考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

  9. 厨 房    その1

 ダイニングキッチン、つまり食堂と厨房が1室になった間取りがはやったのは、ついしばらく前でした。
もちろん現在でも、ある時は便利な間取りとして、設計され、実現されています。
しかし、もともと厨房は、あくまで台所という作業場として独立しており、食堂はむしろ居間と一緒になって、茶の間と呼ばれていました。
そして、最近では再び食堂と厨房が、別べつの部屋になる傾向をみせており、間取りにも流行があることをうかがわせてくれます。

 かつての厨房が、ガスや電気という熱源をもたず、もっぱら薪によっていたため、厨房と食堂を一室にすることが困難だったという事情は、もちろんありました。
しかし、古い民家をみてもわかるよぅに、それが全く不可能だったというわけではありません。

 ある種の民家では、厨房と茶の間の境は仕切られていませんし、「いろり」というかたちで、茶の間のまん中に熱源をもっている例すらありました。
そして、現在のように、電気やガス、水道といった便利な設備をもつ時代になって、再び厨房と食堂が分かれる傾向をみせているのは面白いことです。

 これは、機能や設備だけが、家の間取りの決定要因ではないことの証明です。
人間は、これが欲しいと思いこむと、相当の無理をしてまでも、気に入りの間取りをつくってしまうもののようです。
そのお気に入りが、単なる流行だとしても、思いこんでいる当人にはわかりません。
また、当人にはそれ以外、気に入りようがないのも事実です。

 厨房の熱源が、薪であった頃は、かまどは土間にありました。
火を飼いならすことができたのが、人間の人間たる所以だといわれます。
ガスや電気を、簡便に各家庭で使用できるようになるには、それはそれは長い時間がかかっています。

 現在では、カチンとひねればパッと火のつくガスレンジや電子レンジが、厨房に鎮座しています。
ですから、ずっと古くから、誰でもこうした設備をもっていたと錯覚しがちです。
しかし、日本中でガスレンジが使用されるようになったのは、当然ながら戦後のことです。
それまでは、何といっても主役は、薪のかまどでした。

 その時代にも人間は生活を営んでいました。
いまでも、世界中ではガスや電気を使って、煮たきをしている人間のほうが少ないでしょう。
どちらが多いかは、それこそどちらでもよいことですが、人間の生活が戦後になって始まったのではないことだけは、確認しておいてよいと思います。

 確かに便利になりました。
しかし、住生活の本質が、ガスや電気で変わってしまうはずがあるでしょうか。
かまどが土間にあり、薪という裸火を使用していた時代のほうが、はるかに長かったのです。
そして、その時代にも人間は住生活をしており、家に住んでいました。

 近代文明が、家庭に入りこんできたせいで、いわゆる設備系の変化は大変なものがあります。
たとえば自動車は近代文明の産物ですから、近代という時代の範囲から、ぬけだして考えることは不可能です。
ところが、家は近代文明に影響はされこそすれ、本質的には近代文明によって生み出されたのではありません。

 ほら穴をでてから、私たちは家に住んできました。
とすれば、家の本質は、近代文明と切りはなして、考えることが充分に可能です。
むしろ、便利な近代的設備から一度はなれてみることが、何が本当に家にとって必要なのかを、知る道ではないかと思います。

 最近の住宅は、よく厨房やトイレ、風呂などの設備系の部分が変わったといわれてきました。
たしかに表面上は、かまどやへっついからガスレンジヘ、銭湯から内風呂へ、くみ取り便所から水洗便所へといった具合に、設備に関する部分がひどく変わったようにみえます。

 けれども、根本的な意味での調理方法や入浴の仕方は変わっていません。
また、人体構造は不変ですから、排泄の人体メカニズムは、当然ながら変わるはずもありません。
いまや住生活においては、快適だ、便利だということは、無条件的に善なることとされています。
そして、より快適に、より便利になることを追求しています。

 匠研究室とても、電話がなければ仕事にさしつかえるし、電気がなければ能率はおちてしまいます。
ましてや、一度水洗便所を知ってしまった私たちが、くみ取り式に戻るのは、不可能といってもよいでしょう。
同様に、ガスを知ってしまった人たちに、昔のような薪のかまどに戻れ、というのは時代錯誤もはなはだしいところです。
けれども、ここで近代的設備がなかった状態を、もう一度ふり返ってみてもよいのではないでしょうか。
すると、住生活の本質は何かがみえてきます。

 かつての大邸宅の間取りをみると、食事部屋と厨房がひどく離れていたりして驚きます。
そうした家では、多勢の使用人がいて、家庭を動かしていました。
ところが、現代日本の一般的な家庭では、そんな使用人はいません。
人間は食べなければ生きていけません。
いまの家庭でも、誰かしらが食事をつくっています。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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