遡及的想像力−ポルノグラフィをめぐって
2002.9.10

目  次 続・遡及的想像力
1.はじめに 1.静止画ポルノから動画ポルノへ
2.差別と解放の意味するもの 2.動画ポルノの表現する性交
3.ポルノグラフィの定義 3.男女の性的快感の違い
4.フェミニズムとポルノグラフィ 4.継続的と瞬間的な
5.和製フェミニズムとポルノグラフィ 5.男性の肉体の裏切り
6.女性の性的積極性と自由 6.男性は性的快感を観念でおぎなう
7.ポルノグラフィの解放 7.充実した性交を

7.ポルノグラフィの解放

 男性風俗誌「ハスラー」を創刊したラリー フリントは、神に創られた人間のどの部分も猥褻ではなく、誰でも好きな性交が、猥褻であるはずがないという信念から、ポルノの出版に命をかけてきた。
暗殺の危険につきまとわれ、何度も逮捕され起訴されながら、彼はポルノを出版し続けた。

 ラリー・フリントが守ったものは表現の自由だった。
表現の自由こそ、反体制の少数者たちが自己の主張を、広めるために不可欠ものものだ。
男性支配の社会では、支配者たる男性はあらためて男性支配を表現する必要はない。
現状を守っていればいい。
表現の自由を必要とするのは、男性から支配されている女性たちである。
しかし、「チャタレイ夫人の恋人」裁判を待つまでもなく、我が国でも表現の自由は男性によって担われることが多い。

 農耕社会そして初期の工業社会まで肉体労働が、生産力の根底を支えてきた。
この時代まで、人間の思考によって生産力を高めるより、屈強な腕力が生産力を支えた。
生産には腕力が不可避だった。
だから、必然的に腕力に秀でた男性が第一の性、非力な女性は第二の性だった。
同じ理由で、腕力に劣る身体障害者も 二流の地位しか与えられなかった。 

 工業社会では、女性の職業がなかった。
女性は男性の伴侶として、養われる存在だった。
そのために、女性が結婚できないことは、社会的な秩序の崩壊につながった。
そこでは1人の男性は1人の女性と、終生にわたって1夫1婦を維持すべきだ、という社会的な強制力が働いた。
男性も女性も、結婚という制度に生きるべきであり、離婚するのは好ましいとは思われなかった。

 終生にわたる1夫1婦制の結婚は、女性の生活を保護すると同時に、人間という種の保存をになった。
つまり結婚した男女間での性交が、正当なものだという理念を生みだした。
それは同時に、婚外の性交を不正なものとした。
1夫1婦的な結婚が肯定されるところでは、性交にも条件が付く。
夫婦間の性交だけが正しいものだから、夫婦間の性交だけが快楽を体験しても良い、というはずだった。

 正しい性交は正しく行い、正しい快楽を体験する。
しかし、実際は正しい性交は、快楽をもたらすものではなかった。
工業社会における結婚は、女性保護のための義務としてなされたから、結婚にともなう性交も義務となった。
種を保存するための義務としての性交だから、種が保存されればよい。
子供が何人かできた後は、もはや妻と性交をする必要はなかった。

 義務としての性交が正しいものとされ、快楽を享受する性交は悪しきものと見られる社会では、性交の公的な表現は禁止される。
性交の快感を公に讃美することは、1夫1婦の結婚制度を揺るがすことになる。
だから、終生にわたる1夫1婦制の結婚が、正当とされ社会ではポルノが禁止されるのである。

 離婚が増え、結婚が必ずしも肯定されなくなった。
一生独身でも良いとする人が、徐々に増えてきた。
いまや1夫1婦の結婚制度は、消失しようとしている。
大阪府内の高校社会科教師たちの調査によると、2000年秋現在で、アダルトビデオを見ることは38%の高校生が肯定しているという。

 今や徐々に情報社会化し、男女ともに経済力が出てきた。
若い人たち特に女性も、自力で稼ぐことが可能になった。
女性は終生にわたる1夫1婦制の結婚に拘束されなくなった。
そのため若者は、ポルノを許容するのであって、経済力をもたない中高年齢者が多い和製フェミニストは、養われる女性という古い工業社会の道徳を守るために、ポルノ解禁に反対するのである。

 情報社会においては男性と女性は、社会的にまったく等価な人間であるから、女性は被害者ではないし社会的な弱者でもない。
等価な人間のつくる対等の関係こそ、互いに充実感があり楽しいものだと思う。
性交は男性支配の象徴ではないし、女性の人格を侮蔑するものでもない。
もちろん、性交を描写したポルノは、性欲を刺激し性的な快楽を肯定するがゆえに、男女平等に益するものである。

追記:現在の若者には、本論は当然のことを書いているに過ぎない、と感じるだろう。
こんな話題を改めて書くことが、不思議かも知れない。そうだろうと思う。
本論を書いているときから、和製フェミニズムの主張は時代に置き去りにされている、と感じて仕方なかった。

 解放の思想であるはずのフェミニズムが、通俗的なマスコミや保守派に迎合して、ポルノ解禁に反対している。
残念ながら、いまや若者と和製フェミニズムは、完全に乖離してしまった。
和製フェミニズムは取り残されたが、しかし、時代は進んでいると改めて実感している。

 さまざまなアダルトサイトを楽しませてもらって、しかも、写真を無断で拝借した。
出典は特記しないが、心から感謝する。
と同時に、無断借用をお許し下さるよう、勝手ながら切にお願いする。


続・遡及的想像力へ

参考文献
カミール・パーリア「性のペルソナ 上・下」河出書房新社、1998
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002
塩野七生「ローマ人の物語−1〜10」新潮社、2002
シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000
謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
石井良助「女人差別と近世賤民」明石書店、1995
氏家幹人「江戸の少年」平凡社、1994
下山弘「遊女の江戸」中公新書、1993
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
田中裕子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999
赤川学「性への自由/性からの自由 ポルノグラフィの歴史社会学」青弓社、1996
アンドレア・ドウォーキン「ポルノグラフィ」青土社、1991
アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989
白藤花夜子編「ポルノグラフィー」学陽書房、1992
江原由美子「装置としての性支配」勁草書房、1995
江原由美子編「フェミニズムの主張」勁草書房、1992
ジェイン・ケリー「ヌードの理論」青土社、1994
リンダ・ニード「ヌードの反美学」青弓社、1997
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994