考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

14.外 観     その4

 今まで、家は雨風をしのぐという目的と、土地に固定されているという性格のために、どうしても硬い外観となってしまいがちでした。
また、人間を包むと言いながら、家は洋服のように着たり脱いだりできないし、また肉体に直接まとうものでもないため、中身である人間の生活を露わに示すことはありませんでした。
けれども、日本の名建築と称される家は、不思議とどれも柔らかい印象を与えるのはなぜでしょう。
もちろん、古い日本の建物は木材を素材としていたため、柔らかい印象を与えるのかも知れません。
しかし、匠研究室は素材の問題ではないと考えています。
おそらく、それは家の作り手が、つまり、建築主と実際に工事にたずさわる人々が、自分達の生活を大切にしたからだと考えています。

 洋服が人間の肉体を包むものであるのに対して、家の外観は、人間の生活を包むものだと匠研究室は考えています。
各人各様の生活を、これが生活だと限定できない生活を、やさしく包むものそれが家だと考えています。
生活ぬきの住宅は考えられません。
人がいない家は、まるで博物館に陳列された品物のようです。
ですから、家の外観は当然のこととして、生活する人の好みを自然のうちに、にじみだしてきます。

 地味好みの人は地味な洋服を蓮び、派手な人は派手な、また、豪華なものが好きな人は豪華な洋服を選んで身につけるように、家もその人の好みに従って作られています。
鉄骨のプレファブでも、和風の住宅はありますし、木造でも何となくバタ臭い雰囲気の住宅もあります。
鉄骨やツー・バイ・フオーと言った骨組みが、雰囲気を決定つけるのではありません。
えも言われぬ快適な雰囲気、人間性を豊かにしてくれる雰囲気、そうした外観こそ匠研究室が求めているものです。

 工業製品と異なり、家は人間が一軒一軒現場で手作りするものですから、精密機械のように精巧にはできあがりません。
家くらいの大きさのものに、0.1ミリや0.2ミリの施工精度を求めることは不可能ですし、また無意味です。
良い意味でも、悪い意味でも、家は人間臭くしか作れません。
手作りの品物が再度見なおされている今、家も手作りのものが良いと言えるのではないでしょうか。

 工業製品であっても、1960年頃までのデザインは、今になっても何とはない暖かさを感じさせてくれます。
おそらく、それは作り手が工業製品の販売後まで、手こたえを持ってデザインできた幸せな時代だったからでしょう。
家こそ本来、作り手と住み手が直接にかかわりあって作られるものでした。
自分の住む場所を自分の好みや趣味で染めずに、どうして、自分の人間性を回復することができるのでしょうか。

 作っている人達の手あかや息吹きが伝わってくるような家は、暖くそして長くつきあえる家でしょう。
こう言ったからと言って、匠研究室のやった家のドアの開閉が渋いというのでは決してありません。
また、工事中につけた職人の足あとがついたままの家を、建築主に引き渡しているのでもありません。
地味であっても、派手であっても、何処か人間臭い外観を実現したいと考えています。
家のデザインが人間から離れて、鑑賞の対象になるのではなく、むしろ、人間そのものでありたいものです。
どんなに豪華でも、またどんなに便利でも、そこに人間臭がないものは敬して遠ざけようと思っています。
家は人間が住むという当り前の理由により、人間味を感じさせる外観を作りたいと思っています。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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