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JICPAジャーナル(編集:日本公認会計士協会)第一法規出版に連載したものです。 |
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第11回 情報社会の家族 人類は狩猟採集の時代から始まりました。長い長い農耕社会を経て、工業社会に入り、デジタルが云々されるようになったのは、本当につい最近です。 デジタルの世界を情報社会とも呼びますが、そこでは人間関係つまり家族のあり方も変わります。 アナログ時代の家族 農業が主な産業だったアナログ社会とは、人間の労働力が産業のすべての基礎だった時代です。 かつての農耕社会では、人間は一人で暮ら していくことはできず、農業生産の礎である大地にしっかりと足をおろし、○○家という群として生活してきました。 男性も女性も、もちろん子供も老人も、すべての人間が自分の力に応じて、田や畑で働きました。 この時代の家族は、何人もが同居する大家族になり、大家族は生産の場になっていました。 ここでは個人というものは存在せず、家長とか家長の妻といった、立場の役割を果たす人間がいただけでした。 封建時代は女性が虐げられて、家長たる男性が威張っていただとか、庶民には楽しいことはなく、武士だけが美味しい生活を していたと言われます。 しかし、封建時代には義務教育もなく、医療も発達しておらず、天気を知らせる放送局もありません。 生まれた子供の五人に一人は、一歳の誕生日を迎え得ず、また成人に達した者は三人に一人でした。 生きることが厳しかったアナログ時代を私たちは忘れがちですが、自分の肉体しか頼れない社会というのは、それはそれは厳しいものです。 厳しい時代を生きるために、人間は大家族という仕組みを作り、男性家長のもとで何とか生き抜いてきました。 アナログ社会は男尊女卑だったといわれますが、人間の肉体的な力しか頼るものがない社会では、腕力に秀でた男性を優位と認めることによって、女性も厳しい世の中を生きぬいてきたわけです。 デジタル時代の家族 農耕社会→工業社会→情報社会と、産業構造が変わるにつれ、家族もその形を変えます。 近代の工業社会では、男性が家の外で働き、女性が家の内の仕事をする対なる男女の核家族がうまれ、男女の役割分担が明確になります。 そして何より、土地との結びつきを失った核家族は、生産の場ではなくなりました。 消費に特化した核家族では、一対の男女とその子供だけが、一軒の家に住んでいます。 肉体労働の有効性を払拭しきれなかった工業社会では、工場や会社といった生活の糧を得る場が、男性にのみ開かれていました。 非力な女性や子供には、低賃金労働の場しか与えられず、自分の稼ぎでは自活できませんでした。 情報社会を迎えて、仕事をするうえで肉体的な腕力が不要になってきました。 情報社会の労働は、頭を使った頭脳労働が主です。 頭脳の優劣に男女差や年齢差はありません。 女性でも男性以上に優秀な労働力となり得ます。 いまや女性は頭脳労働によって自活できます。 もはや屈強な男性が、非力な女性を養う必然性はなくなりました。 大家族が工業社会化によって核家族に分裂したように、核家族は情報社会化によって再度分裂し、より小さな単位になります。 私はそれを<単家族>と呼びますが、情報社会の家族は、養う養われるという関係が消滅した、性別を問わない個人を単位としたものです。 働く意志をもった自立した個人によって作られる生計こそ、情報社会の家族つまり単家族です。 もちろん何組かの単家族が、同居することもあります。 それは、個人が愛情や思いやりだけで集まった、きわめて精神性の高い集合体です。 核家族の時代に大家族もあるように、単家族が家族の単位と なっても、男女が同居する生活形態もあります。 しかし、それは工業社会の核家族とは異なります。 今日、大家族を核家族の二世帯同居と呼ぶように、情報社会における男女の同居は、いわば単家族の二世帯同居です。 明治の初めに四民平等となり、それまで支配者の地位にいた武士の多くは、没落していきました。 同様に、工業社会までは家長として、女性より優位にいた男性にも、もはや何の特権もありません。 すべての人間が平等になったデジタル社会では、家族もその構成員が性別や年齢によって役割を分担することなく、完全に同質の個人となります。 まだ見ぬものは何時も不安を呼びますが、核家族にも馴染んだように、私たちは単家族にも順応できます。 |
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