考える家   気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

  9. 厨 房    その3

 本職たちの厨房は、システム・キッチンのような収納はしません。
ナベカマやオクマのような調理用具は出し放しです。
コンロの近くにフライ返しや菜ばしをつるしておしまいです。
これは、本職たちの場合、料理の専門化が進んで、天ぷらなら天ぷらだけ、中華なら中華だけという狭い領域の料理しかつくらないため、案外と数少ない道具ですんでしまうからかも知れません。

 家庭でつくられる総菜料理は、無限に広い範囲に散らばって、カレーのようなものから、煮物、揚げ物、鍋物などさまぎまです。
そのため、多品種のナべカマや道具が使用されます。
しかも、それが毎回使用されるのではなく、何日かおき、極端な場合は、季節に一度しか使用しないことすらあります。
そのため、本職たちのように出し放しにはできないのでしょう。

 夏は鍋物は食べないし、冬はガラスの食器は使用しないという条件は、本職たちの厨房より過酷なことかも知れません。
そして、来客用の食器類や趣味の料理道具となると、家庭の厨房は本職たちのそれより、多種類の道具をもっているかも知れません。
こうした事情によって、家庭の厨房は大量の収納場所を必要としているのでしょう。

 昔の厨房との最大の違いは、食事内容の変化に求められます。
昔の毎日の食事といえば、一汁一菜程度だったものが、最近は一汁三菜にも五菜にもなり、それを準備するための厨房が求められました。
白いご飯が、日本人全員の口に入るようになったのほ、そう昔のことではなく、戦後の食管制度以後の話です。

 かつての食生活は、それはそれは貧しく、日本人は皆一様にやせていました。
群馬のおきりこみ、山梨のごほうとうなど、いまでいう郷土料理は、貧しく食べる物の少ない地方で、多くの人が生き残るために生み出された苦肉のものでした。

 こうした料理とも呼べるかどうかもあやしい食べ物は、少ない什器、少ない食器でも作ることが可能だったことでしょう。
田舎料理ばかりではなく、都会の庶民といえども事情は大同小異、野菜の煮物に、味噌汁とご飯という本当につつましい食事でした。
それゆえに、庶民は肥ることができず、肥っていることは金持のあかしですらありました。

 本論は、女中を何人も使うような大金持を、相手にしているのではありません。大金持たちは、いまも昔も調理人を雇い、豊かな食生活を楽しんできました。大金持たちは、厨房とは別に収納のための倉をすらもっていました。

 日本全体が少し金持になり、現在は庶民も豊かな食生活を享受しています。
そして、厨房も明るく美しくなったという次第ではあります。
しかし、二つのことが同時におこったため、どちらが原因で、どちらが結果かわからなくなってしまいました。
豊富な食生活を享受できるような厨房づくりが、明るく美しい厨房へと結果したのか。
もしくは、快適な労働環境の追求が、明るく美しい厨房を生み出したのか。

 本物志向といわれる昨今、食生活は本物志向しているでしょうか。
一見華やかになった家庭の食生活も、実は社会の仕組みが変化したからにすぎず、それはますます自然から遠ざかっているのではないでしょうか。
明るく美しい厨房は、女性の(男性が炊事をしても一向にかまわないが)炊事労働を著しく軽くはしたが、同時に自然の食物の味からも離れてしまいました。

 本職たちの厨房は、熱源こそ薪や石炭からガスに変わりましたが、それ以外は以前と変わらず、いまも同じように土間のままだというのは何を物語るのでしょうか。
近年の厨房の変化は、厨房本来の目的である美味なる食事作りという、機能からの要求によるものではないことを暗示しています。

 匠研究室がいままでつくってきた家庭用の厨房も、本当のことをいえばごく普通のものです。
冷蔵庫、流し台、調理台、ガス台と並べて、そのうえにつり戸棚を設けただけという厨房がほとんどでした。
もちろん、それはそれなりに工夫はしています。
けれども、根本的においしい料理をつくるための厨房設計ではなく、快適な労働環境づくりになっています。
しかし、厨房についても、本質的な検討をしなければならない時期だと考えています。

 流し台、調理台、ガス台の配置は1列が良いか、L字型が良いか、2列が良いかといったことではぁりません。
自然の産物である食べ物を、いかにおいしく食べられるように加工=料理するか、という側面から考えられるべきです。
それには、当然それを使用し、良くも悪くもその恩恵を受けることになるあなた、つまり建築主との協同作業になります。
場合によっては、食生活にはそれほど興味がなく、栄養さえ満足させられれば十分だ、ということもあるでしょう。
その場合には、むしろ冷凍食品を上手に使用する手段を考えたりして、早く調理できる厨房を設計したほうがよいはずです。

 夫婦が共働きという場合にも、単に本格的な料理づくりではない厨房設計が要求されるでしょう。
おそらく今後は、こうした厨房が模索されるでしょう。
なぜなら、家族が小さくなって、食事が個人的になされるようになってきているからです。
ここではこうした流れとは、少し違う角度から考えています。
おいしい料理をつくるための厨房でしたら、普通につくられているのとは異なった発想の、厨房設計が必要になってきます。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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