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1.はじめに 人間が神のもとで、自然のなかに暮らしていた頃、思考は現実という緑の世界から離れることはなかった。 リンゴはいつも赤くて丸いものであり、黒いリンゴなど語彙矛盾であり、想像もつかなかった。 社会的な生き物である人間は、その時代やその社会からの存在被拘束をうける。 その社会にあるリンゴが赤くて丸ければ、人は黒くて四角いリンゴを想像するのは難しい。 しかし、機械言語の登場が事情を変えた。 デジタルな思考の登場は、現実と思考の距離を人間に自覚させた。 思考は必ずしも現実そのものではない。 思考は現実から組み立てられるが、やがて現実をはなれて、思考だけの世界を作っていく。 そして、反対に思考の枠組みが、現実を理解する鍵になる。 当該社会にある種のバイアスがかかっていれば、人間の思考にも同じバイアスがかかりやすい。 本論では男女の意識が鋭角的に対立するとされる、性意識なかでもポルノグラフィ(以降、ポルノと略記する)について論じたい。 なお、フェミニズムは猥褻だからポルノに反対しているわけではなく、女性差別の象徴だから反対している。 本論はポルノが猥褻云々には論及しない。 人間は性を謳歌できる生き物であり、それはフェミニズムも了解していると考えるから、本論においては法律的な猥褻論は論外なのである。 |
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