考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

11. 居 間     その3

 時どき、誤解しますが、私たちは椅子の生活になれないのではありません。
下半身を、ちゃぶ台やテーブルで隠して相対する時、床が畳であるか否かは大した問題ではありません。
立っていようと、椅子に腰かけていようと、相手に自分の下半身をさらす時、私たちはなんとなく落ち着かない精神状態に陥ります。

 私たちは長い長い着物の生活史をもっていて、着物が体の髄までなじみきっているので、着物を着なくなっても、下半身をうまく仕舞えないのだと思います。
着物は体全体を大きく包みはしますが、上半身はその骨格を明示します。
袖が大きくふんわりしていても、肩から二の腕へと肉体の存在を明示しています。
胸高に帯をしめても、胴体以外の上半身の中身を個々に明示しています。

 しかし、着物を着た下半身は、2本の足がまとめて一緒に包まれており、洋服のズボンが示すような、2本足の表示はしません。
着物が隠した2本の足は、意識のうえで2本であることをやめ、胴体の延長として、単に歩くための機能を担ったに違いありません。

 手を含めた上半身の仕草は、無意識のうちにも美しくみせる動作を、仕付けられてきたのに対して、下半身は肉魂として、1本ずつあやつられることはありませんでした。
お尻の線から股にかけて、体形をはっきりとみせてしまうのは現代の着物であり、かつて普段着として着られていた着物は、下半身の体形を明示しなかったのです。
ですから、足が手と同様に2本であるとは、まったく気付かれなかったに相違ありません。

 こうした伝統をもった私たちの感覚は、いまのように洋服を着るようになっても、まだ下半身のさばき方を身につけてはいません。
それに対して、西欧人が椅子に座った時、自分の足を自由に動かし、まるで手のように組んだりする様は、下半身をも衆目にさらす彼らの長い伝統に裏打ちされていると知らされます。

 現代日本人が、椅子に座った時の脚の仕草のみにくさは、限をおおうばかりです。
机の下で、衆目にさらされないのを良いことに、靴をぬいだり、足を曲げたり大変なものです。
そこには、無意識のうちにも、美しくみせる心配りはまったくありません。
日本人が、下半身を美しく所作できるようになるには、まだまだ長い時間が必要でしょう。
その時まで、下半身をさらすと落ち着かない心情は、ずっと続くことでしょう。

 話を一方的に進めていると、感じられるかも知れません。
宴会などで車座になった時、戸外での花見の時、日本人はあれほどリラックスするではないか、と反論されるかも知れません。
確かに、箱膳や銘々膳また花見の宴では、下半身もみえはします。
しかし、床にお尻をつけたどんな座り方に、足の所作が必要なのでしょうか。
折り曲げられて床の上におかれた足は、足であることをやめ、意識を通わす部分ではありません。

 足はもう、どんな演技もしていません。
足は見えていても、もはや動作はなく、長さも太さも不明となります。
だから、足は床に座ると、意識のうえではおちてしまい、みえないものとなってしまいます。
畳の上に座った人間どうしが対面した場合、目がそそがれるのは上半身だけです。
こうした状態なら、安心していつまでものんびりできるのが私たちです。

 ソファは、下半身を2本の足として明示しますから、私たちには若手な家具です。
ソファにゆったりと腰をおろしての一家団らんの図が、どうしても様にならないのは、多くの日本人が同感するところでしょう。
ソファの上であぐらをかいた時、どうやら少し落ち着くのもこの辺に原因があると推察しています。
また、コタツが異常にもてるのも、簡便な暖房器具であるというだけでなく、下半身を隠してくれる家具だからです。

 それともう一つ、ソファは本来深々と腰を下ろすべき椅子です。
しかし、私たち日本人が、ソファに深く腰をおろすと、どうしてもふんぞり返ったような姿勢になってしまいます。
すると、何だか相手を見下しているような気分になりまサ。
これも、ソファに座っては、相手と平穏な関係がつくれなくなる原因かも知れません。

 この辺で、私たちは本音で家作りにとりくむべきです。
ソファが外来のもので、何やら格好良さ気に宣伝されているからという理由だけで、ソファを買う、またはソファをおいた居間をつくる愚は、もうやめようではありませんか。
確かに、家作りは夢の実現といった面もありはします。
永年かけてためた大金を投ずるのですから、あこがれを実現したいのは良くわかります。

 完成した家へ何年か後に行ってみると、あの時あれはどあこがれたリビング・ルームやソファが、居間としてははとんど使用されておらず、台所の片すみが家の中心になっていたりするのをみると、やはり堅実な家作りこそ、求められるべきだと思えてなりません。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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