考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

2. 玄 関   その1

 建物へと近づいて、その内部へ入るには、普通は玄関から入ります。
玄関は家の顔だという表現もあるとおり、通常一番よくみえる部分に玄関をもってきます。
そして、玄関には戸や扉といった建具がたて込まれて、それを開閉して出入りするのが普通です。

 玄関とは仏教用語で玄妙に入る関、つまり、俗から離れて聖なるところへと向かう関所という意味だったらしいのですが、今日では住宅への入口を玄関と呼んでいます。
ところで、玄関とは正確にはどの部分なのでしょう。
風呂場や台所が、ここだと特定できるのに対して、玄関は扉の内側のどのあたりを呼んでいるのでしょう。

 土足で歩く土間の部分だけを玄関と呼ぶのか、それとも、取継(取次)を玄関に含むのか、どうもはっきりしません。
現在のマンションやアパートには、取り継ぎと呼べるような場所はありません。
廊下のはじまりに、玄関らしき靴ぬぎ場がへばりついている場合がほとんどですから、ますます玄関はわからなくなります。

 日本の住宅は、道路からいきなり壁がたち上がって、その壁に進入口を切って玄関とし、人や物の導入をはかることはありませんでした。
まず、だいたい小さいながらも敷地境界に門をおきます。
そして、いくらか引いて路地としてから、玄関に至るという手続きをふみます。

 これは下駄ばきアパートやマンショソでも、同じ傾向がみられ、玄関の扉1枚で外の道路とつながる手法をとりません。
玄関のたった1枚の扉が内と外を分ける境ではなく、その周辺に曖妹な空間を作って内と外を分けています。

 治安の良いといわれる日本で、玄関の前にわざわざ門をおくのは、単に防犯のためというのでは、あまりにも説得力に欠けます。
しかも、日本の門や塀は乗り越えようという気さえおこせば、いともたやすく侵入できるような華著な作りのものばかりなのですから。

 鍵屋と泥棒の話は、人類の歴史と同じくらいに古いものだといいます。
鍵屋の技術と泥棒の知恵くらべは、どこまでいっても際限がなく、いくら精巧な錠前を作っても、優秀な(?)泥棒の前にはひとたまりもないという話もききます。
もちろん、銀行の大金庫の錠前はいくら頑丈でも、頑丈すぎることはなく、泥棒たちからしっかりと守ってもらいたいものです。

 住宅の鍵や錠前の話となると、ちょっと様子は変わってきます。
玄関の扉の錠前も、頑丈で精巧なもののほうがよいのは当然ですが、毎日家の人が開閉するのですから、簡単な操作ですむ必要があります。
あまり複雑な操作ですと、面倒ですからいちいち錠をおろしません。
開けっばなしとなり、錠前の役割を果たしません。
そして、建築建具のなかに使いますから、ある程度の誤差も許容してくれる程度の錠前でないと困ります。

 玄関の錠前だけ頑丈でも、他の出入口や窓が貧弱ではどうにもなりません。
そう考えてみると、住宅の玄関扉の錠前程度では、本職の泥棒たちの侵入しようという意思の前には、まったくといっていいくらい無力なのだと気付きます。
そして、よく考えてみると、人は頑丈な門や扉が閉ざされているから、無断侵入しないのではありません。
他人の家にはむやみと入ってはいけない、という気持の働きによって、無断侵入しないだけなのだ、ということは確認できるのではないでしょうか。

 
関守石

 お茶の世界には、小さな石ころをシュロ縄で結んだ関守石というのがあります。
これは、その石を庭の通路におくと、そこから先は通行止を表わすものです。
ほんの10センチにも満たない小さな石ですから、またいでその先に進むのはわけないことです。
しかし、茶人たちはけっしてその先へは行きません。
全員が関守石の役割を知っていて、その決まりを守れば、石ころでも錠前と同じ役割を果たします。

 現在は戦前にくらべて、物持ちや金持が多くなったせいでかどうかはわかりませんが、門扉や玄関扉にしっかり鍵をかけている家が多いようです。
防犯をまったく無視して住宅を設計することは不可能ですし、玄関扉には錠前を二つつけるのは当然のことです。

 しかし、玄関の作り方で本当に考えなければならないのは、物としての錠前や扉ではありません。
それは、人間の気配をどう処理するかということだと思います。
今日では、この気配という言葉はあまり注意されませんが、本論では重要な要素として今後も考える鍵となっていきます。

 都心部ではいざ知らず、郊外や地方へ行くと、いまでも玄関には鍵をかけないという家が随分とあります。
そのうえ、庭のほうへまわると、掃き出しと呼ばれる大きな窓も開いています。
近所への買物ぐらいなら鍵などかけたことがない、という家がたくさんあります。
そうした家へ知人、友人が縁側から上っていっても、その家の人は何のとがめだてもしません。
むしろ、近所の人たちとの親しさの表現として、当然のごとく思っているふしさえあります。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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