アナログとデジタルの融合
by  匠 雅音   2000年1月〜12月

JICPAジャーナル(編集:日本公認会計士協会)第一法規出版に連載したものです。


目      次
第1回 焼き物の世界 アナログとは?デジタルとは? 連続か 不連続か
第2回 デジタルの歴史 錬金術が開いた世界 デジタルが近代を開いた
第3回 ハードウェアとソフトウェア コンピューターとは何か コンピューターは電脳か
第4回 0 と1 のデジタルな理解 デジタルな理解 0と1の世界
第5回 断続的なデジタル すべては点へ 極限的現実とは
第6回 人工知能 右脳と左脳 思考とは手順か
第7回 デジタルの恩恵 わかったこと 無限量から質へ
第8回 肉体と頭脳 腕力の無化 仕事と余暇的運動
第9回 デジタルな年齢秩序 体験の農業社会 年齢秩序のフラット化
第10回 デジタルな制御 アナログな制御 断絶的連続の成立
第11回 情報社会の家族 アナログ時代の家族 デジタル時代の家族
第12回 互いに補完的な関係 工業社会は首の時代 デジタルを支えるアナログ

第6回   人工知能 

 コンピューターによるデジタルな理解が進んでくると、人間に代わる人工知能が生まれるのではないか、と多くの人が論じています。
人工知能つまり機械が考えるとは、いったいどんなものでしょうか。
それはジョージ・オーウェルが、「1984年」で描いたような殺伐とした世界なのでしょうか。

右脳と左脳

 私たちは知らずのうちに、認識したり考えたりしています。
考えることそれ自体を自覚するのはできませんが、思考作用とはつきつめてい うと、脳細胞のなかに信号を流すことです。
この信号は流れる = ON か、流れない = OFF かのどちらかで、信号の強さは変化しないことが確認されています。
これはコンピューターのなかを流れる信号、つまり電流の ON = 0 や OFF = 1 とよく似ています。
そのため、人工知能が可能ではないか、と想像されます。


 大脳のなかには、脳細胞つまり小さなコンピューターがたくさん並んでおり、膨大な計算をしている。
それはあまりにも複雑な仕組みなので、まだ解明されていないだけだ。
脳細胞のなかでなされる計算の集積が、判断だったり記憶だったりすれば、人工知能を作り出せるかも知れません。
デジタルな理解という方向からも、脳の構造がさかんに研究されてきました。


 人間が何かを考えるのは、すべて脳の働きによります。
しかも脳の中でも、大脳と呼ばれる部分の働きです。
大脳は、右脳と左脳の2つの部分からできており、両者は違う役割をもっています。
右脳は図形や絵画などの空間認知を、左脳は言葉や計算を主に扱っています。
つまり右脳はアナログ的な仕事を、左脳はデジタル的な仕事をしています。
そして、両者は脳梁によって繋がれており、その間を信号が行き来して、脳は総合的な判断を下しているわけです。

 自分の脳を見ることはできませんが、脳の解剖標本などをみて、考えている自分の脳を考えることはできます。
鏡に映った自分を見ている 自分と同様に、自分が自分を考えるのは自分を意識化することです。
そのうえ私たちは、考えている脳を考えている脳をも、考えることができます。


思考とは手順か

 通常、人間は言葉を使って考えるように思います。
しかし、言葉が思考を支えているのでしょうか。
もし、言葉が思考を支えるとすると、 地球上には何万もの異なった言葉がありますから、地球上には何万もの異なった思考が存在することになります。
また反対に、同じ言葉を話す人でも、違う思考をもつことがあるのは、どう説明したらいいのでしょうか。
言葉は本当に思考の支えなのでしょうか。


 声に出さない言葉をゆっくりと噛みしめるとき、確かに思考は順を追ってなされています。
しかし、言葉でたどれる思考とは、何だか浅い感じもします。
深い思考とは、言葉を越えた世界にあるようにも思います。
言葉を使ってする思考とは、判断の手順に過ぎないのではないでしょうか。
手順に従った思考の範囲なら、コンピューターでも可能です。
そこで思考とは何かが、問題になります。

 ロジャー・ペンローズは「皇帝の新しい心」で意識を問題にし、意識は手順に従ったものではないと言います。
意識の先にある深い思考と は、言葉を積み重ねて得られるものではなく、考え続けた先に閃くものでしょう。
ペンローズの言葉にしたがえば、ある時「あっ」と気がつくものでしょうか。
連続していなければ、閃きは生まれませんから、デジタルには「あっ」という閃きはありません。
思考とは言葉を越えたものであり、思考は言語化された時、その輝きを失います。


 判断の手順が明確になった分野は、デジタルが得意とします。
コンピューターがもっと進歩すれば、論理的な手順をおいかける左脳的な作業は、人工知能がおおいに代替するでしょう。
しかし、数学や自然科学の分野であっても、創造的な思考とはつまるところ閃きです。
「あっ」という閃きが新たなものを生むとすれば、断続なるデジタルは最後のところで、思考の代替たりえません。

 デジタルなる理解は、アナログなる自然に無限に近づきます。
前回書いたように 0 と次の数字の差は、無視できるほど小さなものです。
しかし、いくらその差が小さいといっても、デジタルなる世界は、決してアナログそのものではありません。
デジタルが断続的であることは、人間にとって代わる人工知能を、最後のところで不可能にしているように思います。 


第7回 デジタルの恩恵へ進む