3章 神からの距離による正統と異端 第11章 母 殺 し
第4章 神とその代理人たる父の死 第12章 無色となった性
第5章 個体維持と肉体労働 第13章 近代の終焉
第6章 新たな論理の獲得 第14章 純粋な愛情の時代
第7章 機械文明の誕生 おわりに

第4章 神とその代理人たる父の死

 神に創られた人間は、神の創った世界で自由に行動できた。
神の庭である村は、人間の安全な住処だった。
人間の命より全能の神のほうが 崇高な存在だったので、殉教や人身御供といったかたちで、神へ人間の命を捧げさえした。
それでもこの当時、人間たちの心は神への真摯な信頼で満ちていた し、また永遠の神は人間に優しかった。

 ある時、人間が智恵の実を食べてから、疑うことを覚えた。(注−46)
そして、物事の始まりや成り立ちを、知りたがるようになった。
「なぜか」これが口癖になった。
神はなぜ人間を創ったのか、自分と言う人間はなぜ存在するのか。
初めは謙虚に、そっと問うた。
しかしその質問から、神が本当にいるのか、と罰当たりなことを口にするのは、時間の問題だった。
そして、とうとう禁断の問いを口に出した。


 神は応えなかった。
どんなに人間が神の存在を問うても、山でも森でも神は黙ったままだった。
神の声を聞くことができなかった人間は、神はいないと決めた。
人間は、


 「神の内在の直接性を見失って行く」(注−47)

のであった。
そこで、それまで自分の心の中にあった神の座を、自分の心の外へと押し出した。
神が心の中にいた時代には、人間と神は一体化していたから、自分が神を信じるか否かの判断は不必要だった。
しかし、神と共に生きてきた人間が、神を自分とは別の存在として認識の対象にした。
そして、自己の外部にいる神を信じるようになったのである。
ここで、神は絶対となって、人間の外部に屹立した。


 新たな神は、人間の数ほどにも多数に分裂し、たくさんの教団を形成した。
今や事情が変わった。
神が人間を創ったのではなく、人間が神のあり方を決めるのである。
神より人間のほうが、大切な存在になった。
有限でしかない人間の命は、無限の神より貴重になったのである。


 神が絶対善だとすれば、絶対悪つまり悪魔の誕生も必然だった。

 「神はサタンを創造し、人間を誘惑して破滅させる力をあからさまにさずけてさえいる」(注−48)

とJ・B・ラッセルは言う。
堕ちた天使が悪魔として登場した。
絶対善と同時に悪魔を知った人間を、もはや神は寛大に許容することはなくなった。
近代の入り口で、西ヨーロッパを襲った恐ろしい現象が、魔女刈りである。


 「古代の神々が追放されキリスト教が支配を確立する中世初期、歴史の薄闇の中にその姿を現す。やがてルネッサンスに至って、苛烈を極めた異端糺問により、おびただしい数の魔女が焚殺された」(注−49)

というミシュレの言葉のとおりに、悪魔と交わったという疑惑により、神や正義の名において拷問にかけられた魔女たち(男性もいた)を、神は決して助けず、冷徹に見殺しにしたのである。

 村に住む人は少なくなっていたし、奥深い山や森など誰も見向きもしなくなっていた。
工業社会は都市を指向し、自然そのものだった農村を捨てようとしていた。
工業化から取り残された農村や山岳部では、呪術を司った土着の神々つまり悪魔と交わったとの疑念により、激しい魔女迫害の嵐が吹き荒れた。(注−50)
その嵐は、やがて憑依現象と姿を変えて都市部へ拡大した。
自然は神であり、神は自然だった。
伝統的社会では、神が人間を生かしていた。
しかし今や、人間は神と別れ、悪魔をも知った。
ニーチェも言うように、ここで人間は神を殺したのである。


 「おれたちが神を殺したのだ―お前たちとおれがだ! おれたちはみな神の殺害者のだ!…世界がこれまでに所有していた最も神聖なもの最も強力なもの、それがおれたちの刃で血まみれになって死んだのだ、…おれたち自身が神々とならねばならないのではないか?」(注−51)

 神が支えていた知の体系が、無力化し始めた。
生産活動のうえで、もはや神には頼れない。
そのためこれ以降、知は長い経験の支えから、 ゆっくりとだが離れ始めた。
本来、神は無形であり、人間が肉眼で見ることはできない。
しかし人間は、神を自分たちと同じ姿形をしたものとして考えた。
男性の神も想像したし、女性の神も想像した。
そのなかで、ただ一人の神を選ぶと、その姿は壮年の男性だった。


 「血縁の男たちがコミュニティを防衛するという制度は、人間世界に共通する制度であり、時と場所にかかわらず確固たるパターンを確立している」(注−52)

と言った事実が、神の現世における姿は女性ではなく男性を選ばせた。
壮年の男性とは、知と力を兼ね備えた者の象徴であり、それは独身男 性ではなく、家族を養う父に他ならなかった。
農耕社会における現世の価値を体現してきた人間、それは知と力そして経済力の両方に秀でた父だった。
農耕社会 の家族が、家長たる父に代表されるように、父は現世における神の代理人だった。


 ここで言う父とは、生きている具体的な成人男性のことではない。
工業社会と異なり、農耕社会ではすべての男性が、結婚できたわけではない。
そのため、現実の成人男性は必ずしも妻帯者とは限らなかったし、子供を持っているとは限らなかった。


 父とは一家を構え、一人もしくは何人かの女性を孕ませ、その女性と生まれた子供たちを養う者と、社会的に見なされた男性の立場のこと である。
種族の保存つまり子供の誕生には、父と母が不可欠でありながら、母は神の代理人ではなかった。
母なる大地という言葉はあっても、天の母という言葉はない。
天の父という言葉がそのまま神を表したように、父という立場が神の代理人だったのである。(注−53)


 神を殺したことは、同時に神の代理人たる父が死んだことでもあった。
伝統的な農耕社会から、産業革命を経て工業社会に至るとき、神に表現される価値の体系を過去のもとして葬り去ったのだが、それは人間の神からの自立でもあった。
同時にそれは、人間が支配する領域つまり都市へと、生活の場を転じたことであった。
ここでは神の助けはもういらなかった。
父は神の代理人だったから、父も不要になった。
父が死んだと言うより、神と一緒に父を殺し たと言ってもいい。
土居健郎は次のように言う。


 「父なき社会…のような社会的変化の種は19世紀に…撒かれていた…彼らはそれまで一般に信じられていた価値基準を粉砕し、来るべき社会変革を準備した…日本も父なき社会と呼べるような状況に明治以降入っている」(注−54)

 成人男性は神の支えを脱ぎ捨て、ヒューマニズムという人間中心主義で身を固めて、自分の足で立った。


 神からの遠近ではかられた正統と異端の争いは、神が死ぬと政治の世界に純化し、保守と革新の争いに変わった。
そして、父を媒介として あった神や自然という、至高の価値と人間との無前提的に肯定された結びつきが切れたことは、人間生活における全秩序の崩壊を意味した。
農耕しか産業が存在しない農耕社会の歴史は、ここで終わりを告げ始めた。
同時に社会的な価値を独占し、生産活動には従事しなかった特権階級も、その存立基盤を失って崩壊を始 めた。
そして、個人の属性が支配を支えていた人治の社会から、ジョン・ロック(注−55)クやモンテスキュー(注−56)らが主張したように、法の支配する社会へと徐々に変わり始めたのである。

 しかし、工業社会の歴史は、いまだ創られてはいなかった。
そうした混沌のなかで、特権階級の人々も煩悶したが、特権階級以外の人々も 胎動を始めた。
それは何とも名付けられておらず、当時にあっては単なる烏合の衆に見えたが、オルテガは次のように言ってそこに大衆の登場を見る。

 「群衆という概念は量的であり、かつ視覚的である。その性質を変えないで群衆なる概念を社会学の術語に翻訳してみよう。そうすると我々は社会的大衆という概念を得る」(注−57)

 特権階級以外の人々が、大衆として社会の前面に登場するかに見えたが、大衆が主役になるのは20世紀に入ってからであり、この当時い まだ大衆は社会の主役とはなれなかった。
そのため、そこにあるのは混沌だけだった。
西ヨーロッパにおいて、17世紀が危機の時代と言われるのは、それが理由である。(注−58)


 近代と神という話になると、近代化つまり工業化は西ヨーロッパで始まったので、おのずとキリスト教の神を思い浮かべる。
もちろん、キ リスト教が近代化に果たした役割は多大なものがあり、両者の関係を多くの人がさまざまに論じている。
筆者も両者の密接な関係を否定するつもりはないし、近代ヨーロッパの歴史を反芻してみれば、キリスト教とその神のあり方を必然的にたどらざるを得ない。
しかし近代的な工業社会が、日本そして東・東南アジア諸国と、西ヨーロッパ以外でも実現され始めてきたことは、宗教としてのキリスト教を持たなくても、近代化は可能であると見るべきである。


 同じキリスト教でも、ギリシャや東ヨーロッパそしてロシアへと広がった東方正教は、近代化の精神的な支えにはならなかった。(注−59)
だから、人間と自然つまり神一般との関係、言い換えると心的構造の変化としてのみ捉えれば、個別キリスト教の神にまで立ち入らなくても、近代化の過程は論証できるだろう。


 本論の主題から逸脱するので詳論はしないが、近代化の構造を振り返ってみるとき、西ヨーロッパ人にとってのキリスト教に対応するものが、日本人では天皇制であり、東・東南アジア人にとっては開発独裁だったのではないか、と筆者は考えている。(注−60)
いまだ仮説の域を出ないが、キリスト教・天皇制・開発独裁が、それぞれの地域の人々に個人の自立を迫ったと思念している。

 本論は、近代化に宗教の果たした役割を論じることが主題ではないので、両者の詳細な関連には立ち入らない。
しかし、近代化つまり工業化するためには、演繹的ではなく帰納法的な思考を身につけ、人間が自然つまり神から自立することが不可欠だとは確認する。
換言すれば、如何なる地域での近代化であっても、神殺しと神の代理人たる父の死といった心的変化が不可欠である。
反対に言えば、近代化した地域では無自覚のうちに、個人が自立して人間による自然の観察をなしているし、それまでの価値の体系を転倒させている。
つまり結果として、神殺しと父殺しを行っているのである。

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