考える家  : 気配の住宅論

目 次

 1.敷 地  2. 玄 関  3.光と闇  4. 柱と壁  5.建 具
 6.天 井  7.ト イ レ  8.浴 室  9. 厨 房 10 畳と床
11.居 間 12.個 室 13.設 備 14.外 観 15.あとがき

1.敷 地     その2

 都市でしか生きられない市民は、都市に住むこととひきかえに、多大な犠牲をはらっています。
夜8時すぎてはけっしてピアノの練習はしないし、深夜ともなれば使用後でも水洗トイレも流さない。
日当りは悪くてもたくさんの人が住めるなら我慢するし、庭もなくてもかまわない。
そのかわり、街に緑を植え、暑い夏はバカンスでやりすごす。

 1人生活は孤独なものだし、自分の生活スタイルは他人と違って当然だ。
隣人がピアノやテレビをもっても、自分は不必要だと思うからもたない。
玄関の扉は、自分の許した人にのみ開ける、自分の身を守るのは自分だけだ。
救急事だって有料なのだ。
老人だろうと若者だろうとまったく同様に、都市の生活は個人としての市民を構成単位としています。
市民生活とは厳しいものです。

 きれいな空気や田園の静けさとひきかえにしても、都市が与えてくれる便利さは何物にも変えがたい恩恵です。
私たちは西洋流の都市生活者ではないけれど、もはや田園の生活にも戻れない勤め人です。
ですから、私たちの都市生活をもう少し見直してもよいと思います。
単に職場が都会にあるというだけの理由なら、都会に住む理由にはなりません。
職場と自宅の往復だけ、あとはテレビの毎日だとしたら、都会にとどまる理由は何もありません。

 都市は不健康です。
太陽と線と自然が健康の象徴だとすれば、人間の歴史は夜と人工への傾斜でした。
不自然を追求するのが、人間の歴史でした。都市は自然を失い、人為的な環境をどう作るかが、一貫して追い求められてきました。
ロス・アンジェルスが遠くネバダの砂漠を横切って、水を引いてきていることはよく知られています。
彼らは、本来人間の住めないところへ、水を引いて都市を作っています。
人間の生の感覚でははかれない領域を、人為的に拡大してきたのが都市の歴史です。
鳥でもない人間が、地上百メートルもの高い場所にいることが、狂気の沙汰です。

 いまや、東京も田舎とは呼べません。
東京も他の西洋の都市と同様に、住み方を人為的な方法に切り変えざるを得ません。
そのためには都心部は、全国一律の建築基準法を適用しないように改正する必要があるでしょう。
道路などの都市計画は整備する必要があるでしょうが、単体としての住宅はもっと集密化すべきでしょう。

 5階以下の建物は禁止するとか、建べい率は90パーセント以上、容積率は500パーセント以上にしなければいけないとか、日照権は認めないとか、夜間の路上駐車を認めるとかといった不健康都市作りに向かうべきです。
人間が高密度に住むためにはそうしなければ不可能です。
都市とは本来そうしたものでした。
そのなかで生活のルールが考えだされるべきです。

 無限に拡大する東京ではなく、限界をもった都市が作られないと、そこに住む人間はいつまでも田舎人です。
少なくとも、山手線の内側ぐらいは複合的な建物、つまり、商店や事務所と住宅が一体となった建物を考えていくべきでしょう。
そして、高層住宅の窓から洗濯物を干したり、布団を干したりすることも再考すべきです。
不健康が良いといっているのではありません。
都市生活という本質的に不健康な方向他のなかで、いかに快適にすごすかを考えるべきです。

 高密度人口密集生活は、耐震・耐火でなければなりません。
匠研究室のように、木造の寺社建築を手がけている設計事務所ですら、都市型住宅は鉄筋コンクリート造以外にはないと思います。
木の良さは誰よりもよく知っているつもりです。
しかし、優れた建築材料である木も、都市住宅には不向きです。

 木から私たちが受ける恩恵よりも、都市が与えてくれるもののほうを選ぶべきです。
そして、高層住宅に住むことを選ぶべきです。
それは見知らぬ人たちと一緒に住む自由と、不自由をあわせ持つことになるはずです。
どんどんと細分化されていく敷地に、逆に両隣りの人と共同で一棟のビルを作って住む方向を考えてはどうでしょう。

 郊外や農村部には、当然また違った住生活や住宅の様式が考えられます。
実は、農家は住生活のほうからみると、まさに複合的な機能をもっていました。
農家は生活の場であると同時に、生産の場でもありました。
かつての農家は、家のなかでも農作業の一部をしました。田や畑と連動して機能していました。
それゆえに生産から規定される性格をもち、いまいう住宅とは相当異なったものでした。
馬小屋が家のなかにあったり、蚕産のための棚があったりしたのが農家でした。

 現在の都市住宅は生産から完全に切りはなされて、消費のためだけの場になっています。
勤め人たちが住んでいる家は、子孫の生産以外何の生産もされていないのが普通です。
生産が要求する様式(たとえば蚕を飼うことから、しつらえなければならない家の様式)は現在の住宅には無関係です。
住み手の恣意によって、住宅を作りうるようになっているのが現代です。

 都市生活をすてて郊外へでてくる人たちは、都市の恩恵をすててまで健康な生活を求めています。
ですから、都市にはない自然を充分に享受して当然です。
郊外型住宅は一敷地一独立住宅を原則とし、4階建や5階建の住宅は考えられません。
建べい率も30パーセント以下とし、敷地のほんの一部を建物のために使用し、あとは空地として樹木を植えたりすべきでしょう。

 いずれにせよ、敷地は環境問題と深く結びつき、あなた1人の問題ではないことが多いのはたしかです。
いま、家をたてようとしているあなたにとって、敷地の話をくどくどと述べても、あまり意味のないことではあります。
しかし、家作りは環境を買うことでもあり、その敷地があなたに与えてくれるさまざまな要素を全部引き受けるのだ、ということは心の隅にとめておいて下さい。
そして、家作りのさい、家だけを考えるのではなしに、環境全体も家作り計画の一部だと考えてみて下さい。


「タクミ ホームズ」も参照下さい
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