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2.動画ポルノの表現する性交 本論は、性交やそれに類した場面を描いたものは、すべてポルノだと考える。 そして、性交は人間存在に不可欠であり、人間存在が美しいとすれば、性交を描いたポルノは、決して否定の対象ではない。 ここまでは前論で展開してきた。 性交において女性は、決して受け身ではない。 男性にまたがって男性器を迎入しようとする女性、男性の上で激しく腰を使う女性、快感に顔を歪める女性などなど、静止画のポルノも女性の積極性を語った。 静止画で提供されるポルノも、多くの情報を語ったが、動画のポルノはより多くを語る。 静止画が語りきれなかった部分を、動画ポルノの登場は露わにし始めた。 男女が親密な関係を確認するのは性交に限らないが、性交は親密さの最高の確認といって良いだろう。 手を握るとか、肌を触れるとか、またキスをすると言った行為も、親密さの表現には違いない。 しかし、それらも性交への道程だ、と考えたほうが素直である。 そして、男女の行う性交では、男性器と女性器が結合する。 本サイトは、同性間の性愛をもちろん肯定しているが、本論の趣致から外れるので論及しない。 性器の結合から、種族の保存が始まるのだが、種族保存のためだけに性交をしている例は少ない。 性交はむしろ男女間の親密さの確認であり、性的な快感の追求としてある。 しかし、性器の結合は、精神的な一体感と充実感をもたらすだけで、女性の快感にはつながらない、と山村不二夫氏は言う。 そして、かく言う氏は、より上質の快感を女性に与えようと、非常な努力している。 山村氏のいう意味とは違うが、男性にあっても性器の結合それ自体は、性的快感に直結しない。 性器が結合することによって、男性にも安心感とか一体感がうまれ、精神的に充実感が生じるのは事実である。 また、男性器に包まれた感じが生じ、それが男性にとって快感ではあろう。 しかし、いうところの強烈な性的な快感は、性器の結合だけでは体感できない。 性交に慣れない思春期の男子では、結合がそのまま射精に直結するかもしれないが、性器の結合と射精とは別のものである。 男性は射精に至らなければ、快感を感得できない。 性器結合によって、快感の準備ができたというにとどまる。 古くは謝国権氏の「性生活の知恵」が出版されたり、最近でもオリビア・セント クレアの「ジョアンナの愛し方」とか、山村不二夫氏の「性技−実践講座」といった本が出版されている。 こうした案内書の一部には、愛することの精神的重要性を訴えるものもあるが、多くはより直接的に肉体の接触を通じて、より大きな快感を入手する方法を考えている。 そして、すべての性交案内書は、例外なく性器の結合と、結合後の運動へと論を進める。 性器結合の精神性を強調する山村氏とて例外ではない。 ポルノが静止画だった時代、性交の場面を映し出すことに主眼がおかれた。 性交の過程で当事者たちが、どのような状態になっていたかには、静止画では表現が届かなかった。 ましてや結合後の運動が、当事者たちにどんな影響を与えたかは、静止画ポルノではあまり問題視されなかったように思う。 性交は性器の結合だけに止まるものではなく、結合後に運動が伴っている。 性交とは男女ともに、運動するものであるにもかかわらず、静止画ポルノでは性器の結合それ自体が強調された。 性器の結合写真を見ただけで興奮してしまい、想像力がそれほど広がらなかった。 もしくは想像力が広がりすぎてしまい、思考が停止してしまったのかも知れない。 性交を時間的経過において眺めるのは、むしろ文章で描写される場面のほうが、真実味がある。 「愛の名で性交を受諾するとき」という河出文庫から引用してみる。 夫人の刺戟も手伝ってファロスはすぐ怒張してしまった。夫人がまたがってワギナに納め、私をだきおこし女上(坐位)で運動を開始した。夫人は足を立てしゃがんだ型で尻を上下に大きくうごかした。今迄よりも一段と深く入ったようで、子宮につきあたるのがよくわかった。夫人は少しするとすぐアクメに達し、うめき声をあげながら私の体につめがくひこむ程つよくだきつき、イッたようだったが、すぐ又運動をつゞけ、今度は殆ど二人同時にアクメに達した。P186 行間から当事者たちの息づかいが伝わってくるようで、2人が充実した時間的な経過の中にいるのが良くわかる。 この文章と比べると、どんなに過激な静止画ポルノでも、時間的な経過が表現できない。 静止画ポルノでは、結合後の運動の影響は語られにくい。 性器が結合すれば、時間的な経過によって、自然に快感が訪れるのではなく、各自の運動が快感を呼ぶ。 そして、より大きな快感を求めて、男女ともに運動を続ける。 セックスカウンセラーである山村氏の行う性交は、1時間から2時間以上に及ぶらしい。 その間、相手の女性は性的快感の桃源郷をさまよい続けるという。 男性にとっては、運動の効果とは射精にすぎない。 どんなに長時間の運動をしても、男性は射精の時に、全身を貫く快感がほんの一瞬走るだけである。 それに対して、女性の快感は持続的で、長時間にわたって続くとは、しばしば言われるところである。 この違いが、静止画では決して表現されることはなかった。 ピンク映画なども、ポルノと呼ばれることがあるが、ピンク映画はストーリーや俳優など、性交以外の要素が多い。 そのため、ネット上の動画ポルノのように、性交それ自体へと観客の神経を集中させなかった。 そのために本論で述べるような違いは、あまり意識されることはなかったように思う。 アダルト・ビデオもポルノと呼ばれる。 しかし、アダルト・ビデオは制作者の制作上の作為が、性交自体の表現を越えることが多い。 性交という事実より、制作意欲が優先してしまう。 また、結合した部分に、モザイクがかかったりするので、性交それ自体を描写しているとはいいにくい。 そのため、性交それ自体をあつかうネット上の動画ポルノのほうが、より鋭く男女の性的違いを表現しているように思う。 |
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