考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

2. 玄 関   その2

 戦前には、家に誰かがいるのを常としていました。
核家族ではありませんでしたから、家にはいつも誰かがいました。
年寄や子供が留守番をしていたかも知れません。
ですから、外からきた人は、気楽に家の人と対応できました。
そういえば、留守番という言葉も死語になりつつありますね。

 よく知った家なら、当然のごとく縁側から、その家に無断で入っても何のとがめもない。
これは建築のほうからみると、トンだことです。
たまたまその家が留守だと、そのまま帰ってしまうなどということも、行われています。
よく考えてみると、これは泥棒と同じです。
もちろん、泥棒は家のものをもっていってしまうのですから、結果はまったく異なります。

 ある空間を人間が、通過したという意味では同じことです。
違いはその人間の意思がどこにあるかだけです。
防犯を云々しようとしているのではありません。
建築としての家は、人間の生活様式に従うものだ、とだけいいたいのです。
そこで、生活様式を考えてみようというわけです。
生活様式とは、人間の意思によって支えられています。

 人間の意思の前に、物としての錠前や頑丈な玄関扉で頑強に抵抗するのではなく、人の意思自体をうまく処理できるよう、換言すれば、人の気配を相手にしたら、玄関の設計はうまくいくのではないか、と匠研究室は提案したいのです。

 日本の住宅は、道路からいきなり壁がたち上って、その一部に進入口としての玄関扉を、切ることはなかったといいました。
もちろん、一般論としてはそういえます。
しかし、都市部における町屋はそうではありません。
東京の下町にしても、京都の町屋にしても、玄関扉は立派に道路に直接しています。
人口密集地帯としての都市という意味では、日本の都市住宅も、玄関の前にあやふやな場を作ることが許されませんでした。

 江戸の人口の半分にも満たなかった武士たちとその家族が、江戸の全土地の70パーセントを独占していました。
そのうえ、全土地の20パーセントが寺社地であり、残る10パーセントが町屋用の土地でした。
ですから、人口の半分を占める町人たちの住宅が、どういう情況だったかは、おおよそ想像がつくと思います。
しかし、こうした町屋でも、玄関扉に頑丈な錠前をつけることはなかったようです。

 時代劇でおなじみの心張り棒が、錠前のかわりだった例もたくさんありました。
そのうえ、玄関扉自体も蹴とばせば、こわれてしまいそうなほど華奢なものでした。
それに対して、西欧の玄関扉は頑丈で、それにつく錠前も実に頑丈なものが作られました。
西欧と日本では、1枚の扉にこめる意味がすべて違っていたのです。

格子戸を開けると、下の景色
 

 日本の住宅は開放的で、内と外との区別が希薄でした。
また、壁は泥をぬっただけの構造でしたから、外敵の侵入には無力でした。
そこで玄関扉だけを頑丈にするのは、何の意味もないことでした。
これに対して、石造りの家は構造上から開口部が制約を受けるのと、建物の高い防禦性によって、玄関扉にも壁と同じものが求められました。

 西欧では、たった1枚の扉が内と外を明確に分ける境として働いてきました。
扉は気配などというあやふやなものを、対象にして作られたのではありませんでした。
西欧の玄関扉は気配など最初から問題とはせず、人や物といった物体の侵入をのみ防ぐべく、作られていました。

 日本の玄関は、物としての人間ではなしに、人の気配(入る人も家にいる人も含めて)を対象に作られてきました。
日本の玄関は、道路に面した門、それもなかを見透かせるようにした華奢で織細な門扉をもち、狭いながらも露地に連らなった奥にあります。
外部からの人は、奥にみえ隠れする玄関扉へと、視線を走らせながら、門扉をあけて露地へ立ちます。

 玄関の扉は、最近でこそガラス入りもありますが、ガラスがない頃でも、内部をかすかながらうかがわせるデザインでした。
そのうえ、玄関扉を開いても、視線はなかまで直達せず、途中に衝立などで何重にも緩衝させました。
入口から内部に至るまでに、何重にも気配を分散させたり、集中させたりしてきたのが、日本の玄関でした。

 もう忘れかけていますが、玄関では必ず内部の人が応待にでてくるのを前提としていました。
訪れる人と迎える人が、出会うための場が玄関でした。
つまり、玄関は面として入口としての門構えではなく、人が立ち合いうるための空間でした。
ですから、入口の扉から、土間および取り継ぎまでの空間を、一括して玄閑と呼ぶことが確認できると思います。
当然のことながら、そこに住む人がいない建物、たとえばデパートや市役所などには、玄関はないというべきです。

 私たちは実際にみえるかどうかではなく、向こうの気配を察することができた時に、みえたと考えました。
(これは建具のところで詳述します)
私たちは道路から門を経て、玄関に至る道中および取り継ぎに対して、一度として物体そのものの侵入を阻止しょうと、考えたことはありません。

 日本の玄関は、物体の侵入を阻止するためには、余りにも貧弱な防御装置でした。
そうではなくて、物体の侵入に先立つ気配への対応に意を用いたのです。
気配の侵入を許す場合と、気配の侵入を許さない場合です。
私たちは気配をまず対象にして、気配がうまく処理できれは、もはや対応しきれたと考えました。

 村野藤吾氏の設計による新高輪プリンスホテルは、客室と廊下を1枚の扉でだけ仕切るのではなく、その前にもう1枚枝折戸風の小さな扉をつけています。
これも、ホテルという洋風建物に和風の気配処理を持ち込んだ現われと、みることができると思います。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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