考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

14.外 観     その2

 人類が最初に作った住宅は、窓すらあけることができなかったはずです。
その後、何人もの人々が工夫を重ねて窓をあけ、しかも、そこに建具をはめこんだのが家の歴史でしょう。
そして、今までは屋根も、雨が濁りにくい.単純な形を選んできました。

 田舎は自然のなかにあり、自立した自然人が、単純に家を建てて住んでいました。
田舎では住宅も自立していました。
水は裏の小川や井戸から、照明はろうそくやランプ、そして、燃料は薪と言った今や誰もが忘れかけているものたちが、家を支えていました。
(もちろん、その分だけ反対に、個人に対する村落共同体員としてのしめつけは強い)
こうした時代の家は、広い敷地に建っているので、外観もまる見えでした。
私達はそうした時代の名残を、今だに持っており、家と言うとどうしても図Tのような形を想像してしまいます。

 田舎からはみだした人間が、都市を作るようになってから事情は変わりました。
都市は何よりも人口密集地です。
最低の公共用地(通路や川など)を除いて、全て人の住む敷地となりました。
田舎ではゆったりと各戸が離れていたものが、都市ではもうすれすれとばかりに、くっついて建つようになりました。
そうしなければ、都市がこれほど多くの人々を住まわせることは不可能です。
西欧では、四階五潜と上へも伸びていきました。
こうなってくると、もはや家の全体は見ることができません。
かろうじて道路に面した側だけが、細長く見えるだけになってしまいました。

 田舎の住宅は一棟の建物に一家族が住むのを原則としていましたが、都市の住宅はそうではありません。
パリがその典型ですがアパートとして、最初から数世帯もしくは数十世帯が住む一棟の家として建築されました。
多世帯が共同して住んでいる都市生活者にとって、個々人が建物の外観を云々することは不可能でした。
また同じ理由により、建物の外観を自分好みに変えることなど思いもよらないことでした。
個々人にとっては、せいぜい窓辺に花をかざると言ったことしか、許されてはいませんでした。
それは人間が外観に住むのではないという自明の理由により、それでも良いことでした。

 どういう理由かは判りませんが、人間はどうも身のまわりを美しくしたがる傾向があるようです。
家の外観をいじることが禁じられた都市生活者は、内部へとその好奇心を転じ室内を豊かにする工夫をはじめました。
それは、家の内部をいかに住みやすくするかという設計でした。
特にパリのように、通りに面した側を変えることを禁止されると、余計に内部の充実に意は用いられました。
都市にも大金持ちは住んでいますから、アパートと言えども彼らの室内は、外観からはうかがい知れないくらいに贅沢なものです。

 内部の充実のためにも建築家は働いて来ました。
しかし、内部だけの改造であれは、建物の構造体まで手をつけなくても良いわけです。
そこで、建築設計の一分野であった内装設計が、やがてインテリア・デザイナーとして独立の職業と化してきました。
彼等は建築家が背負いこむような様々な制約、つまり法律や近防住民の反対と言った社会的な制約から自由であったために、次々と新しい内部を生みだして来ました。
そして、設計者たちが多くの利害にはさみ撃ちされて、それに足をとられている間に、内装設計者つまりインテリア・デザイナーなる人々が独自の領分を確立しました。

 内装設計の独立は、建築の内と外を分ける働きを持ってしまいました。
最初、外観は何部から窓をあけるという形ですすみ、内から外へと形作られたのに、インテリア・デザインの登場は外観とは無関係に内部だけで完結してしまいました。
そのため、内部の自立は、外部の自立を必然化し、内部と外部が意識の中では別のものとなりました。
そこではじめて外観という観念があり得るようになりました。
しかし、内部と外部というもともと不可分のものを分けてしまったため、内部と外部の統一を意識的に行なわなけれはならない仕儀に陥ってしまいました。

 そこで今日の私達は、外観を考えながら、別のものとして室内を組みあわせるという、不思議な状況に置かれてしまいました。
今やこの意識的な操作なしには、家の設計はできなくなってすらいます。
そこで設計者は製図板に向かう時(今ではコンピューターですが)、いつも室内から外に出たり、また室内に入ったりする意識作業を、続けなければならなくなってしまいました。
しかし、建築主はまず外観を見て、家を判断する習慣を持ち続けています。
その時、売るための商品化住宅は、外観をつくろうことに販路を見いだしました。
建売り住宅や住宅展示場の見本住宅は、見事なまでの厚化粧に身をかため、買い主や建築主の到来を待っています。
もちろん、こうした住宅も決定的な欠点はありませんから、充分居住に耐えます。

 私達の家に対する意識は、まだまだ田舎の感党をぬけられません。
都心の一等地に、邸宅を構え、庭の池に大きな金魚を泳がせるのが趣味とは、どこか違うと思うのは匠研究室だけではないと思います。
都市とは多くの人が密集して住む揚所であり、外観をまず問題にする発想からは、ひとまず自由になろうではありませんか。
すると、人間は室内に住むのであって、建物の外部に住むのではないという当然の理由により、室内の充実がまず第一だということに気づはずです。

 インテリア・デザイナーが誕生すれは、外部設計者つまりエクステリア・デザイナーが登揚しても良いはずです。
しかし、エクスチリア・デザイナーはおそらく登場しないでしょう。
今のところ、エクステリア・デザインは建築家の仕事として残っています。
本来一体であった内部と外部を分けたことは、さまざまな問題を生みだしました。
それは、あたかも一着の洋服の内側をデザインする人と、外側をデザインする人に分けたような具合です。

 建築家が家をイメージする時、外と内を常に出たり入ったりして、立体としての家を構想していきます。
ですから、外観は内部が必然的に外へと伸展して来たものであり、また同時に室内は外観が内部へと貫入して来ると言う、はなはだやっかいな関係です。
内部と外部は二律背反そのものです。
ですから、建築家にとってはインテリアだけを、またエクスチリアだけを別々に考えることはどうも苦手です。
むしろ、この矛盾する関係をそのまま持続させる緊張感こそ、優れた建物を生みだす基だと匠研究室は考えています。
この緊張感に耐えられず、外観だけのデザインに傾く時、その外観は人間から離れ、生命感のないデザインとなることでしょう。

 ここまで来て、この論は妙な具合になって来ました。
最初この論は、あなたのための家、それも土地付一戸建の家を前提としてきました。
ですから前述したような厨房論も可能でした。
しかし、都市における住宅が、高い人口密度を収容するために高層化したりして、アパートのような共同住宅となる時、各戸は土地から切り離されてしまいます。
そして、空中へと上昇せざるを得ませんでした。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

                    次に進む