|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6.女性の性的積極性と自由 性交の描写自体は悪いものではなく、ポルノは悪いものだと否定しようとすると、性欲を喚起するか否かが判断基準になる。 この定義に従ってポルノを考えると、性欲の喚起は悪いことになり、外的に性欲をうながすことは悪になる。 性欲の喚起は悪いことなのだろうか。 はたして性欲とは悪なのだろうか。 性欲があったから人間は性交し続けてきたわけだし、性欲がなかったら性交に至らず、人類が途絶えていただろう。 本論は人間という種の繁栄を望んでおり、人類の絶滅は希望しない。
本論は性欲があることを自然だと認めるし、性欲は悪ではない。 そして、性欲の喚起は決して悪いことではない、と考える。 そのため、性欲を喚起するという理由で、ポルノを否定することはできない。 むしろ性欲の健全な発露は、肯定すべきだと考える。 性欲が喚起されて、その結果性犯罪に進むか、両者合意のもとに楽しい性交に至るかは、まったく別次元の話である。 ギリシャの次は、わが国の江戸時代を考えてみる。 わが国には性交を描いた有名な作品群がある。 浮世絵は有名だが、そのなかに枕絵と呼ばれる性交を描いたものがある。 田中裕子氏は「張形−江戸をんなの性」のなかで、浮世絵写真を参照しながら女性の性を賛美している。 田中氏は張形とは女性がマスターベーションのために使うもので、張形があったので女性は性の世界が楽しめた、といっている。 ギリシャの性交を描いたものが、女性差別をより強固にするものだったとすれば、わが国の浮世絵は女性の性を謳歌するものだったことになる。 浮世絵といえども、性交を描くことにおいて、まったく変わりがないにもかかわらず、ギリシャとわが国では意味が違うのだろうか。 後述するように浮世絵にあっては、ことさらに性交自体と、性器の結合を強調している。 この写真は現代のものだから、女性蔑視の表現だというのだろうか。 それにしては、強姦されているようでもないし、女性が虐待されている様子もない。 当該の社会に存在する価値観が、事物に意味を与えるのであり、事物自体が意味をもつわけではない。 それは<はじめに>で前提したとおりである。 ギリシャよりも現代社会のほうが、女性差別ははるかに少なくなっているし、男女平等は進んでいる。 とすれば、現代の性表現のほうが、女性蔑視はより少ないと言うべきだろう。 「江戸の春画」のなかで白倉敬彦氏は、次のように言っている 春画における最大の関心事が性器にあることはすでに見てきたが、注目すべき結果は、性行為と性器の結合のみへと局限化していること、なかんずくその結合がもたらす極限すなわちエクスタシーの瞬間に焦点が当てられていることだ。 そして、そのエクスタシーの描出が、一つは書入れによることばによって、もう一つは女性の顔貌表現によってなされている。男の顔の表情にもある種の必死さが表されているが、なんといってもエクスタシーを表象するのは、女の眼を閉じて深く内向した、そして快感に没入したかのような恍惚の表情である。P98 江戸社会の成り立ちが現代とは違う以上、江戸人と現代人とでは、価値観が違っていたのは当然である。 性愛についても異なった感覚だったはずで、江戸人は性の快楽を素直に肯定していた、という田中氏や白倉氏に本論も賛成する。 キリスト教が教えたような禁止的性交観はなかっただろうから、義理・人情や身分秩序に反しないかぎり、快楽を追求することは自由だったに違いない。 性交自体を否定的に、もしくは下品なものと見なせば、性交を描いたものは自動的に悪もしくは下品なものになる。 だからことは、春画やポルノ云々ではなく、性交自体を肯定的にとらえるか否かである。 キリスト教の影響下にあった西欧近代は、快楽のための性交を善なるものとは見なかったから、性交を讃美する描写が否定された。 しかし、江戸では性交を誰でもが楽しんだから、春画が大量生産された、と理解すべきである。 春画の生産が男性によってなされたとしても、女性たちが男性の都合に合わせただけだとは思えない。 夜這いの男性を取り押さえ、箱枕で打ち据えている姿もあるほどだから、女性が男性の言いなりになっていたはずがない。 男性が性行為と性器の結合に関心があったように、女性も性行為と性器の結合を好んでいた、と考えるほうが自然である。 白倉氏はそれを否定的に見るが、本論はむしろ肯定的に見る。 おそらく女性は、男性器を自分の身体に取りこみ、くたくたになるまで男性器を味わい尽くそうとしただろう。 それは挿入される受け身としてではなく、迎入する者=取り込む者としての積極性に裏打ちされていたに違いない。 勃起した性器を早く入れろと催促するのは、きわめて積極的な発言であり、弱者としてのものではない。 左下の写真からは、女性が貫通される弱者だとは思えない。 和製フェミニズムにおいては、女性はいつも挿入される受け身の存在である。 女性器が男性器を迎入し、女性自ら腰を使うことは語られることはない。 しかし、春画や左の写真を見る限り、女性も性交の主体として、積極的に男性器を迎入して食らったと考えるざるを得ない。 吉原と並んで、江戸の若衆も有名である。 若衆を買ったのは男性には限らなかった。 とりわけ時代が下るに従って、女性たちは若衆を男性から奪い、若衆の肉体を自分たちのものにした。 おそらく若衆の若い肉体は、充分な勃起力を持続し、度重なる女性の性交要求によく応えただろう。 春画の書き込みでも明らかなように、女性たちも性交の回数に執着した。 一度のベッドインで何度もオーガスムを得ることを、女性たちは貪欲に追求したに違いない。 若い男性の身体=男性器を使って、女性が男性を主導しながら自分の快楽を貪る。 それには、性欲の旺盛な若衆が、もっとも適していたと思う。 そう考えると、江戸の女性たちがいかに積極的だったかが、浮かび上がってくる。 現在のベッドマナーでは、女性の全身にある性感帯を、男性が前技によって刺激し、充分に濡れてから挿入するように言う。 しかし、このベッドマナーは、女性を貫かれる者と見ている。 もし、女性が自ら濡れており、ただちに挿入が可能であれば、前技など不要であろう。 女性が欲情していれば、男性器を自ら迎入する。 女性を濡らすための男性による前技という考え方は、女性を大切にしているようでありながら、じつは女性は受け身であると言っているに等しい。 性行為と性器の結合を好んだ江戸の女性たちは、男性から前技を受けるか否かを問わず、みずから性交にのぞんだとすれば、望んだのは優しいベッドマナーではなく勃起した男性器でしかない。 女性は勃起した男性器を迎入し、激しく腰を使って、自らの性的な欲求を満足させたに違いない。 男性器はある程度以上の刺激を与えれば、簡単に射精してしまい、勃起状態ではなくなってしまう。 高度なベッド技術を体得した年老いた男性より、若くて技術はないが勃起力だけは自信があるという若衆が、江戸の女性たちに好まれたというのは充分に理解できる。 すでに欲情し濡れた女性にとって、男性からの前技は必要ではなく、欲しいのは勃起した男性器だけだとすれば、「江戸の春画」がいうように、性行為と性器の結合が描かれるのは自然だったろう。 女性はスロースターターだと言って、男性に優しい前技を要求することは、じつは女性が受け身になると言っているに等しく、女性の台頭からはむしろ後ろ向きの発言である。 勃起→挿入→刺激→射精→勃起の終了。 このサイクルは男性側のものだ。 性の快楽を、女性側が主体的に味得するとすれば、勃起の回復する時間は短いほど良い。 射精しても、勃起したままであれば、申し分ない。 そして、勃起から次の勃起へと続いていけば、女性は限りない快感を体得できる。 ところが、ベッドにおいて男性からの性技術が混入すると、男性側に快楽の主導権が移ってしまう。 女性には全身に性感帯があり、その刺激が性交に不可欠だと言うことは、女性の快楽は男性から与えられるものだと言っている。 江戸時代の女性は自ら欲情できたがゆえに、性行為そのものと性器の結合をこそ望んだのではないだろうか。 そう考えれば浮世絵において、乳房が女性の性的な部分として、それほど注目されなかったのも納得できる。 現代では、あまりに年齢の離れた男女間の性関係は、何か異常だと考えられ、同世代の男女が結びつくのを常態としている。 しかし、同世代の男女間でしか、性交が不可能なわけではない。 男女ともに10代になれば、相手が何歳だろうと性交は可能である。 もちろん高齢の女性とて、性交をやめるわけではない。 高齢の男性が処女の新鉢を割ったなどと自慢げにいうが、童貞を好んで相手にした女性の話も聞く。 性交の仕方は、生まれながらに知っているわけではなく、男女ともに教育の結果である。 おそらく童貞と処女の性関係は少なく、男女ともに経験者に手ほどきをされて、性交を覚えたに違いない。 若者宿が健在だった時代には、男女それぞれが年長者から教育を受けたはずであり、しかも、初めての体験は男女ともに経験者が相手だったろう。 充実した性交を知るには、互いに教育が必要である。 前述したように、江戸の女性たちは、自ら欲情したとすれば、楽しい関係を作るための努力は、両者がしたはずである。 夜這いにしても、男性からの一方的なものではなく、女性が導かなければ不可能である。 今日と違って、住宅は個室化していなかったから、女性が気に入らなければ、夜這って来た男性を叩き出すのは、いとも容易いことだったろう。 大きな声を出しさえすれば、家の人たちがたちまち知ったはずである。 にもかかわらず、夜這いという男女の営みが続いてきたのは、女性側からも性交への積極的な支持があったからだろう。 若い女性がいても、性交をしなければ子孫は残せない。 子孫がいないと、大人たちの生活が困った。 だから大人たちも、若者の性交を大目に見たはずである。 いくら勇気のあるスケベな男性でも、まったく可能性のない性交へは、挑戦し続けることはできないから、夜這いや性交は肯定されていたとしか考えられない。 男性は精通があれば、女性は生理があれば、若者宿や夜這いをつうじて、性交を始めただろう。 個室化していない住宅事情で、男性からの前技をまってから、女性が性交にのぞむようでは、決して充実した性交にはならないだろう。 男女ともに年長者から性交の仕方や、性感の高め方を教育され、多くの相手と性交を重ねながら、人生の伴侶となる人間を選んだに違いない。 そこには男性だけが女性を教育することはなく、男性も年長の女性に手ほどきを受けて、性交を覚えていったはずである。 男女ともに何人かを性交の相手とするうちに、性感の馴染みを知り、相手によって快感に違いのあることを体得していったと思う。 男性も女性も性交を重ねるうちに、性感の充実や味わいを覚えていったに違いない。 何人も相手をするなかで、伴侶とよべる相手も見つけたのだろうし、子供も作っていったのだろう。 現代では猥談がすたれてきたが、かつては男女ともに性に関することを、人前で平気で口にした。 男性だけではない。中高年女性たちは、初な若い男性を性的な言葉でからかった。 また、凸形をオス、凹形をメスという言い方が残っているように、、性や男女の性器になぞらえた名前を、付けたものも多かった。 つまり、かつては性は秘すべきものではなかった。 人間生活の一部として、積極的に楽しむものだったのだろう。 近代の思想は、女性から性的自発性を奪うために、女性が自ら欲情することを否定した。 夜這いや浮気を否定し、性交を婚姻内に閉じこめていった。 春画を下品なものとみなし、ポルノを否定したのは、女性から性的な自由を奪うためだった。 そして、女性の性欲を否定する見返りとして、男性の優しいベッドマナーを普及させ、受け身の存在へと女性を洗脳していったように思う。 性器結合以外の性愛感覚を知ったことは、女性にとって快楽の幅が広がりはしただろうが、それによって女性の主体性は大きく削られてしまった、と本論は考える。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
次に進む |