考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

14.外 観     その3

 都市には、この論が前提としたような、土地付一戸建の住宅は、もう何処を捜してもないのが本当のところかも知れません。
ですから、都市における一戸建住宅自体が論理矛盾だったとも言えます。
敷地の項でも述べましたが、匠研究室は都市における住宅は、アパートのような共同住宅にすべきだと思っています。
しかし前述のとうり、日本には西欧のような都市がありませんでした。
日本で都市といっても、その範囲がどの辺かとなるとひどく曖昧になってしまいます。
かと言って、現代の日本を見ると、人口密集地域としての都市は立派に存在しています。

 ここで、都市の中での個別あなたの家となると、大変困難な問題にぶつかります。
具体的にあなたが家を建てようとする時、また、それを依頼された設計者にとっても同じことですが、都市としての全体性と個別の家では、利害が対立することがしはしばだということです。
建築主にとっては、敷地一ばいに家を建てたいことでしょう。
都市における敷地は狭いですから、せっかく手に入れた敷地は最大張に有効利用したいとは誰もが望むところです。
しかし、誰もが勝手に建築すると、それこそ都市の住環境が動かなくなってしまいます。
例えば、狭い路地の奥に家を建ててしまうと、そこまで水道をどうひくか、排水はどうするか、はたまた火事の時にはどうするかと言ったように、たくさんの問題が噴出してきます。

 内部と外部の二律背反だけではなく、個と全体の相克という問題が発生してしまいました。
この相克を解決するのは、個人の次元では不可能とも言えます。
それではこの論が前提にした一戸建住宅は都市においては、単なる空論だったのでしょうか。
そんなことはありません。
マンション等がふえたと言っても、日本で建築される住宅の圧倒的多数が一戸建住宅です。
その上、日本の人口の70パーセントが、都市部に住んでいます。
ですから、個人にとっては、一戸建住宅として考える他はありません。
山の中の一軒家は自然の中にあるというより、自然そのものと呼んだ方が良いでしょう。

 大自然の中では、家の外観も自然に従うでしょう。
しかし、都市、それも丸の内のような都心では、反対の極論です。
人工の極である都市では、落ち葉に対する配慮など不要です。
そこで話しは自動的に、都市の郊外から都市近郊が舞台となって来ます。
東京を例にとれば、品川、目黒、世田谷、杉並、板橋、足立、葛飾あたりから、横浜、川崎、町田、立川、浦和、船橋と言った地域となるでしょう。
この辺では、まだ一戸建の住宅が大半ですし、住宅地としての自然も残っていると言えます。

 そこで家です。
前に自動車の例をひいて話をすすめましたが、最近ではある種の自動車では室内と外観が別の人によってデザインされています。
車も家と同様、室内と外部をもつ、つまり、その中に人が入るという意味では良く似ています。
しかし、走って、曲がって止まるという車の機能が明確であるため(動かない車は購入の対象にはならない)、車に要求されることは単純です。
家の機能はもっとずっと複雑でとらえどころがなく、言うならば人間臭いものです。
車の中で、風呂に入るとか、食事をするとか、くつろぐとかをすべてやってしまおうとする人は、ほとんどいないでしょう。
家は、人間が人間として生活する限り、人間臭い部分をすべて飲み込んでくれるものとして、建築主に期待されています。

 車は近代以降のものであり、理論的にも現実的にも工業製品としてしか、作られようがありません。
しかし、家は人間の歴史と同じくらい古いものです。
大昔から、人間の美しい面、醜い面の両方を包んできてくれたのが家でした。
車が近代の産物であるが故に、人間の外にあり、デザインの対象となるのに対して、家は人間そのものと呼んでも良いくらいです。
洋服が人間を中に入れるものだとしても、人間自体とならないのは、洋服を着た自分を見ることはできないからです。
その上、洋服は肉体の存在の前提なしには考えることができません。
鏡にうつった自分と本物の自分とは別物です。
ところが、家は人間の何部であり、かつ外部でもあると言った意味で、人間そのものと言っても良いくらいです。

 家を舞台に、人という種が生まれ、結婚し、死んでいくまでが演じられて来ました。
ここでは、いやが応でも人間の生の姿を見せざるを得ません。
匠研究室は家とは次のように考えています。
いろいろな家があって良い。人間にも様々なタイプの人がおり、性格や体形もばらばらなように、家もばらばらで様々なタイプがあっても良いと考えています。
全体としての景観がくずれてしまうのは承知です。
しかし、おそらく、自分の生活に執着し、大切にしている人の建てる家は、暖かい雰囲気を持つでしょう。
たとえ、外観はばらばらであっても、そうした家が作る街並みは美しいに違いないと思っています。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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