考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

7.ト イ レ    その2

 世の中は広いもので、この不快さとは無縁の人びとがいました。
寝床からでないで用が足せれば、実に安楽で快適ではないか、ということに気付いた人たちがいました。
そう、それは溲瓶を使用することでした。

 日本では、病気の時ぐらいしか溲瓶は使いません。
私たちは溲瓶の使用にはなれていませんから、溲瓶というと奇異な感じを受けます。
がしかし、実はここに偉大な発想の転換があります。
排泄の人体メカニズムこそ不変であっても、排泄のスタイルは古来不変ではありません。
むしろ、その時代、その地方の文化の様相と、密接にからみあった地方色の強いものです。

 すでに忘れられていますが、女性の立ち小便は、サニタリースタンドの輸入によって始まったのではありません。
農村部では普通にみられた風習でした。
日本人の女性が、パンツというかたちの下着をつけるようになったのは、最近のことです。

 着物時代にはパンツはつけませんでしたから、女性の立ち小便も可能でした。
しかし、現在では、立ち小便は男の専売となり、女の人は大小共にしゃがむ姿となっています。
もちろん、洋式便器にまつわる日本人の悲喜劇が、たくさんあるものの、排泄の姿の地方性の証明となっているでしょう。

 夜のトイレの話に戻って、中国の例です。
李家正文氏によりますと、寝床の脇に夜壷や馬桶という用具を用意して、用をたしたそうです。
朱塗りや陶器製のそれは、寝室のアクセサリーとしても、愛敬ものだったとのことです。
そして、朝になると、屋外の洗い場でそれを洗うのだそうです。
都市部で洗い場のないところでは、毎朝収集車がまわってきたとのことです。
この話はいろいろと示唆に富んでいます。

 まず、便器のかたちです。
いま、私たちは通称和式と呼ばれるかたちと、洋式と呼ばれるかたちの便器をもっています。
洋式のほうが、何やら衛生的だとのイメージをもちつつ優勢になっています。
両方ともに、同じ便器ではありますけれど、本来は別の発生だったと思います。
和式、洋式ともに現在では陶製がほぼ独占しており、公共トイレでステンレス製が時どきみられる程度で、他の素材は見当りません。

 陶製便器のない時代は、一体どうしていたのでしょう。
和式の起瀕はすぐ想像がつきます。
ただ二本の板さえ渡せば良いのですから、原型は簡単です。
ですから日本人には、男女共に排泄のための用具や設備は、不用だったと考えられます。
しかし、洋式便器の原型は複雑です。
少なくとも、腰をかけるための道具、つまり椅子状のものが必要です。

 洋式便器は、中国の夜壷や馬桶と同じ起源でした。
現在とは異なって、管によって排水されるのではなく、単なるポータブル便器でした。
いまはもうそのようなことはありませんが、パリでも腰かけ式便器が朝になるともちあげられて、アパートの窓から下の通路めがけて、一斉にこぼされたらしいのです。

 中国では収集車がまわって集めた汚物を、パリでは道路へとふりまきました。
しかし、パリに限らず、高密度で人間が生活する都市での、排泄物の処理は実は大問題でした。
便器の問題よりも、それをどうやって自然に返してやるかというのも、都市のかかえた難問でした。

 トイレ自体の話に戻って考えてみますと、和式便器を生み出した日本の排泄習慣は、単に便器の問題をはなれて、俸大なトイレ文化を生み出しました。
それは、夜壷といい、腰かけ式便器といい、すべて道具であったのに対して、和式便器は床にくっついたものとして発生してきたことです。
現在でこそ和式便器というかたちに特定できますが、その発生は便器という道具ではなしに、排泄のための場所として考えられていました。

 日本では厠という排泄のための特定の空間を生み出だしたのです。
ベルサイユ宮殿にトイレがないのに対して、日本の宗教建築には東司、西浄、雪隠という、そのためだけの建物が用意されていました。
使用されたかどうかは不明ですが、多くの茶席にも、また日光の東照宮にも、厠としての建物や部屋があります。
庶民の住宅にも、農家では主屋からはなれて、厠をもっていましたし、都市部の商家でも厠をもっていました。
もちろん、こうした古い厠にも便器がついていますが、多くは木製で床に固定されたものでした。

 ここで1つの仮説が導き出せます。
それは和式便器を生み出し、使用した人びとをしゃがむ人と呼ぶとすれば、彼らは排池のために夜壷のような特定の道具ではなしに、しゃがむための場所を必要とし、生み出したのではないかと推論できます。

 しゃがむ人びとが、野原に野営したりすると、彼らはある特定の場所を厠とし、どこでも各自適当にという具合にはしません。
ある時は、厠のためだけの天幕を張ったりします。
もちろん、なかには何の道具もありません。
ここでも、しゃがむ人びとは、排泄のための専用空間を必要としていることがわかります。
しかも、興味深いことには、しゃがむ人は、この空間を1人で占用したがる傾向があります。
簡単でもよいから囲われた1人だけの空間、これがしゃがむ人びとから求められたものでした。

  使用時は、扉の方を向いてしゃがむ

 それに対して、洋式便器つまり壷型便器を生み出した人びとは、最初から腰かけていたのではないと思われます。
人口密度の低い場所に住んでいた頃は、彼らもやはりしゃがんでいただろうと思います。

 洋式便器といって、西洋ではこれ以外にはないように思いがちですが、そうではありません。
パリのカフェのトイレは、右図のような和式によく似たしゃがみ型ですし、ロ−マはバチカンのサンピニトロ大聖堂の屋上には、しゃがみ型の公衆便所があります。

 現在のヨーロッパでは、確かに大多数は腰かけ型です。
しかし、腰かけ型便器は、西欧市民社会の確立と、換言すれば、都市の成立と並行して発生してきた近代の産物ではないかと想像しています。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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