考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

5.建 具    その3

 明治以降、開国によってさまざまな影響をうけますが、扉も開き戸が一般に普及するきっかけを与えられました。
江戸時代まで相当に高度な金属加工もできていましたが、どうしたわけかネジという考え方が発生しませんでした。
そのため、木工の世界でも、木ネジが登場せず、釘だけでした。
木ネジが登場しなかったことが蝶番の普及を阻止していました。

 蝶番を固定するのも、釘で可能なように思えますが、釘ではうまくいきません。
同じように二つのものを固定するのでありながら、釘とネジでは大きな違いがあります。
釘は木に打ち込みはじめは、まだきいていません。
何回か金槌でたたきつづけ、最後の一発を打ちきってはじめて、二つの材料を固定できます。

 途中では釘の性能は発揮されていません。
そのうえ、一度打ち込まれた釘をぬいたり、打ち込みの強さを調節することは、非常にやっかいです。
また、釘は横からのカには強くても、引きぬきの方向のカに抵抗するのは不得手です。
ですから、釘を打つ時は、両方の材料をしっかり固定して、一気に打ち切ってしまいます。
こうした釘の性質は、扉を蝶番で固定するには、不向きでした。

 蝶番で扉を吊り込むためには、何度も調子をみながら、微調整をします。
仮ばめをして、軽く調子をみて、またはずして錠前をつけたり、枠のほうにねじれがあれば、その調子をみたり、床に凹凸があれば、扉の取付け高さを調整したり、といった作業が必要です。
つまり、何度も扉をとりはずしてみることが、可能な方法でなければなりません。

 木ネジは引きぬきに対して、強力に抵抗しますので、蝶番の固定には大変好都合でした。
ですから、蝶番は木ネジの登場があって、はじめて使用が可能になったといえます。
もちろん、それ以前にも小さな扉には、蝶番が使用されてはいました。

 たとえば、針箱のフタや神棚の社の扉は、蝶番で開閉していました。
ああした小さなものは、両方の材を完全に固定できたため、蝶番を釘打ちで固定することも可能でした。
しかし、人が出入りするような大きな扉を固定して、蝶番をとりつけるのは困難で、当然のこととして、釘打ちで蝶番を固定するのは無理でした。

 日本では普及しなかった扉も、西洋の組構造の建物では普通の建具でした。
むしろ、引き戸をみつけるのが困難とさえいえます。
ネジがあったことと、石造の建物には、構造的に引き戸がなじまないことも、あったかも知れません。

 寒い地域に属する西洋では、窓が小さくてすんだせいもあり、壁に穴をあけて、窓や進入口を切り、その穴を再びふさぐように建具が建て込まれました。
日本の建具が、気配や視線などという、とらえどころのないものを遮えぎろうと考えたのに対して、西洋の建具は最初から、物体の侵入に抗するようにつくられました。

 それゆえに、扉自体が日本の建具に比べると、ずっと頑丈にできていましたし、鍵や錠前もしっかりしたものが用意されていました。
これは、他人の家に侵入してはならないという約束事を、共有できない世界では当然のことでした。

 さまざまな人種闘争や宗教戦争のつづいた西洋では、家が他からの侵入を防ぐ砦だったわけですから、扉は頑強である必要がありました。
そして、開口部といっても、進入口つまり玄関などの扉と、窓とははっきりとその目的が区別されていました。

 西洋では、人が通るためにあけられたのが扉でした。
窓はあくまで採光や通気のためであり、床まで開いた掃き出し窓という考え方は発生しませんでした。
人や物が通れない部分は、たとえ向こう側がみえても、それは壁でした。

 ですから、最近になってガラスが発明されて、石壁のかわりにガラスが建て込まれても、人が通れなければそれは壁だと考えるようです。
人や物自体を中心として、扉を考えてきたため、西洋の扉は頑丈になりました。
しかし、日本の建具は、気配を対象として発達してきたので、象徴的なかたちで残り、本当に華奢なものとなりました。

 

 柱と柱の間をうめるものとして考えられた日本の引き戸も、実際に引き戸を開閉させるには、また、長い苦労がありました。
襖や障子のように、板状の建具をつくるのも大変だったのですが、それがつくられたとしても、それを柱の間に建て込む仕組みを、つくらなければなりませんでした。

 現在ですと、溝カンナで簡単に溝を掘ってしまいますが、カンナができたのは室町時代といわれていますから、それ以前は溝を掘ることができませんでした。
そこで、敷居や鴨居に溝を掘るのではなしに、細い木をぶつけて溝をつくったのでした。

 現在では、これを茶縁溝と呼んで、特殊な場合にのみ使用しています。
また、鴨居はともかく、敷居は長年使用してくると、すり減ってしまいます。
その減りを防ぐために、溝の底に堅木(桜や樫)を埋め込むような細工もなされました。

 現代はすべてが安直になり、外見だけが判断の対象にされやすいため、内部からしっかりとつくらなければならない襖などには、どうも手ぬき仕事が横行しているようです。

 本来、襖は骨のうえに何重にも紙を張ってつくるもので、大変しっかりしています。
子どもが蹴とばしたくらいでは、やぶられるものではありません。
けれども、なかに何枚張ってあっても、外見はそう変わらないため、安いほうへと建築主の希望は流れていき、いまや昔どおりの襖をつくれない職人もいる有様です。

 かつて匠研究室がある寺院に使用した襖は、設計屋もほれぼれするくらいにしっかりした、しかも上品なものでした。
それは表紙を、汚ごしさえしなければ、何年でももつと思われるほどでした。

 現代の住宅で、気配を云々するのは、時代錯誤かも知れません。
また、はなやかな建築難誌の写真には、気配はけっして写りはしません。
しかし、気配を無視した建物は、陰影に乏しく、のっべりして模型のような仕儀に陥ります。

 現在では外部に面した扉に鍵をつけないとか、簡単にこわれてしまうような扉をつけることは、もちろん許されません。
日中でも玄関扉に鍵をかけ、他人の訪問にもドア・アイから確認してからでなければ、扉を開けられない時代です。
ですから、泥棒や見知らぬ他人に、神経質なまでの注意を払うのは当然です。

 かつては、選択の幅が狭かったためもあって、建具や壁を、適当に組み合わせて家をつくっていけば、自然と気配を内包した家ができあがりました。
けれども現在では、作為的に気配の処理を考えて設計を進めないと、なかなか趣きのある雰囲気には仕上りません。
外部に対しては用心深く、しかも、客を拒否することなく、内部においては開放的で、しかも各人の居場所のある家は、気配を上手に処理することを必要としています。

建具の具体的な製作


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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