考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

2. 玄 関   その4

 玄関が、迎える人と訪れる人の出会いの場だとすれば、靴に手をかけ何分もかかってひもをほどくような儀式は、出会いの気分を中断させてしまいます。
出会いから挨拶、上がるという一連の動作のなかでは、下駄やぞうりのようなはき物は、その着脱に意識を配ることを要求しません。
ですから、相手にのみ神経を払いつづけることができます。

 着脱に手間のかかるひも靴は、挨拶のタイミングを実に間のびしたものにしてしまいます。
挨拶の間をとる、そうしたことも、いまや靴ひもを単なる飾りにして、いちいち結ばなくなってしまった原因かも知れません。

 なぜ、私たちが靴をぬいで生活するようになったかは、正直にいってわかりません。
けれども、私たちの住宅は、土足で歩くことを前提としてはいません。
気配の問題を上手に処理できたとしても、機能をまったく満さないという玄関も、欠陥のそしりをまぬがれないでしょう。
靴をぬぐことに付随した機能も、可能な限り満したいものです。
玄関はどの程度のしつらえをもてはよいのでしょうか。
4人家族として考えてみます。

  @ 1人10足として4人家族で40足分の下駄箱
  A 他に4・5足分のブーツ用下駄箱
  B 10本分程度の傘立
  C 6・7着分のコート掛
  D 姿見もしくは半身鏡
  E 小物置用の机
  F 小さな椅子

 他にもゴルフのバックやスキーも、玄関に物入れを作っておきたいところです。
たった1坪程度の玄関に、これだけの場所を確保せねばならないとは! 
私たちの玄関が靴ぬぎ場であり、それをいかに良く機能させるかを考えると、どうしても下駄箱や物入れは多くなっていきます。

 ある広さのなかで、玄関の機能を充実させていくのは、限界があります。
生活は西欧風、しかし、家のなかでは素足という使い分けが、かつての玄関を玄関たらしめていた要素を、容赦なく抹殺していきます。
私たちの生活が、半西欧風になってしまったため、どうしても歪んだ部分がでてきます。

 玄関で客と対応する様式にも、私たちはとまどっています。
かつての玄関は、土間の部分と取り継ぎの部分に、50センチ程の高低差がありました。
50センチの高低差を一歩で登るのは大変ですから、式台や靴ぬぎ石のような段を途中に設けてはいましたが、客が立つ土間と主人が立つ取り継ぎには高低差がありました。

 高低差は、客を迎えるほうが座って、対応するためです。
客は下足ですから、当然立っていますが、客を迎えるほうはへりくだって、客より頭が下にくるよう座って迎えました。
客を頭上より見下すのは、はなはだ具合が悪いものです。
客と主人の、ちょうどよい目線の高さ修正が、50センチという高低差でした。

 マンションやアパートの玄関は、全体の建物として1階当たりの階高が決められているために、そんな高低差をつけることができません。
しかたなしに、やっと10センチほどの段差をつけて、ごまかしていますが、こうした玄関は実に落ち着きの悪いものです。
主人が座ってしまうと、低すぎて目線が合わないし、立つと客を見下げることになってしまいます。
接客の約束が、よって立つ場がくずれてしまったために、私たちはとまどっています。

 住宅の設計に機能を考えることが、不必要だといっているのではありません。
先達の長い経験が、住宅は機能だとか、住む機械などという考え方を生み出したのだし、それはいままでのところ、歴史的必然だったと思います。
けれども、機能論もひとつの歴史的産物であり、その時代の考え方や生活の仕方に支えられて、一般化してきました。
そして、生活を支える一般常識が崩壊しはじめている現在、住宅設計を機能でだけで考えることは、もはや不充分だといいたいのです。

 機能や使いやすさだけを云々するなら、プレファブ住宅が最良です。
プレフアブ住宅は、もはやかつての安物というイメージもなくなっています。
プレフアブ住宅は工業製品ですから、実物実験をくり返して製品化しているため、大抵の不都合は解決されています。
プレフアブ住宅は投じたお金に見合うだけの機能は、充分に満してくれます。

 本論は、かけがえのないあなた1人のための家作りの話でした。
食事をしたり、睡眠をとったり、風呂に入ったりといったことは誰でもします。
しかし、立ったまま夕食をとる家庭は、ほとんどないでしょう。
つまり、日本人なら人間なら誰でもする動作や作業を、しやすくするための家作りを機能主義と呼べば、匠研究室は余り機能主義にこだわりたくありません。
人間工学的に考えつくされたといわれる自動車の室内が、醜悪なまでの過剰装備でうずめつくされている昨今です。
家も同じ道を歩く前に、家の本質的なものを求める考察を是非しておくべきです。

 玄関は家の顔だという言葉は、機能主義者からは否定されます。
この言葉の裏には、前近代的な家夫長的家族観が、色濃くこびりついているからでしょう。
匠研究室も、この言葉を余り歓迎はしません。
けれども、玄関が機能だけで考えられていない発想、という意味では近いものを感じます。

 設計の根本はその建物が独得にもつ、得も言われぬ雰囲気を作ることです。
玄関において、得も言われぬ快適な雰囲気を上手に作るには、気配へのたくみな対処によって得られると考えるわけです。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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