5.建 具 その1
壁は、垂直にたち上がり、とり囲んだり外部との隔壁として、私たちを外気から守ってくれたりしました。
しかし、垂直な面は壁だけではありません。
とくに、日本建築においては、壁よりも大きな面積を占めるものがあります。
それほ建具です。
開口部の由来は、西洋と日本ではまったくと言っていいくらいに異なっていますが、そこに戸や扉といった建具と称するものが、建て込まれているのは洋の東西で同じようです。
(建具の具体的な製作)
建具といってまず思いつくのは、開き戸=扉と、引き戸=戸の二種類あることです。
一般に、開き戸つまり扉は西洋のもので、引き戸は日本のものだと思いがちですが、実は戸の発生として、もっとも古いのは、日本でも開き戸だといわれています。
ちょっと考えてみても、境界を仕切るために最初にできたのは、柴を集めた枝折り戸だと気づきます。
そして、それを杭に藤ヅルでしばりつけて、開閉させる開き戸が、できたのだろうとも想像がつきます。
竪穴式住居の時代を別とすれば、枝折戸がそのまま建築のなかに持ち込まれて、開き戸となったのではありません。
開き戸が建築のなかで使用されるためには、しっかりした開閉方法の登場が必要でした。
日本の建築のなかで、開き戸が一般化するのは、ずっと時代も下って明治以降だろう、と考えています。
建具自体の話に入る前に、壁との関係を考えておこうと思います。
建物の前にたった時、建物の印象を決定する要素はいくつかあります。
外形とか屋根のかたちとか色の組み合せとか、さまざまにありますが、壁はそのなかでも、もっとも大きなものの一つです。
前述のように、間取りも建物を決める重大要素の一つですが、決定要素ではありません。
むしろ、壁という垂直面のほうが、最初の印象に大きな影響を与えます。
石作りである西洋建築の窓つまり開口部は、壁に穴をあけて作りました。
ですから、どうしても大きくはできませんでした。開口部を支える石より大きくすると、開口部の上の石が落ちてしまうわけです。
しかし、柱と梁を骨組とする日本の建築では、柱と柱の間をうめるものとして、壁が登場しました。
柱と柱の間をうめなかった場合は、そのまま開口部となってしまいました。
ですから、日本では壁と開口部は、構造的には同じ重さで考えられています。
つまり、壁を構造体とは考えていませんから、同じところを壁にするのも開口部にするのも、まったく自由にできました。
石造りの建物では、壁量は圧倒的で、窓などの開口部は小さなものです。
しかし、柱と梁の建築では、壁よりも開口部のはうが多いといってもよいくらいに、開口部が多いものです。
そして、その開口部に障子や襖といった建具を建て込んでいました。
普段は余り感じなくても、年末の大掃除の時に、建具類をとり払ったりすると、その大きな開放感にはまったく驚くばかりでした。
一見すると、壁と開口部はまったく違うもので、異なった役割を担っていると、感じるかも知れません。
壁は動かないし、向こう側がみえない。開口部は、襖や障子が建て込められている。
動くし、場合によっては、ガラス戸として向こう側をみることもできる。と言ったように、表面上の性質は随分と違います。
しかし、実は壁も開口部も同じ役割を負っていると考えています。
もちろん、開口部には、建具が建て込まれているとしての話ですが。
つい最近まで、襖で仕切られた二間つづきとか、三間つづきという間取りを、よく経験しました。
こうした間取りは、人寄せの時に、その偉力を発揮したといわれますが、普段の日はどう使用されていたのでしょうか。
当然のことながら、襖一枚へだてただけで、隣が老人部屋だったり、子ども部屋だったりしたわけです。
少し前には、二間つづきは使いづらいといわれ、前近代的な間取りだと、軽蔑の対象にさえなりました。
しかし、実は二間つづきの間取り自体に、欠陥があったのではなく、住み手である私たち人間のほうが変わってしまって、使いづらくなっただけだと、匠研究室は考えています。
昔の人は、近所づきあい、人づきあいを大切にし、そのために、日常生活を犠牲にしてまでも、大きな二間つづきの部屋を作ったのだと誤解されます。
それは、二間つづきの部屋が、そうした時に余りにも絶大な偉力を発揮するため、二間つづきの部屋は、人寄せを第一目的として作られたと勘違いすることからきています。
二間つづきの部屋は、そこに住んだ人びとに、不自由を強いることなく、毎日ふつうに使用され、しかも、時折の人寄せの時にも便利だったと、考えたほうが自然ではないでしょうか。
便利さへの追求が、新しいものを生み出してきたとすれば、かつての人びとも、年に何回あるかも知れない人寄せのために、毎日使いづらいのを我慢してきたとは、とうてい考えられないからです。
もし、人寄せが不可欠で、しかも毎日の使用に不便なら、何か違う間取りを生み出してきたはずです。
|