考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

7.ト イ レ    その3

 都市における建築が、衝生設備を伴わずに高層化してしまったために、排泄行為のための空間を用意できませんでした。
そこでは、建築としてトイレを持つのではなく、仕方なしに排泄のための道具=壷を生み出しました。
冬は寒さの厳しいヨーロッパで、排泄のために1階までおりてくるのは、大変な難儀であると想像できます。

 空間を個人が所有するのは困難ですが、道具であれば個人所有が可能です。
道具は元来、個人の所有ですから、洋式便器が現在でも個人所有(1寝室1パスルーム)の傾向が強いことはうなずけます。
その壷が、現在の洋式便器へと連らなっていくのですが、そこに至るにはまだ苦い経験をしなければなりませんでした。

 人口密集地帯で、糞尿を各自勝手にばらまけば、どういう事態になるかは容易に想像がつきます。
当然のことながら、西洋の都市では伝染病がはやり、不街生この上ない状態が現出しました。
日本式や中国式のように誰かが回収してまわるシステムをつくれば、問題はなかったのです。

 誰もが勝手に道路へとぶちまけていたのでは、病原菌をまきちらしているようなものです。
伝染病にほとほと手をやいた西洋の都市では、地中に下水道を通し、そこへまとめて汚物を捨てるようにしました。
まず、街の角かどに下水道へ通じる穴をあけました。
市民は、そこへ汚物を投げ入れればよくなりました。
いままで道路にぶちまけていたものを、下水道へ入れたのですから、道路はずっときれいになりました。

 進歩はここで止ったのではありません。
下水道を、支線というかたちで延長して、家庭のなかへとひっばりこんできました。
家のなかに、ポッカリあいた下水道口へと汚物を投入すれば、あとは流れてくれるようになりました。
そして、下水道の末端では、終末処理場が建設されて、汚水の浄化が行われました。
そして、家のなかに入った下水道への口は、雑排水や汚水の発生源と、次つぎと接続されていきました。

 壷の腰かけ型便器から、いまいうところの洋式便器へと発展するためには、もう一工夫が必要でした。
家のなかへ入った下水道が万能なものなら、そこへ直接便器をとりつけて、脱糞すれは良いようですが、そうはいきませんでした。

 中国の人びとが、夜壷を洗い場へもっていったのは、単に汚物を捨てに行ったのではなく、夜壷自体を洗う必要があったためでした。
つまり腰かけ型便器を、直接下水管に連結しただけでは、便器自体が清潔に保てません。
汚物の処理以外に、便器自体を清潔に保つ工夫が必要でした。

 そこで、登場してきたのが水洗便器でした。
おそらく、最初は上水道と連結はしておらず、人力で便器を洗ったはずです。
それが、上・中水道の整備に伴って、自動的に便器を洗える装置が、発明されてきました。
水洗便器は、汚物を水で洗い流すから水洗ではなく、便器を水で洗うという意味での水洗便器が登場してきました。

 上・中水道と下水道とが、連動して働くものとしての洋式便器となって、腰かけ型便器は一応の完成をみます。
それは、今いうところの洋式便器です。
ですから、今日では、洋式便器とは単に腰かけ型便器をさしていうのではなく、その背後に体系化された都市型住宅の排・汚水浄化システムの一部として、理解すべきだと考えています。

 上水道の普及に負うところが大だとしても、洋式便器のシステムは基本的には、汚物を窓から捨てるという、西洋都市の生み出した汚物処理方法です。
今日でこそ下水道の末端に終末集中処理施設を設け、浄化して自然に戻していますが、当初はそのまま川などに流していたのです。
洋式便器のシステムは、自然のリサイクルとは無関係に、人間の排泄物は汚物としてあつかう近代の衛生思想に、しつかりと裏打ちされていました。

 それに対して、しゃがむ人びとの生み出した文化は、全く異なったものでした。
ほんの50年ほど昔つまり戦前は、都市近郊の農村部から、大八車に肥桶をつんで都心部へと、糞尿をもらいに農家の人びとがきていました。

 たとえば、匠研究室のある登戸附近からは、二子玉川まで下り、二子の渡しを舟で渡り、渋谷あたりまで行ったそうです。
これは1日仕事だったと、ある老人からきいたことがあります。
また、当時は糞尿は無料ではなく、農作物などのお礼をおかないと、次から汲み取らせてくれなくなったそうです。
渋谷は都心ではありませんでしたが、おそらく東京中が大同小異だったことでしょう。
都心部でも、事情は変わらなかったことと思います。

 この事実は、腰かける人とは違った、しゃがむ人の文化があったことを示しています。
中国のように、夜壷を毎朝集めるのと違って、貯糞槽に糞尿を集めることができたのは、人がしゃがんで排泄したからです。
排泄の道具を個人所有として、各人勝手に排泄をしたのではなく、しゃがむ人は個人が所有できない空間というかたちで、排泄の場を特定しました。
そして、空間の使用を約束事として、無形のかたちで共有しました。

 しゃがむ人は排泄の道具ではなしに、排泄の場所を特定しました。
そのために、排泄物が1ヶ所にとどまったわけです。
もちろん、人糞は肥料として有効だから、1ヶ所に集めたと考えることも可能です。
しかし、肥料として使用することと、1ヶ所にとどめたことは実は両方ともが、原困であり結果であるのではないでしょうか。

 いやむしろ、しゃがむスタイルが場所を特定したから、貯えることが可能になり、それゆえに、収集できて肥料とすることができた、と考えるほうが自然だと思います。
人糞は肥料になるから1ヶ所に集めたのだと考えるのは、少し無理があるようです。

 どちらにせよ人糞を肥料とするのは、大変な発明でした。
農耕民族である日本人は、土地の再生には肥料が不可欠であることを、早くから知っていたようです。
化学肥料のなかった昔、近代の衛生思想のごとく、人糞を単に汚物と考えていたら、日本の土地はたちまちやせて、農耕民族の歴史は断たれていたかも知れません。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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