考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

5.建 具    その2

 長い時代に渡って、一軒の同じ家が持続的に使用されつづけたのは、家を人に合わせるのではなく、家に人を合わせていたからだといいました。
しかし、不変の家を使用するためには、やはり今とは違う何かがあったはずです。
それは、ある種の約束事を家の人びとが、共有しているということでした。
そのために、現在からみると住みづらそうな家も、何百年の長きに渡って使用されてきました。

建具の具体的な製作

 たとえば、トイレに入る時は必ず扉をノックして、不在を確認してから扉を開くと、いう約束事を全員が実行すれば、トイレの扉には鍵は不用です。
脳出血などトイレ内での事故は、意外と多いものですから、むしろ鍵などないほうがよいくらいです。

 しかし、不在を確認するという約束事が、全員の約束となってない場合、もしくは、その約束が必ずしも守られないとすれば、トイレの鍵は必要だということになります。
また、排泄の時の姿を他人にみられても、羞恥心がわかないとしたら、トイレの扉には鍵が不必要だということになります。
羞恥心も無意識の約束事です。
トイレに関しては、後で詳しく考えてみます。

 壁には遮音性能を期待していなかった、とは前述しました。
壁は単に、向こう側をみせなくする役割でした。
すると、建具つまり襖や板戸も、向こう側がみえませんから、壁と同じ役割をもっていたと考えられます。
ただ、違いはその壁が動くかどうかだけです。

 一度閉じられた襖を開く時には、何か理由が必要だったり、また、襖を開く時には、中の人に声をかけてからという生活習慣=約束事があると、その襖は壁と同じ意味をもってきます。
深夜もう寝入ってしまってからや、病人が寝ている時は、襖を開いてはいけないと、全員が約束していれば、その襖には頑丈な鍵がついているのと変わらなくなります。
開ける人がいなければ、襖は壁と同じものです。

 同じ建具といっても、障子の場合は、違う役割をもっていました。
障子は私たちの意識のなかでは、向こう側が見えるものとしてあつかわれています。
明り障子との名もあるとおり、障子は明るさを取り入れるものです。
この光を通すかどうかの違いが、同じ引き戸建具でありながら、襖や板戸とは異なった使い方をしてきた理由です。

 障子は、けっして部屋と部屋の仕切りには使用されず、いつも廊下と部屋との境に用いられてきました。
紙を通して、こちら側へとこぼれる光は、向こう側の様子、言いかえれば気配を運んでくれます。
気配を感じると、こちら側にいる私たちは向こう側を予測します。
そして、障子の近くに立った人の影は、障子紙のうえに影を作り、なかにいる人にその存在を感じさせます。
すると、なかにいる人は、もう向こう側がみえたものと了解します。

 色は光にあるとは、印象派の発見なのでしょうが、私たちの先祖は、光こそ存在の証明者であり、光をもって存在を可視と考えていました。
これを無意識の約束事として、共有していました。
闇が絶対零の世界で不可視とすれば、光は私たちの存在証明とすら考えたのが障子の発明に結実しました。
光に対する信頼が、部屋を二つに仕切る場合でも、壁ではなく、襖を使用させました。

 部屋と部屋の境には、けっして障子を使用しませんでした。
私たちの先祖は、実際に見えるかどうかではなく、光がもれ来るかどうかをもって、可視か否かを判断しています。
壁にぶつかったという諺が、向こう側がみえないことに対する不安だとすれば、障子は向こう側がみえる安堵感の確保です。

 障子の向こうは実際にはみえませんが、私たちの意識のなかでは、みえているものと自覚されています。
私たちは、襖と障子をつい同じ開口部と、考えてしまいがちですが、本当はまったく違う役割をもっていました。

 極論すれば、襖はむしろ壁と同じであり、障子は単に空気の移動を止める膜でしかありません。
意識のうえでは、そこにないも同然のものです。
ですから障子は、組子のデザインが命であり、紙はほとんど意識の上にはのぼってきません。
そうは言っても紙の質感も大切な要素ではありますが。
日本の壁は、本当に頼りないものですが、その壁と同程度に頼れるものが、襖や坂戸です。

 私たちは、長い年月にわたって形成されてきた生活上の無意識の約束事を、最近になって、どんどんと忘れてきました。
私たちの先祖は、開こうとする心の前には、どんな鍵もないに等しいことを知っていました。
そのために、こういう場合には開けてはいけないという約束事を持ち合うことによって、最強の鍵としました。古き良き共同体が生きていた時代の話です。

 これ以外にも私たちの先祖は、たくさんの紛束事を上手に使ってきましたが、ここ最近50年の生活変化はすさまじく、過去の約束事をほとんど、反故(ほご)にしてしまいました。
畳の縁や敷居をふまないという約束事も、畳や敷居のない家に住んでいれば、無用どころかわかりもしません。
もはや約束を守っても、その効果は期待できないし、むしろ、守るほうが馬鹿をみることになってしまいました。

 日本の住宅は、全体として完成したシステムとして体系化されており、しかも、それを支えるソフトウェアつまり住みこなすための約束事と対になって機能してきました。
こうした約束事を、復活するのはもちろん時代錯誤です。

 約束事が有効に働いていた時代には、無意識の世界に潜在化しているため、けっして自覚的にとりあげられることはありませんでした。
今日、そうした約束事が無効になり、約束事が顕在化した時代になって、約束事の総点検ができるようになりました。

 日本古来の扉は、現在の蝶番方式と異なって、軸吊りという開閉方法をとっていました。
これは現在でも、神社などで使用しています。建具の框の上下を円柱の角状に伸ばし、その角を鴨居と敷居にはめこみ、円柱の角を中心として回転させるものです。

 蝶番が柱や方立を頼りとするのに対して、鴨居と敷居という水平材を柏手に固定されるため、どうしてもピタリと閉じることができません。
扉のまわりから、どうしても光がもれこんでしまいます。
そのうえ、扉の重さを二点で受けとめるため、無骨な細工となりやすいこと、木と木がすれあうため、軸部の耐久性に問題があることなどの欠点をもち、軸吊りは住宅には使用されませんでした。


 城の大門に建て込まれる扉には、ひじ壷金物と呼ばれる開閉具を使用していました。
しかし、これも同じく外部での使用には耐えても、住宅の内部で使用できるはどにはデリケートな部品ではありませんでした。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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