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1.静止画ポルノから動画ポルノへ 神様は罪作りなことに、男と女を創ってしまった。 男と女が生まれてから、世の中には男女間にもめ事が絶えない。 性交やポルノをあつう本論は、男女間のもめ事に、さらに油を注ぐ結果になるかも知れない。 しかし、個人的な男女の違いは社会的な違いとは直結せず、両者の位相は違うと当サイトは確認しているので、安心して筆を進めることができる。 情報社会においては男性と女性は、社会的にまったく等価な人間だから、女性は差別の被害者ではないし、社会的な弱者でもない。 女性が弱者だと強調することは、女性を劣位者に固定することになりかねない。 自立した女性は、男性とまったく等価である。 差別は差別するほうの人格も歪める。 等価な人間のつくる対等の関係こそ、互いに充実感があり楽しいものだと思う。 そうでありながら、個人としての男女は、明らかに違う性別である。 男女の非対称性は、性的分野にもっとも鮮明に表れる。 とりわけ性交において、異なった性的存在として男女が関係を求める。 以上は周知の事実として、確認できるであろう。 性交は男女のなす日常の行為だが、秘して行う行為の最たるものである。 そのうえ、性交を描写したものは、ポルノとして公表を禁じられてきた。 フェミニズムの女性たちは、ポルノを男性支配の象徴と見なして、その公表に反対している。 しかし、性交は男性支配の象徴ではないし、性交を描写したポルノは、女性の人格を侮蔑するものでもない。 むしろポルノは性欲を刺激し、性的な快感を肯定するがゆえに、男女平等に益するものである、と「遡及的想像力」で結論した。 あれから2年、インターネット上のポルノは、静止画像から動画へと進化してきた。 静止画では露わにならなかった問題が、動画では露見し始めた。 そこで、ポルノに関して続編を書くことにした。 前回と同様に、今回も多くのアダルトサイトのお世話になった。まず感謝を捧げる。 |
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