アナログとデジタルの融合
by  匠 雅音   2000年1月〜12月

JICPAジャーナル(編集:日本公認会計士協会)第一法規出版に連載したものです。


目      次
第1回 焼き物の世界 アナログとは?デジタルとは? 連続か 不連続か
第2回 デジタルの歴史 錬金術が開いた世界 デジタルが近代を開いた
第3回 ハードウェアとソフトウェア コンピューターとは何か コンピューターは電脳か
第4回 0 と1 のデジタルな理解 デジタルな理解 0と1の世界
第5回 断続的なデジタル すべては点へ 極限的現実とは
第6回 人工知能 右脳と左脳 思考とは手順か
第7回 デジタルの恩恵 わかったこと 無限量から質へ
第8回 肉体と頭脳 腕力の無化 仕事と余暇的運動
第9回 デジタルな年齢秩序 体験の農業社会 年齢秩序のフラット化
第10回 デジタルな制御 アナログな制御 断絶的連続の成立
第11回 情報社会の家族 アナログ時代の家族 デジタル時代の家族
第12回 互いに補完的な関係 工業社会は首の時代 デジタルを支えるアナログ

第11回   情報社会の家族 

 人類は狩猟採集の時代から始まりました。
長い長い農耕社会を経て、工業社会に入り、デジタルが云々されるようになったのは、本当につい最近です。
デジタルの世界を情報社会とも呼びますが、そこでは人間関係つまり家族のあり方も変わります。


アナログ時代の家族

 農業が主な産業だったアナログ社会とは、人間の労働力が産業のすべての基礎だった時代です。
かつての農耕社会では、人間は一人で暮ら していくことはできず、農業生産の礎である大地にしっかりと足をおろし、○○家という群として生活してきました。
男性も女性も、もちろん子供も老人も、すべての人間が自分の力に応じて、田や畑で働きました。
この時代の家族は、何人もが同居する大家族になり、大家族は生産の場になっていました。


 農業が主な産業だった時代の終盤を、封建社会とも呼びます。
ここでは個人というものは存在せず、家長とか家長の妻といった、立場の役割を果たす人間がいただけでした。
封建時代は女性が虐げられて、家長たる男性が威張っていただとか、庶民には楽しいことはなく、武士だけが美味しい生活を していたと言われます。
しかし、封建時代には義務教育もなく、医療も発達しておらず、天気を知らせる放送局もありません。
生まれた子供の五人に一人は、一歳の誕生日を迎え得ず、また成人に達した者は三人に一人でした。


 生きることが厳しかったアナログ時代を私たちは忘れがちですが、自分の肉体しか頼れない社会というのは、それはそれは厳しいものです。
厳しい時代を生きるために、人間は大家族という仕組みを作り、男性家長のもとで何とか生き抜いてきました。
アナログ社会は男尊女卑だったといわれますが、人間の肉体的な力しか頼るものがない社会では、腕力に秀でた男性を優位と認めることによって、女性も厳しい世の中を生きぬいてきたわけです。


デジタル時代の家族

 農耕社会→工業社会→情報社会と、産業構造が変わるにつれ、家族もその形を変えます。
近代の工業社会では、男性が家の外で働き、女性が家の内の仕事をする対なる男女の核家族がうまれ、男女の役割分担が明確になります。
そして何より、土地との結びつきを失った核家族は、生産の場ではなくなりました。
消費に特化した核家族では、一対の男女とその子供だけが、一軒の家に住んでいます。


 肉体労働の有効性を払拭しきれなかった工業社会では、工場や会社といった生活の糧を得る場が、男性にのみ開かれていました。
非力な女性や子供には、低賃金労働の場しか与えられず、自分の稼ぎでは自活できませんでした。
情報社会を迎えて、仕事をするうえで肉体的な腕力が不要になってきました。
情報社会の労働は、頭を使った頭脳労働が主です。
頭脳の優劣に男女差や年齢差はありません。
女性でも男性以上に優秀な労働力となり得ます。
いまや女性は頭脳労働によって自活できます。
もはや屈強な男性が、非力な女性を養う必然性はなくなりました。


 デジタル社会に入るここで、核家族は維持される必然性を失い、分裂の時を迎えています。
大家族が工業社会化によって核家族に分裂したように、核家族は情報社会化によって再度分裂し、より小さな単位になります。
私はそれを<単家族>と呼びますが、情報社会の家族は、養う養われるという関係が消滅した、性別を問わない個人を単位としたものです。


 働く意志をもった自立した個人によって作られる生計こそ、情報社会の家族つまり単家族です。
もちろん何組かの単家族が、同居することもあります。
それは、個人が愛情や思いやりだけで集まった、きわめて精神性の高い集合体です。
核家族の時代に大家族もあるように、単家族が家族の単位と なっても、男女が同居する生活形態もあります。
しかし、それは工業社会の核家族とは異なります。
今日、大家族を核家族の二世帯同居と呼ぶように、情報社会における男女の同居は、いわば単家族の二世帯同居です。

 明治の初めに四民平等となり、それまで支配者の地位にいた武士の多くは、没落していきました。
同様に、工業社会までは家長として、女性より優位にいた男性にも、もはや何の特権もありません。
すべての人間が平等になったデジタル社会では、家族もその構成員が性別や年齢によって役割を分担することなく、完全に同質の個人となります。
まだ見ぬものは何時も不安を呼びますが、核家族にも馴染んだように、私たちは単家族にも順応できます。

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