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JICPAジャーナル(編集:日本公認会計士協会)第一法規出版に連載したものです。 |
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第12回 互いに補完的な関係 アナログは類推という意味で、デジタルは数字という意味でした。この連載では、アナログを連続、デジタルを断続という意味にも、言葉の理解を拡大してきました。 工業社会は首の時代 人類は狩猟採集の社会から農耕を発見し、土地を耕す長い長い時代を経験してきたのは周知の通りです。 人間の体を使って大地を耕してきましたから、頑健な肉体が大切にされた時代でもありました。 それに対して、産業革命によって生まれた工業社会は、初めのうちこそ工場などでの肉体労働が主流を占めましたが、今ではコンピューターを使う頭脳労働が主流になりつつあります。 人間の肉体労働が生産を支えた時代を、アナログの時代といってもいいでしょう。 人間の肉体を使って生産をするより、機械に生産をまかせたほ うが何千倍も効率的ですから、人間の役割は機械をつくったり、機械を操作することになり、肉体労働は機械に代替されます。 機械ができる仕事に、人間の能力を使うことは、貴重な資源の浪費です。 情報社会では、コンピューターを内蔵した機械が人間に代わって働くので、頑健な肉体の有用性が低下し、頭脳の優秀さ へと人間の評価基準が移ります。 つまりデジタルな社会とは、頭脳労働を担う人間が大切にされる社会です。 世の中が農耕社会→工業社会→情報社会へと変わるのを人体になぞらえると、農耕社会は胴体が象徴し、情報社会は頭部が象徴します。 とすれば、あいだに挟まれた工業社会は、首の時代でしょうか。 工業社会には蒸気機関から始まって、自動車・飛行機などなど未知のものがたくさん誕生しました。 今後の情報社会では、遺伝子やバイオ技術など様々な発明や発展が予見されています。 デジタルが全面的に開花する情報社会では、より多くの発見や発明があるでしょう。 アナログという農耕社会が胴体で、デジタルの情報社会が頭の時代だというと、アナログを貶めてデジタルだけを賛美しているように感じられるかもしれませ ん。 しかし、アナログとデジタルを人体になぞらえたのは、人間にとって胴体も頭も不可欠である。 つまり、アナログとデジタルは対立するものではない、と言いたかったためです。 胴体を持たない頭だけの人間はいません。 心臓や胴体はもちろん手も足も必要不可欠です。 頭を支える胴体が先に参ってしまったら、頭脳労働も何もあったものではありません。 むしろ頭は胴体の上にのっており、頭は同体に支えられてさえいます。 最近の世の中は、アナログからデジタルへの流れが強く、アナログが無用のように感じさせられます。 しかし、アナログとデジタルは二律背反ではなく、むしろアナログとデジタルは協調関係にあると言えます。 デジタルを支えるアナログ 情報社会になっても、人間は食べないで生きることはできません。 当然のことながら何時の時代になっても農業は不可欠です。 情報のない農耕社会はあり得ても、農業のない情報社会が成立することは難しいでしょう。 農業が主な産業だった時代には、家長を中心とした生活があり、年齢秩序や男女差別が不可避でした。 土地を耕す肉体労働が人間の価値観を決めており、今日から見るとどんなに理不尽に見えようとも、誰もそれに逆らって生きることはできませんでした。 工業が勃興した近代社会では、男性の職業労働と女性の家事労働という、性別による役割分業が生じました。 首の時代たる工業社会では、核家族が誕生し専業主婦と呼ばれる女性が生まれました。 しかし、情報社会では性別による役割分担は消滅していきます。 男女の性別役割が消滅しても、人間の体の構造が変わることはありません。 男性はごつく逞しく、女性は優美でしなやかです。 しかも、人間が人間である以 上、食事・就寝・労働・性交・出産といったアナログ的な行為がなくなることはあり得ません。 そして、人間の尊厳が大切にされるとすれば、人間を分析する方法がデジタルになりはしますが、アナログ的存在の人間が分析の対象であり続けます。 神の生きていた前近代と異なり、情報社会では人間が中心ですから、アナログ的人間が不要にはなりません。 むしろ充実したデジタル社会を実現するためにも、胴体としてのアナログ社会を再検討することは大いに意味のあることで す。 −了− |
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