アナログとデジタルの融合
by  匠 雅音   2000年1月〜12月

JICPAジャーナル(編集:日本公認会計士協会)第一法規出版に連載したものです。


目      次
第1回 焼き物の世界 アナログとは?デジタルとは? 連続か 不連続か
第2回 デジタルの歴史 錬金術が開いた世界 デジタルが近代を開いた
第3回 ハードウェアとソフトウェア コンピューターとは何か コンピューターは電脳か
第4回 0 と1 のデジタルな理解 デジタルな理解 0と1の世界
第5回 断続的なデジタル すべては点へ 極限的現実とは
第6回 人工知能 右脳と左脳 思考とは手順か
第7回 デジタルの恩恵 わかったこと 無限量から質へ
第8回 肉体と頭脳 腕力の無化 仕事と余暇的運動
第9回 デジタルな年齢秩序 体験の農業社会 年齢秩序のフラット化
第10回 デジタルな制御 アナログな制御 断絶的連続の成立
第11回 情報社会の家族 アナログ時代の家族 デジタル時代の家族
第12回 互いに補完的な関係 工業社会は首の時代 デジタルを支えるアナログ

第5回   断続的なデジタル 

 ゆく河の流れはたえず、水は連綿と流れています。
そして、水は砂に、砂は岩へと連なり、自然は大きなひとつながりで、切れるところがありません。
理屈や論理を扱うのが得意なデジタルは、自然という連続つまりアナログ的世界を、どう認識するのでしょう。


すべては点へ

 ボールペンで書いた線を、巨大な虫眼鏡で拡大して見たら、どうなるでしょうか。
インクが切れ切れに続いており、連続していないに違いありません。
しかし、肉眼では連続した線に見えます。
とすれば、極小の点を一直線に並べても、線を描くことができると思いつきます。
しかも、その点は小さ ければ小さいほど、より線に近くなるでしょう。
では、その点がどのくらい小さければ、線と呼べるのでしょうか。


 無数の点が連なると、点という特性を失って、線という集団としてしか見えなくなります。
線だけではなく、面であっても小さな点で表すことができます。
印刷された写真を虫眼鏡で見ると、小さな点の集まりであることが判ります。
19世紀の終わり頃、スーラやシニャックら新印象派の画家は、 キャンバス全体を純色の点で埋め尽くし、一枚の絵画にしました。
点描画の発見は、現代絵画につながる道でした。
面を点で表すことが可能なら、立体でも可能 なはずです。


 英語ではミルキー・ウェイと呼ばれる天の川は、満天の夜空をよこぎる乳白色の流れです。
今やわれわれは、あれが無数の星の集まりだと知っています。
ところで、もう一度あの星の集まりに、名前を付けなおすとしたら、何という名前を付けるでしょうか。
その時には、個々の星を見て名前を考えるでしょうか。
そんなことはないでしょう。
やはり乳白色の一続きになったものとして、名付ける対象を見ることでしょう。
天の川が無数の星、つまり無数の点の集まりだと知っていても、私たちにとっては、やはり全体としての天の川です。

 すべてのものを点へと分解していけば、全体が何であろうと同じ点という単位で表すことができます。
細分化して理解せよとは、昔から言われました。
しかし、細分化すればするほど情報量は膨大になりますから、極度に細分化して自然を認識するのは、人間の能力を超えたものでした。
それがコン ピューターの登場によって、細分化された膨大な情報を、たやすく処理できるようになりました。
連続した自然とは、けっして同じではないけれど、限りなく自然に近いもの、それがデジタルな世界です。


極限的現実とは

 012345…といった数字の並びは、連続した数字です。
しかし、各数字のあいだには遠い距離があって、0 の次は 1 ではありません。
0 の次は、0.1でしょうか。
違います。
では0.01でしょうか。
違います。
0.001でもなく、0.00001でもありません。
0の次は、0.9 の 9 が無限に続いたものを、1 から引いた数字です。
つまり、0 ではないけれど、限りなく 0 に近い数字が、0 の次の数字です。
とすると、0 と 0 の次の数字との差 は、どのくらいあるのでしょうか。

 純金とは、金の含有量が99.99%あるものをいいます。
この例にしたがえば、0 と 0 の次の数字との差はないといえます。
それを点の話と重ねてみると、数字を精確に扱うことによって、現実そのものが表現できることになります。
現実を微少な点へと分解し、その点を数字で表せば完全な現実ではないけど、現実にきわめて近いものが浮かびあがるわけです。
デジタル的理解とは、現実ではないけれど、もうほとんど現実といってもいいものです。


 コンピューターの能力が上がったために、瞬時に膨大な計算ができ、精確に数字を扱うことができるようになりました。
月にロケットを飛ばすくらいの精度はでるようになり、今やその精度もパソコンを使うという形で、我々素人が享受しています。
しかし、どんなに高い精度であっても、デジタル なる数字が表すものは、けっしてアナログなる自然ではありません。

 究極のデジタル的理解は、アナログな自然とほとんど同じだと見なせますが、そこにはかすかな違いがあります。
天の川が無数の星の集ま りだとしても、人間はそれをミルキー・ウェイだと見ます。
そして、そこに新たな物語を発見します。
時によって人間のひらめきは、精確なデジタル処理をも超えた精度を発揮することがあり、それが素人のカンが当たる理由でもあります。

第6回 人工知能へ進む