アナログとデジタルの融合
by  匠 雅音   2000年1月〜12月

JICPAジャーナル(編集:日本公認会計士協会)第一法規出版に連載したものです。


目      次
第1回 焼き物の世界 アナログとは?デジタルとは? 連続か 不連続か
第2回 デジタルの歴史 錬金術が開いた世界 デジタルが近代を開いた
第3回 ハードウェアとソフトウェア コンピューターとは何か コンピューターは電脳か
第4回 0 と1 のデジタルな理解 デジタルな理解 0と1の世界
第5回 断続的なデジタル すべては点へ 極限的現実とは
第6回 人工知能 右脳と左脳 思考とは手順か
第7回 デジタルの恩恵 わかったこと 無限量から質へ
第8回 肉体と頭脳 腕力の無化 仕事と余暇的運動
第9回 デジタルな年齢秩序 体験の農業社会 年齢秩序のフラット化
第10回 デジタルな制御 アナログな制御 断絶的連続の成立
第11回 情報社会の家族 アナログ時代の家族 デジタル時代の家族
第12回 互いに補完的な関係 工業社会は首の時代 デジタルを支えるアナログ

第4回   0と1のデジタルな理解 

 デジタルとは数字という意味でした。
それが人間のカンの代打になり、いまやコンピューターの電子回路のなかを断続的に流れる電流、つまりデジタルな信号が計算・判断・記憶をおこないます。

デジタルな理解

 人間の眼は、精巧なカメラです。
私たちは目玉に写った花を、色香からその姿までたちまち感得し、無意識のうちに花だと知ります。
では生まれつき眼の見えない人が、突然に見えるようになったら、花が花として見えるのでしょうか。
残念ながら花は見えず、霧がかかったような乳白色の風景が、広がるだけだといいます。

 腕を切断してしまった人は、失った腕にも感覚が残っており、今ではないはずの指先にも痛さを感じるといいます。
眼で見、手で触って感じているようでありながら、実はそれを認識し、理解しているのは脳です。
脳のなかを走り回る信号が、花を花たらしめ、刺激を痛さとして感じさせています。
しかし、目玉や指先から脳へと走る信号を、体感することはできません。
無意識のうちに花を花だと知り、刺激を痛いと感じています。


 自覚できない信号を想像してみれば、形や色など無数の情報を瞬時に脳に送り、脳に蓄積されたデーターベースと瞬時に照合し、これは花 だと判断しているに違いありません。
それがあまりにも早いので、すべてが一度になされたように感じ、認知の過程は自覚できません。
しかし、形や色などの認識・伝達・照合を一コマずつやっても、時間はかかるでしょうが、花だと認知する結果は同じでしょう。

 アメリカで英語を学んでいると、アメリカが好きかという質問を、しばしば受けます。
好きなところもあるし、嫌いなところもあって、簡 単には答えられずに躊躇していると、次のように言われます。
まず、YesかNoを決めよ、そしてBut〜と続けるのだ。
But〜と言って心残りなら、また 次にYesかNoかを言えばいいのだと。
大きな問題を考えるときでも、英語ではまずYesかNoを決め、次々に細分化したYesかNoを決ていきます。
そ して判断に迷ったら、途中もしくは最初まで戻って、YesかNoかを考え直す。
YesかNoかとは、0か1のどちらかです。
これはコンピューターの回路内 と、よく似ています。

0と1の世界

 コンピューターのする計算・判断・記憶は、電子回路のなかを流れる電流によってなされます。
電流が流れるのをONとし、流れないのをOFFとすれば、回路のなかはONかOFF、どちらかの状態しかありません。
二つの選択肢しかないのですから、一方を 0 とし他方を 1 とすれば、電流の状態 は 0 と 1 のどちらかです。
ですから電流は、二つのデジタルで制御できます。
0 と 1 だけの組み合わせで、電子回路に指令をだしてやれば、コンピューターは動きます。
つまり、機械言語と呼ばれる 0 と 1 の並びだけで、コンピューターは意味をもった世界を語ります。


 私たちは花を瞬時に花と知ってしまうので、花という言葉の理解には、花というモノが不可欠だ、と思っていました。
しかし、花という言葉は花というモノがなくても、理解することは可能です。
脳のなかの花という概念が、花を花たらしめる。
つまり花を理解するには、花という概念があればよ く、花というモノは不要です。
言葉はモノの支えがなくても言葉であることが、デジタルによって明らかになってきました。
0 と 1 のデジタルな列を読めれば、 コンピューターは花を花と知ります。
それが色香ある花という生の現実と、0 と 1 で表されるコンピューター言語の関係です。


 0 と 1 のデジタルな世界は、理屈や論理をあつかうのは得意です。
しかし、情緒と呼ばれるように流動的で、不定形な世界は不得手です。
そしてコンピューターには、閃きといった発想の飛躍もありません。
それはデジタルの世界が、 0 と 1 という断続したものだから、茫洋と連続した世界を表すのが難しいのでしょう。
デジタルな思考が人間の代打になるのは、まだまだ完全ではなく、直感とか閃きそして禅的な悟りには遠く及びません。

第5回 断続的なデジタルへ進む