考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

2. 玄 関   その3

 西洋の住宅が、優雅な螺旋階段を組み込んだホール付のロビーをもっても、それはあくまで入口でしかありません。
西欧の入口は、人という物体の侵入、移動に設計の対象が向いています。
ロビーは一望に見わたせますし、階段の手摺りに物陰を作るなどという芸当は見当りません。
いつも人間自体が中心として、設計されてきました。
そのうえ、西欧流のホールは、垂直に移動する装置である階段をとりこんだため、視線が上下に動き、動的な空間を作りだしました。

 日本の家屋の歴史は、二階建を生み出しませんでした。
少数ながら二階をもった建物も、二階部分が主な居室とならなかったため、階段が考察の対象になりませんでした。
私たちの気配の対象が、水平に広がるように鍛えられたため、平面上を横へもしくは奥へと継いでいくことには、大変練達しました。
けれども、垂直に意識を配ることは、とうとう体得できずにきてしまったようです。
階段参照

 私たちの先祖は、静的な寡囲気を好んだらしく、ダイナミックな室内空間は求めていなかったようです。
そのために、高い天井や階段をとり込んだ室内を、作らなかったのではないでしょうか。
つまり、水平に移動する視線は、静的な気配をとりこめるのに対して、垂直に視線を移動させると、動的な感じを生み出しやすく、破綻を来たしやすいと感じていたからだと思います。
折れまがって奥へとつづく廊下や、ほんの少しの高低差しか作らない庭園などでもわかるように、顔を上下しないでも一望できる風景が、私たちの落ち着いた心持ちにはよく似合っています。

 一軒の家を設計する時、どんな要求にも応えられる完全無欠の解答などありません。
大きな家は掃除が大変、税金が高い…、小さな家は窮屈だ…、大きい家は大きいなりに、小さな家は小さいなりに、私たちは無意識のうちに生活上の約束をして暮らしています。
その約束が、潜在化しているうちは、何の不自由もなく生活できます。

 約束をささえていた価値観が変化しはじめると、約束が顕在化して、ついには約束ではなくなってしまうことすらおきます。
最近では、玄関の設計は気配の処理だといっても、なかなか理解されない情況になっているかも知れません。
けれども、気配の処理を考えない玄関設計は、あさはかな印象を与えてしまいます。

 いままで、誰でも気がつく玄関の機能には、あえて触れないできました。
それは、日本の家が素足で歩くことを原則としているために、玄関に靴ぬぎ場を設ける必要があったことです。
そして、玄関がそのための場になっていたことです。
日本の住宅では靴をぬいで上がるものだ、ということは日本人にとっては当り前の約束です。
玄関で靴をぬぐのは、日本人ならごく自然のこととして行います。

 さまざまな生活習慣を、西欧から輸入した日本人も、靴のままの生活はとうとうとり入れませんでした。
日本は雨が多く湿気が高いから、靴をぬぐのだというのはまったく理由になりません。
日本以上に湿気の高い地方でも、室内は土足のままですし、雨よりももっと始末の悪い雪の地方でも、室内は土足のままです。

 雪国でも、汚れた外ばきのまま室内に入りますから、室内はすぐ汚れてしまいます。
カーペット掃除をまめにし、外から入る時は、玄関マットで靴の裏を入念にこすり、泥をおとします。
そうまでして、彼らは頑固に靴のままの室内生活をつづけています。

 現在でこそ、私たち日本人も皮靴をはくようになりました。
しかし、ついしばらく前までは、足袋にぞうり、素足に下駄といったはき物をはいていました。
古くからの日本のはき物は、その名のとおり、はいたりぬいだりするものであって、一日中足につけているものではありませんでした。
快適に歩けることが、はき物の第一の生命ではなく、脱ぐことを第一としたものにすらみえます。
簡単に着脱できることこそ、日本のはき物の生命だといったら過言でしょうか。

 最近は洋服を着るようになって、皮靴が普通になってきたため、玄関での着脱が大変な作業となってきました。
靴人種は、朝一度靴ひもをしめれば、もう夜になって床に入るまで、靴に触れることはありません。
ですから、ひも付きの靴でも不便ではなく、靴ひもは必ずしめます。
しかし、いつの頃からか、私たちの間では、靴のひもは単なる飾りで、ひもをほどくことなく靴の着脱が行われるようになってきました。
これらも、私たちの生活習慣からくる、靴生活の変化ではないでしょうか。

 玄関での気配の処理を考えることが、ここでいう設計の第一とすれば、玄関は靴をぬぐ場であると語ることは、玄関の機能を考えることになります。
いかにぬぎやすく、はきやすい場としての玄関のあるべき姿を捜して、玄関の設計を考えるというと、奇妙な感じがします。

 私たちは玄関にそうした機能を求めてきたのでしょうか。
靴をぬいだ生活を云々しているのではありません。
靴をぬいだ生活を前提としたうえでも、私たちは玄関に靴ぬぎ機能を要求していたのでしょうか。
武家屋敷の玄関に下駄箱があるのは、みたことがありません。
また、現代の家でもベランダや掃き出し窓から、つまり、玄関以外からも簡単に出入りする事実は、靴ぬぎ機能だけでは玄関が語れないことを示しています。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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