考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

7.ト イ レ    その1

 現代の都市型住宅は、ますます狭い敷地に限定されて、建築されざるを得なくなっています。
匠研究室では、都市型住宅は高層アパートがよいと考えていますが、日本の現実は、都市部における敷地の細分化を促進こそすれ、残念ながら、集合型住宅に向かっているとは言いにくいようです。

 一戸建住宅であれ、集合型住宅であれ、ますます電気、水道、ガスといった設備の体系にしばりつけられています。
こうした設備のない家は、もはや考えられません。
しかも、一戸単位で自給するのではなく、外部から熱源や水などを供給されるかたちになっています。
以前は、電気はランプ、ガスは薪、水は井戸といったように、各戸の独立性がありました。

 トイレについても、現在は水洗式になりました。
ジャッと水を流すと汚物はたちまち消え去り、あとはどこへいったか、皆目想像もつかないやり方が一般的になっています。
しかし、かつては事情は全く異なりました。
自分たちの排泄したものは、下のほうにいつまでも残っていました。
昔も今と同様に、汚物は臭いものでしたから、トイレは主屋からはなした別棟としたり、北の隅の一番遠くて、寒い場所に設けました。

 家庭へ供給される水道とは逆に、家庭から排出される汚水や汚物も、終末処理施設とは連結されてはいませんでした。
トイレの下に貯糞槽をおき、たまってくると肥おけに移して、田や畑へともっていかれました。
現在では、水洗便所を良いもの、衛生的なものとして、その普及に努めています。
しかし、公共下水道のないところでは、いまだにトイレの下に貯糞槽をおき、一カ月に一度のくみ取りタンク車の出動を待っています。

 本来、公共下水道のないところでは、水洗便所は設置できないのですが、実際には水洗式便器を使用している家庭が多いはずです。
これは公共下水道の末端に用意された終末処理場を、小型化した浄化槽と呼ばれる装置を、各家庭の敷地内に設置しているためです。

 浄化槽と呼ばれる装置は、決められた手入れさえきちんとすれば、相当高い性能をもっています。
浄化槽をでたきれいな汚水(?)は、とても清潔で、池に流して金魚をかうくらいのことは充分にできます。
しかし、汚物を浄化した水ですから、何となくきたない感じがしますから、普通は雨水や雑排水と一緒にして、排水溝へと流しています。

 各戸が独立性を失って、集中施設と連結されるに従って、近代的で衝生的な生活ができるようになってきました。
水洗トイレになって、寄生虫の害もなくなってきたのは事実ですし、日本人の長寿化も、それとあながち無関係ではないでしょう。

 昔は北側のもっとも暗く、寒い場所にあったトイレも、水洗化に伴って、主屋のなかにとりこまれ、明るくなってきました。
床も、室内一般の仕上げと同じになって、随分と快適にすごせるようになってきました。
しかし、それでも襲い冬の夜半など、温った寝床のなかからはいだして、トイレヘ行くのはいやなものです。
寒いとわかっていても、これはとめることはできません。

 我慢に我慢をかさねたあげく、一大決心のもとにトイレにおもむくことになります。
そして、ホッとして、そそくさと布団へ戻り、ああやれやれと再び寝入る次第でしょう。
おそらくこうした体験は、すべての人に共通のことだったと思います。
最近では、ひょっとすると、トイレに小さな暖房器すら備えてあるかも知れません。
けれども本当のところ、やはり寒い冬のトイレは難儀なものであるのは、昔も今も変わりありません。

 かつてのトイレにくらべれば、現在のトイレは明るく暖かく、衝生的で、臭いもしません。
ひょっとすると、お湯でお尻を洗ってくれる装置まであるかも知れません。
とくに設計者が、トイレの設計にかかわっていれば、快適な排泄空間をつくるべく努力していますから、それはそれは美しいトイレができているはずです。
贅沢だと思われた、1家に2つのトイレとか 3つのトイレは、もうとっくに実現されていますし、1室に1つのトイレの時代すらもう眼の前です。

 匠研究室もトイレに関しては、うんちくを傾けて設計します。
水洗トイレを流した時の音はどう止めるとか、トイレにも収納のための戸棚を設けようとか、トイレの暖房は何が良いかとか、小さな本棚もあると便利だとかさまざまに考えます。
しかし、人間の排泄のメカニズムは古来から不変です。
これからも変わることはないでしょう。
工夫するにしても、しよせん限度があります。
ですから、せいぜいトイレのなかから庭がみえるようにとか、トイレの床下に池がみえる、といった小手先の工夫にしかならないのは当然です。

 このトイレの章では、新しい提案をするのが困難です。
それゆえ、ここでは視点を変えて、トイレそのものではなしに、トイレをとりまく周辺を考えてみたいと思います。
前述のように寒い冬のトイレは、多くの人が同感してくれる体験だと思うのですが、しかし、世の中にはこの話を怪訝に感じる人もいます。

 なぜ、そんな察い思いをしてまで、トイレに立たなければならないのか。
寒いトイレは脳出血の温床だし、心臓によくない。第一、寒い夜中に温かい寝床からでるのは不快ではないか。
これは至極もっともな話です。
人間の歴史は、快適さの追求であると、言い換えてもよいくらいなのに、ことトイレに関する限り、いまだにこの不快さからは解放されていないのです。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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