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7.ポルノグラフィの解放 男性風俗誌「ハスラー」を創刊したラリー フリントは、神に創られた人間のどの部分も猥褻ではなく、誰でも好きな性交が、猥褻であるはずがないという信念から、ポルノの出版に命をかけてきた。 暗殺の危険につきまとわれ、何度も逮捕され起訴されながら、彼はポルノを出版し続けた。 ラリー・フリントが守ったものは表現の自由だった。 表現の自由こそ、反体制の少数者たちが自己の主張を、広めるために不可欠ものものだ。 男性支配の社会では、支配者たる男性はあらためて男性支配を表現する必要はない。 現状を守っていればいい。 表現の自由を必要とするのは、男性から支配されている女性たちである。 しかし、「チャタレイ夫人の恋人」裁判を待つまでもなく、我が国でも表現の自由は男性によって担われることが多い。 農耕社会そして初期の工業社会まで肉体労働が、生産力の根底を支えてきた。 この時代まで、人間の思考によって生産力を高めるより、屈強な腕力が生産力を支えた。 生産には腕力が不可避だった。 だから、必然的に腕力に秀でた男性が第一の性、非力な女性は第二の性だった。 同じ理由で、腕力に劣る身体障害者も 二流の地位しか与えられなかった。 工業社会では、女性の職業がなかった。 女性は男性の伴侶として、養われる存在だった。 そのために、女性が結婚できないことは、社会的な秩序の崩壊につながった。 そこでは1人の男性は1人の女性と、終生にわたって1夫1婦を維持すべきだ、という社会的な強制力が働いた。 男性も女性も、結婚という制度に生きるべきであり、離婚するのは好ましいとは思われなかった。 終生にわたる1夫1婦制の結婚は、女性の生活を保護すると同時に、人間という種の保存をになった。 つまり結婚した男女間での性交が、正当なものだという理念を生みだした。 それは同時に、婚外の性交を不正なものとした。 1夫1婦的な結婚が肯定されるところでは、性交にも条件が付く。 夫婦間の性交だけが正しいものだから、夫婦間の性交だけが快楽を体験しても良い、というはずだった。 正しい性交は正しく行い、正しい快楽を体験する。 しかし、実際は正しい性交は、快楽をもたらすものではなかった。 工業社会における結婚は、女性保護のための義務としてなされたから、結婚にともなう性交も義務となった。 種を保存するための義務としての性交だから、種が保存されればよい。 子供が何人かできた後は、もはや妻と性交をする必要はなかった。 義務としての性交が正しいものとされ、快楽を享受する性交は悪しきものと見られる社会では、性交の公的な表現は禁止される。 性交の快感を公に讃美することは、1夫1婦の結婚制度を揺るがすことになる。 だから、終生にわたる1夫1婦制の結婚が、正当とされ社会ではポルノが禁止されるのである。 離婚が増え、結婚が必ずしも肯定されなくなった。 一生独身でも良いとする人が、徐々に増えてきた。 いまや1夫1婦の結婚制度は、消失しようとしている。 大阪府内の高校社会科教師たちの調査によると、2000年秋現在で、アダルトビデオを見ることは38%の高校生が肯定しているという。 今や徐々に情報社会化し、男女ともに経済力が出てきた。 若い人たち特に女性も、自力で稼ぐことが可能になった。 女性は終生にわたる1夫1婦制の結婚に拘束されなくなった。 そのため若者は、ポルノを許容するのであって、経済力をもたない中高年齢者が多い和製フェミニストは、養われる女性という古い工業社会の道徳を守るために、ポルノ解禁に反対するのである。 情報社会においては男性と女性は、社会的にまったく等価な人間であるから、女性は被害者ではないし社会的な弱者でもない。 等価な人間のつくる対等の関係こそ、互いに充実感があり楽しいものだと思う。 性交は男性支配の象徴ではないし、女性の人格を侮蔑するものでもない。 もちろん、性交を描写したポルノは、性欲を刺激し性的な快楽を肯定するがゆえに、男女平等に益するものである。 追記:現在の若者には、本論は当然のことを書いているに過ぎない、と感じるだろう。 こんな話題を改めて書くことが、不思議かも知れない。そうだろうと思う。 本論を書いているときから、和製フェミニズムの主張は時代に置き去りにされている、と感じて仕方なかった。 解放の思想であるはずのフェミニズムが、通俗的なマスコミや保守派に迎合して、ポルノ解禁に反対している。 残念ながら、いまや若者と和製フェミニズムは、完全に乖離してしまった。 和製フェミニズムは取り残されたが、しかし、時代は進んでいると改めて実感している。 さまざまなアダルトサイトを楽しませてもらって、しかも、写真を無断で拝借した。 出典は特記しないが、心から感謝する。 と同時に、無断借用をお許し下さるよう、勝手ながら切にお願いする。
参考文献 カミール・パーリア「性のペルソナ 上・下」河出書房新社、1998 カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002 塩野七生「ローマ人の物語−1〜10」新潮社、2002 シャノン・ベル「セックスワーカーのカーニバル」第三書館、2000 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 プラトン「饗宴」岩波文庫、1952 フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993 石井良助「女人差別と近世賤民」明石書店、1995 氏家幹人「江戸の少年」平凡社、1994 下山弘「遊女の江戸」中公新書、1993 白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002 田中裕子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 赤川学「性への自由/性からの自由 ポルノグラフィの歴史社会学」青弓社、1996 アンドレア・ドウォーキン「ポルノグラフィ」青土社、1991 アンドレア・ドウォーキン「インターコース」青土社、1989 白藤花夜子編「ポルノグラフィー」学陽書房、1992 江原由美子「装置としての性支配」勁草書房、1995 江原由美子編「フェミニズムの主張」勁草書房、1992 ジェイン・ケリー「ヌードの理論」青土社、1994 リンダ・ニード「ヌードの反美学」青弓社、1997 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1994 |
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