考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

13.設 備     その1

 建築は、大変古くからたてられてきましたが、そのなかに今日いう設備はまだありませんでした。
設備とは何かとなりますと、なかなかやっかいなので、ここでいう設備とは次の範囲をさすものとします。

@ 電気設備 A 給排水設備 B 衛生設備 C 冷壁居空調設備
D 防犯設備 E 防災設備 F 通信設備 G ガス設備

 このはかにも昇降設備(エレベーターなど)等他にもさまざまな設備がありますが、一般的な住宅ではこの程度でしょう。
これらの項目をよくみますと、いずれも明治になって普及したものばかりであることに気付きます。

 まず、電気設備です。
電気というと、すぐテレビや電気掃除機を思い出しますが、建築の世界でほ、こうした電気製品そのものではなく、電気製品を使用することができるような施設をつくることを意味します。
ですから、電気設備とは、極端にいうと、配線工事だということになります。
配線工事とは、道路に走っている電線から支線をだして宅地内へ引き込み、家中に電線をはりめぐらせることです。
この電線は、天井裏や壁のなかに施工されています。

 昔は、明るさは行灯や燭台でとっていました。
こうした照明器具は電線など不用で、どこにでももっていけたのですが、今日の照明器具は電線付きです。
水道の場合も同様ですが、明るさの源は家庭から離れたどこか遠くでつくられ、電線や水道管を引いて家庭に運ばれます。
そういう意味で、現代住宅は一軒で孤立して運営されることが、ますます困難になっています。
電気をとめられたら、家庭生活は停止でしょう。
現代人にロウソクや行灯で生活してみろといっても、もはや不可能でしょう。

 それに、電気は明るさとしてだけではなく、熱源(コクツや炊飯器など)としても使用されていますし、動力源(冷蔵庫や洗濯機など)としても使用されています。
ですから、電気がこなくなったら、何十年も前の生活に逆もどりです。
電気のおかげで、私たちは快適にすごせているのは、いかんとも仕難い事実です。
そして、この傾向は強まりこそすれ、弱まることはないようです。

 ここで、電気やガスが入る前の家庭生活を想像してみましょう。
朝は早くおきて、前日に仕かけておいたご飯の釜に火をつけます。
薪で炊くのですから、いまのようにスイッチをポンとはいきません。
それと同時に、味噌汁をつくり、朝食の準備です。
朝食がすむと、職場や学校へ出かけていきます。
家で仕事をする人なら、仕事場や店へ降りるところです。
その後、掃除、洗たくです。
かつては掃除も、朝ははき掃除にふき掃除、夕方ははき掃除だけではありましたが、毎日したものでした。
また、冷蔵庫もありませんでしたから、買物も毎日しなければなりませんでした。
冬の寒い時といっても、暖房は火ばち程度でした。

 それがどう変わったかは、もう改めていうまでもないでしょう。
かつては影さえなかったテレビやオーディオなど、まったく新しいものの登場すらあったのですから、最近50年ほどの変化は大変なものがあります。
しかし、ここで良く考えて下さい。
こうした便利な設備類は、人間の生活に不可欠のものではなかったということです。
もちろん、快適で便利なことにこしたことはありませんが、設備類が存在しなかった時代にも、私たちの先粗は生活していた事実は、確認しておけるでしょう。
また、現代でも、こうした設備の恩恵を受けないで生活している人びとは、地球上にたくさんいます。
そして、そうした人びとも、やはり立派に生活している事実も確認しておけるでしょう。

 こうした設備が不用だとか、使うのをやめようといっているのではありません。
時代が全体として流れている時、一人だけが時代に逆行するのは不可能です。
ここで考えたいのは、人間の生活にとって、何が絶対的に必要なのかを検討することです。
設備をふやせばふやすほど、快適で便利になるのは自明です。
つまり、お金をかけさえすれば、こうした設備は簡単に手に入れることができます。
設備が再度新しい設備を必要としてしまう、無限の回路に陥ることは別としても、お金を出しさえすれば良いのだから問題です。
本来、人間生活に不要だったものを、単に便利だという理由だけでとり入れる時、私たちは同時に何か大切なものを、失っていくのではないでしょうか。

 誤解を恐れずにいえば、家作りで本当に大切なものは、物としての家そのものをつくることではなく、その家に住む人びとの人間存在を豊かにすることです。
狭い家がなぜ悪いかは、近すぎる人間問の距離が、人間の拘体と精神の両面に渡って良くないからです。
狭い家、それ自体が家として、物的に悪いわけではけっしてありません。
そこに住む人間が、精神的にも豊かになれるような環境をつくることが、住宅設計ではないでしょうか。
それは、換言すれば、豊潤な空間づくりだといっても良いでしょう。

 誰にとっても良い何かを、無限に実現することは不可能です。
建築の世界でも、何をするにしてもぉ金がかかります。
そのお金とて、無限にあるわけではありません。
有限の建築費をどう使うかは、実は建築主なり建築主の依頼を受けた設計者の、価値観にだけかかっているといっても過言ではありません。
玄関にお金をかけるか、台所にお金をかけるか、また暖房設備にお金をかけるかは、ひとえに建築主のライフスタイル、言い換えると人生観にかかっています。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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