近代の終焉と母殺し  1999.3−記

目  次
はじめに 第8章 電脳的機械文明の誕生
第1章 農耕社会から工業社会へ 第9章 男性性と女性性
第2章 自然という神の存在 第10章 フェミニズムの誕生
第3章 神からの距離による正統と異端 第11章 母 殺 し
第4章 神とその代理人たる父の死 第12章 無色となった性
第5章 個体維持と肉体労働 第13章 近代の終焉
第6章 新たな論理の獲得 第14章 純粋な愛情の時代
第7章 機械文明の誕生 おわりに

第2章 自然という神の存在

 現代社会では電気があって当たり前である。
たまに停電したりすると、あまりの夜の暗さに驚き慌てる。
当然のことながら、夜とは光のない状態を意味し、光がないとは何も見えないことである。
光がないと田や畑で働くことは出来ない。
農耕が必要とする他の作業、たとえば道具の手入れなどもすることは出来ない。
いまや電気があることが当たり前だから、光のない夜は闇であることを改めて確認しなければ、この論が始まらないのである。
もう一度確認しよう。
伝統的な社会つまり前近代とは、電気も石油もガスもなかった頃のことである。


 夜になると光のない社会つまり伝統的社会では、実直な人間は日の出とともに起き出し、日が暮れるまで田や畑で働いていたに違いない。
当時は、太陽が時計だった。
産業革命とともに工業社会が夜に光をもたらすまで、人間の生活は地球の環境のなかに、自然の掟とともにあった。
自然の掟と言っ ても、おそらく今やそれが何だか想像することが難しくなっているだろう。
生の自然を体験する機会はめったになく、伝統的な社会に生きた人々の生活を想像することが困難になっている。
しかし、私たちの先祖はつい最近まで、電気のない生活をしてきたのである。

 それが近代の工業社会の発展とともに、昼も夜も同じように明るくなり、仕事は昼間するものとは限らなくなった。
ここで言う仕事とは、もちろん農耕ではない。
工業が新たに生み出した働く場所、つまり工場や会社での労働である。


 「時間は、自然や神に根をもつ現象から、機会すなわち時計にもとづく、いわば勝手に決められた抽象的な量にとって代えられた」(注−20)

とマイケル・オマリーも言うように、ここで時間の質も変わった。
機械の時間に支配された工場の発生は、人々の生活の形をもかえた。


 農耕社会では、横たわって食事をとったり(注−21)、地面や床に尻をつけて座った。
つまり多くの人間は、大地に密着して生活していたが、近代に入ると徐々に大地を離れ始めた。
大地に身を横たえて就寝し、地面に腰を下ろして休息していた人々が、ベッドに横たわり椅子を使い始めた。(注−22)
ヨーロッパにおいて個人的な椅子が普及し始めるのは、18世紀以降のことである。(注−23)


 農耕以外に工業という産業が生まれ、工業が人間の生命を支えるもう一つの方法になった。
農耕以外に口を糊する方法を見つけた人間は、それまでの身の程を知ると言った倫理を無視してまで、自らの労働に血道を上げ始めた。(注−24)
働けば働くほど大きな収穫が入手できるように感じたので、工場労働は24時間にわたって続けられ、時代の精神は新しいものを良しとし、拡大を是とするようになった。
より大きく、より広く、より早くと、人間はせき立てられるように働き始めた。


 農業なら四季とか土地の属性という、自然の法則が無限の収穫向上に枷をはめていた。
人間や労働が、土着性の絆から逃れることはできなかった。
そのため人々は、各々が住む地域に適した生活の方法や生産の方法を、生みだし使わざるを得なかった。
伝統的な社会では、子供の誕生ですら農業労働の繁忙に従った。
それが近代に入ると、


 「出産に当たって考慮されるべきものが、農事暦から無季節性の社会歴に変化した」(注−25)

のである。
工場労働は労働者を消耗しながら、生産を極大利潤に向けて動き始めた。
材料や労働力を投入しさえすれば、生産高はいくらでも上昇するように感じられた。
できるだけ多くの収入を得ようと願えば、それも可能になった。
つまり人間は、住んでいる場所という限られた土着性から自由になり始めた。
だから、生産における欲望は、無限に拡大し始めたのである。(注−26)
そして、時代が下り豊かな社会が見えてくると、消費すら無限化するかに思えだした。


 こうした工場労働は、それに先行もしくは同時並行的に生まれた新たな思想に支えられていた。
たとえば、F・ベーコンやJ・S・ミルと いった人たちが、伝統や習慣から離れた環境の観察から、帰納法的な思考を生み出した。
それらは神に淵源を持つそれまでの演繹的な思考とは異なり、すでに自分たちが抱いている価値観や見方から可能な限りはなれて、より客観的に事物を観察した。
そこで人間は、自分たちの願望と環境を支配する法則は、必ずしも一致するものではないことを知った。


 帰納法的な思考が目指したのは、環境の制御であり、人工世界の構築だった。
冷静に環境を観察すればするほど、自然や神は人間から離れていった。
結果としてそれらは、今までの農業ではなく、工業の発展に寄与する思想だった。
新たな思想は、環境を与えられたものとは考えず、人間が制御可能だと見なし始めた。
つまり近代になると、人間は物心共に自然の仕組みに逆らい始めたのである。


 人間は環境を観察し、そのなかに法則を見いだした。
そして自然の環境を、工場という場で人工的に作り出した。
当初、人間の試みはなかな か実現しなかったが、徐々に目論見は結実し、農耕社会では思いもよらなかったほどの収入をもたらし始めた。
工業社会の成果は、すべての分野へと普及した。
やがてトラクターや飛行機そして化学肥料などが、農業のあり方を大きく変えた。
新たな産業である工業が、古くからある農業に「緑の革命」をおこしたのであ る。
現在では大規模な潅漑などが行われ、農業といえども自然のままではない。
農産物の大輸出国であるアメリカは、労働就業人口のわずか2.8% が農耕に従事しているだけである。(注−27)


 伝統的な社会における自然は、近代以降における自然とは、その意味や範囲が異なる。(注−28)
人間が自然の環境の中で、自然と共存していかに生活してきたかは、柳田国男(注−29)や宮本常一(注−30)等 の著作に詳しい。
今日では農業といえども、工業生産の成果の上に成り立っており、自然を制御しようとしている。
遺伝子工学や生殖技術の応用など、先端的な技術が農業にもつぎ込まれている。
現代日本のみではなく工業社会諸国における農業は、前近代つまり農耕社会の農業と似てはいるが、異なったものとなっている。

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