考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

11. 居 間     その7

 次に居間を洋風に仕立てることを考えてみましょう。
洋間といえども、台所との関係は新しい茶の間と変わらず、隣接している必要があります。
一時、台所と食堂の問の仕切りを取り去った、ダイニング・キッチンなるものがはやりました。
ダイニング・キッチンは、台所の片すみで食事をとるみじめな間取りだ、という批難があったとしても、食事をつくるほうにとっては実に便利なものでした。

 あまりに便利なため、食事が終わっても、なかなか居間のほうへ移動せず、ダイニング・キッチンが居間化する傾向もありました。
物を一緒に食べるのは、仲間意識を確認するもっとも有力な手段ですから、食事の場所がそのまま団らんの場へと、横すべりしていくことは自然なことでした。
テレビさえ持ち込めば、ダイニング・キッチンには団らんに必要なものは、すべてそろっています。
ちょっと手をのばせば届く茶道具、冷蔵庫、新聞入れ、小物置き……、ダイニング・キッチンは便利なものとして利用されました。

 ダイニング・キッチンの果たしたもう一つの役割を見逃すことはできません。
それは、ダイニング・キッチンが女権拡張に一役かっていたことです。
家長として絶対の権威を誇った男も、ダイニング・キッチンで食事をさせられるとカタなしでした。
主婦や女中の仕事場とされていた台所が、食事の場となり、そして、そのまま居間となったのは、家の中心が台所へと移ったことを意味しました。

 茶の間の家主の座から、台所の一隅へと主が移ったのは、核家族化と並行しており家制度の崩壊の結果でもあります。
古い生活には、上座下座といった位置が決っていたのに対して、新しい洋風生活には上下関係が意識されませんでした。

 家族の全員が同じ椅子に腰かけ、テーブルに向かい合う時、家族の全員は人間として皆平等だ、と無意識のうちに確認しています。
男性の家主権の没落は、相対的に主婦・女権の拡張に紡果し、家庭内の権威の構造が変化しました。
ですから、ダイニング・キッチンの普及は、男が台所へ入ったことと、テーブルの座席に上下がない(西欧ではある)という二重意味で、女権拡張の象徴でした。

 ダイニング・キッチンは最初、住宅公団の食寝分離政策として登場してきました。
それに入居した人びとは、用意されたダイニング・キッチンでは食事せず、寝室用として設計された部屋で食事をとっていたそうです。
いま、このダイニング・キッチンがすたれてきています。
それは、台所はやはり作業場であって、団らんの場ではないと認識されはじめたからでしょう。

 多くの家の台所には、さまざまな炊事道具や調味料などが、出し放しになっているのが普通です。
毎度調理すれば、そうなるのが当然です。
便利だと喜んでいた主婦たちも、ダイニング・キッチンが居間化するに及んで、台所を整理整頓しなければならなくなりました。
来客と一緒の食事となると、さすがにダイニング・キッチンヘ通すわけにはいきません。
毎日、家族だけが使用するなら、台所の片隅が居間や食堂であってもかまわないけれど、外の人にはそうもいきません。

 そこで、再度キッチンとダイニング・ルームが分かれはじめています。
キッチンは台所として独立し、ダイニング・ルームは居間と一体化をはじめています。
しかし、当然のことながら、ダイニング・キッチンの便利さを知ってしまった人びとは、台所と居間をできるだけ接近させようとしています。

 椅子の生活になれた人びとは、下半身さえ隠されていれば、テーブルに向かっての団らんを苦にしなくなりました。
食事と団らんを分ける必要も感じません。
そこで、居間に、団らんと食事用を兼ねた大きな(一畳ぐらい)テーブルをとり入れはじめています。
その大きなテーブルのうえで、何でもしてしまおうというわけです。

 食事はもちろん、子どもの勉強、新聞や読書、つくろいもの、アイロンかけ、といったことすべてを、この大テーブルですまそうと考えたのでした。
かつては、テーブルは食事用として、比較的小さなものが用意されましたが、いまや大きく可能な限り大きくなっています。
そして、大テーブルのまわりには、さまざまの収納装置を用意して場面の転換に備えています。

 この大テーブルは、自然にたどり着いた日本型洋式居間の理想型だと考えています。
つまり、西欧の設計思想が、目的別に専用の部屋を用意するのに対して、この洋式居間は何でも部屋として設定されています。
これは、洋間仕立てになった茶の間にほかなりません。

 かつての茶の間が中央にちゃぶ台をもち、食事が終わると、誰かが少しはなれて畳のうえに新開を広げたように、洋間になってもそのテーブルから、少しは離れるかも知れません。
しかし、それとても全身をさらしあう、ソファの3点セットが必要だとは思わないでしょう。
せいぜいロッキングチェアーの一脚もあれば、もう充分です。

 洋式居間の場合は、6畳では狭すぎます。
テーブルや椅子の入った分は大きくしないと、人が通れなくなってしまいます。
日本式洋間、つまり、土足ではなしに上ばきで歩く洋間も、すっかり日本に定着しました。
カーペットのうえで、子どもたちが寝ころんで遊んでいても、何の不思議もありません。
外来のものを上手にとり入れる日本人の得意とするやり方で、洋間を日本建築のなかへとり入れました。

 さまざまな試行錯誤をくり返してきました。
洋間にはソファが必要だと考えた時もありました。
しかし、下半身を隠すことが、私たちの精神の安定には不可欠なのだとわかってからは、洋間仕立ても気軽るにできるようになりました。
洋間仕立ての居間では、大きな何でもテーブルが必要で、それが茶の間の中心の役割を果たします。

 和室の居間にくらべて、洋式居間はまだ何となく、私たちの生活に密着しきってはいないように感じます。
日常の生活では、洋式居間を使いこなすことができるようになりましたが、お葬式など少し日常を逸脱したことがおこると、洋式居間はまだまだ充分に対応しきれないことが多いようです。
その理由は、洋間が生まれてきた世界の人間関係と、日本のそれが異なっているせいでしょう。

 日本以外とくに西欧の家族が、まず個人を考え、言葉を大切にするのに対して、もう少し異なった価値観で集まる日本の家族の象徴として、居間は機能するからでしょう。
洋間仕立ての居間が、本当に私たちの生活に定着するためには、もう少し時間がかかると思います。

 いままで、アパートで、借家で、古い家で生活してきたあなた、いままでの生活を全部捨て去って、新しい家での生活が始まるわけではありません。
またそう考えること自体が、寂しいではありませんか。
今日までの生活が、いまの素敵なあなたをつくってきたのです。
いままでの生活を捨てることは、あなた自身を捨て去ることにさえ、なってしまうかも知れません。

 新しい家は、あくまで現在の生活の延長上にあると考えないと、現在の生活すら仮のものになってしまいます。
人は生きている限り、どこでもそれがその人の人生であり、次の生活はいまの生活を引きずっていかざるを得ません。

 かつての生活が、年輪のごとく積み重ねられ、それが次の新しい生活を豊かにしていきます。
掃除嫌いの人が新しい家に住んだら、突然まめまめしく掃除をするようになるかといえば、そんなことはないとしか応えようがありません。
自分を素直に見直して、自分に合った家作りをしようではありませんか。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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