考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

10.畳と床    その2

 畳表と同様に、縁も大切なものです。
おひな様のうんげん縁から、お寺で使う紋縁、網代、菱といった縁、無地ものとさまざまです。
材質も絹、麻、木綿、ナイロン混紡といろいろあります。
最近では、畳職人の自己主張が強くなったせいでか、地味な無地ものではなく、キンキンキラキラの縁をみかけます。

 しかし、匠研究室ではいまでも相変わらず、無地物を使っています。
そして縁の幅は、その部屋の目的により広くも狭くも調整しています。
優れた職人は設計者が指示しなくても、縁の巾には必ず配慮しています。

 畳は、床仕上材として優れていたがゆえに、長年に渡って使用されてきました。
カーペットのように単に床をおおう材料としてだけ、使用されたのではありません。
家の規準化とでもいいましょうか。
ある特定の寸法体系を、つくりあげることにも貢献しました。

 現在、関東地方では、各部屋によって畳の寸法は少しずつ違っていますが、関西地方では、いわゆる京間と呼ばれる寸法の畳を使用しています。
京間に敷かれる畳の寸法はすべて同じで、長手方向に6尺3寸(1.90メートル)短手方向にはその半分の3尺1寸5分(95センチ)です。

 厚さは1寸8分(5.5センチ)で、4畳半であろうと、8畳であろうと同じ大きさです。
ですから、引越しの時に、新しい家へ前の家の畳をもっていっても、ピタリと合って使用できました。
余談になりますが江戸時代の引越しには、畳はもちろん、障子や襖といった建具ももって移動しました。
これは、障子がたて込まれる開口部の大きさが、どの家でも同じだったために可能でした。

 関東地方では、柱の芯々で6尺(1.82メートル)という方限の定規を家作りの基準としたため、畳はそれに合わせて、いくらか小ぶりにつくられました。
厚さは京間畳より厚く、2寸(6センチ)です。
和紙の紙寸法が、それを使用してでき上がる品物の基準となったように、畳は家の規格化に多大な役割を果たしました。

 これが、敷つめカーペットのように一枚で部屋全体に敷きつめたり、また逆にもっと小さなタイル状のものを、床に並べるようだったら、日本の家は随分と異なった発展をみせたことでしょう。
畳の寸法である6尺とか3尺は、何かにつけて私たちの生活を規定してきました。

 6尺とか3尺とかという基準寸法ができ、その何倍という数字が、日本中に行きわたることによって、家の材料となる木材の長さも体系化されました。
家自体の標準寸法の完成は、流通市場を流れる木材の長さや太さを統一させて、無駄を減らしました。
これは、流通論にまで及ぶ重大なことですが、本論の論旨からははなれますので省略します。

 家作りの基準寸法の成立は、物としての家だけではなく、それを使う人びとの感覚にまで、大きな影響を与えました。
畳は、部屋の広さをいい表わす基準にもなりました。
たとえば、4畳半といえば正方形の小さな部屋だし、12畳といえば広い部屋だという具合に、畳の枚数をいうことが、自動的に各人の頭のなかに広さの感覚を想像させます。

 家作りの基準寸法の成立は、大工や設計者だけではなく、普通の人びとにも、広さを確認しあえる共通項をもっていたことを示しています。
広さというとらえどころのないものでも、畳を基準に想像すればよくわかります。
長さの基準に、メートルや尺があるのと同様に、広さの基準としての畳ははかり知れない恩恵をもたらしてくれました。

 メートルが私たちの生活のなかで、本当に根付いていないのに対して、畳の枚数表示は完全に定着していました。
そのうえ、それは広さの表示を越えて、別の意味すら表わすようになっていました。
4.5平方メートルは、単に4.5平方メートルの広さしか表わさないのに対して、4畳半は4.5畳の広さの部屋であると同時に、何やらなまめかしいニュアンスをも表現します。

 8畳はかしこまって、襟を正す広さですし、6畳は庶民が寄り合って団らんをする、親し気な穿囲気をもった広さでした。
つまり、畳が表わす広さと生活が結びついていたことから、畳は生活それ自体をも表現する基準にすらなっていました。
人間の感覚で無理なくわかる一畳の広さが基準になったため、畳は日常の感覚や会話のなかで、何かと多用されてきました。

 らしい生活というスタイルがくずれてしまい、私たちは基準を失っています。
そして、家作りが困難になっています。
現在つくられる家の多くが、畳を嫌い、30坪程度の家でも、わずか一部屋に畳が残っているだけです。
それも、中心になる茶の間や居間としてではなく、予備室といった便利部屋に畳を使っているのが現状です。

 畳の枚数によって、日本人が身近かな広さを想像できたのは、世界に誇って良い能力でした。
しかし、畳の消滅は、遠からず畳の枚数が表わす広さの感覚が、共有できなくなることを予感させます。
個々の建物を売るのに都合のよいように、基準を改変していくことは、結局まわりまわって、自分たちの首をしめることです。
4畳半の広さに6枚の畳をならべて、6畳間と称するのは詐欺まがいの行為です。

 団地サイズやマンション・サイズなどと呼ばれる畳は、昔からの畳にくらべるとずっと小さく、6枚あっても本当の面積は4畳半しかないこともあります。
建築主たちの畳嫌いはともかく、公営住宅やマンションの建築に携わる設計者たち自らが、狭い畳を平気で使っているのは、正気の沙汰とは思えません。

 家のなかで常に肉体に壊している床、それも仕上材としての畳が、私たちの感覚形成に果たした役割は多大でした。
ところが、私たちはそれに無自覚である場合が多いのです。
素足の足の裏が床の上を移動する瞬間瞬間に、たくさんの情報をひろい上げうるのも、畳という床仕上材にきたえられたおかげです。

 幼年の時から、室内でも靴をはいていては、足の裏からは何の情報もひろえません。
ですから、素足と畳というコンビは、感性といった次元ですらなく、もっともっと深く私たちの皮膚感覚を決定してきました。
硬くもなく、軟らかくもない畳が、私たちの体重を受けとめてくれる時、知らず知らずのうちに、その肌ざわりに私たちは感化されています。
畳以外のどんな床仕上材も、これほど繊細に私たちに接してくれないといっても、過言ではありません。

 古いものが何でもよい、といっているのではけっしてありませんが、畳の続きで布団にもふれておきます。
布団かベッドかという論争を、時どききくことがあります。
しかし、布団を論ずる時は、少し注意が必要です。
布団という寝具は、畳という床仕上材と一対になって機能するように仕組まれています。

 日本の家屋ほ、家全体が一つの体系となっていることの証しでもあるのですが、布団の下は畳であることが前提になっています。
布団を板や石の上に敷いたのでは、冷めたくてとても眠れません。
布団は畳床という地面とははなれた床とで、素晴らしいハーモニーをつくります。

 日本人は、畳という床仕上材を生み出し、それを単に建築部品としてだけではなく、広さの基準としたり、皮膚感覚を養ったりといった次元まで血肉化させました。
こうした財産をすてて、新しい家作りを模索するのは、本当に困難な仕事です。
それは、単なる思いつきなどで、可能になるとはけっして思えません。

 けれども、建築に限らず、すべての分野で私たちは古い財産を捨ててしまったし、いまも捨てつづけています。
そのなかで、何もなしでは生活が行きづまるのは目にみえています。
畳に替る床仕上材、これも私たちの生活全体をみなおす作業のなかから、生み出されることでしょう。


「タクミ ホームズ」も参照下さい

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