9.子供の認知と母性愛 その1 すべての社会に子供がいる。 子供は男女のいとなみにより、女性が妊娠して女性から生まれる。 子供は大人になって、次の時代をつくる。 これは人間社会に普遍的な事実である。 だからどんな社会でも、子供なる存在と子供という概念は同じだと見なしやすい。 そして、いかなる女性も生んだ子供に愛情を注ぐと決め、社会が子供を見る目は、地球上のどんな社会でも同じだと考えがちである。 妊娠・出産を司る女性には、子供への愛情つまり母性愛が本能として組み込まれている、という人さえいる。 新たな社会を洞察するために、伝統的社会をもう一度ここで振り返ってみよう。 伝統的社会の人たちは、日々の必要を満たすために働いていたのであって、より多くの賃金を稼ぐために働いていたのではない。 土地という限界が、生産の欲望を制限していたので、彼らはつつましく暮らしていた。 子供の誕生が農事暦に従っていたそこでは、子供に対する意識も現代とはずいぶんと違っていた。 フィリップ・アリエスの「<子供>の誕生」によれば、西ヨーロッパの伝統的な社会においては、子供なる存在は認識されていなかったという*49。 生まれたばかりの幼児は、神の意志で生まれ神の意志で死んでいくもので、まだ人間となっていない生き物だった。 だから幼児は、大人と同質の同情や哀れみをかける対象とは考えられていなかった。 今日いう子供なる概念はなかったのである。 伝統的社会には学校がなかったので、働くことを猶予された学童期が存在しなかった。 幼児期をすぎた子供は、小さな大人に過ぎない。 そのため、親からの養育期をすぎると、ただちに大人に混じって労働の渦中へと投入された。 伝統的社会では、子供は愛情を注ぐ対象ではなく、まず何よりも労働力として見られていた。 エドワード・ショーターも次のようにいって、アリエスの論を追認する。 「母親が幼児の養育に心を砕くようになったのは、近代になってからのことである。伝統的社会では、母親は、二歳以下の幼児の成長や幸福には無関心であった」*50 出産という生理的な行為と、生まれた子供への精神活動は、一義的に決定されるものではない。 子供に無関心な男性=父親がいるように、生まれた子供を放置しておく女性=母親はいくらでもいた。 自分の生活つまり個体維持に子供が障害となれば、母という女性にかぎらず子供を歓迎しないのは当然である。 伝統的な社会においては、子供を産んだ女性の主なる仕事は子育てではない。 女性の主なる仕事は、あくまで個体維持つまり自分たちの生活維持だった。 非力な女性にとっても男性と同様に、種族保存より個体維持のほうが優先した。 自分たちの生活を維持するかたわら、子育てが行われたに過ぎない。 西ヨーロッパに限らず、わが国でもそれは同じである。 わが国では江戸時代までを伝統的社会と呼ぶが、この時代まで女性は母として生きるのを優先したのではなく、男性よりも下位ながら個体維持を担う人間として生きた。 だから、生活をある水準に保つため、子やらい=間引きがおこなわれた。 大人たちの生活上の都合によって、生まれた幼児は間引かれ、適切な人数へと人口調整が行われた。 母の承認のもとで、生まれたばかりの子供が殺された。 江戸時代の人口は、三千万人を超えることはなく、200年間にわたり増えもしなかったし減りもしなかった。 避妊や人工妊娠中絶が未発達だった時代に、人口が増えも減りもしないのは、乳幼児死亡率の高さからでは説明できない。 生きている大人たちが、自分たちの生活を優先して、人為的な調節をした。 間引きはその性質からして、記録が残りにくいものである。 しかし、間引きが習慣的に広くおこなわれていたことは、さまざまな調査や研究によって確認されている*51。 土地を労働対象とする伝統的社会では、そこに生活が可能な人数には限りがある。 人間は質素に生活し、つまり習慣としてきた生活を続ける他はない。 生まれた子供への愛おしさより、自分たちの生活が優先するのは、きわめて自然の成りゆきだった。 どんな伝統的社会でも、種族保存より個体維持が優先した。 伝統的社会では避妊や人工授精が存在せず、子供の誕生に人間の意志が介入する余地はなかった。 男性や女性の精神活動の結果として、子供は生まれたのではなかった。 子供は神に授かるものであり、人智をこえて生まれるものだった。 女性は妊娠を望んでも、男性の肉体と神の意志が働かなければ、妊娠はできなかった。 子供は神によって女性の体内に宿り、神によってこの世へと生かされるものだった。 子供の誕生は女性の意志を超えたものだったので、女性は子供を自己の存在証明とはできなかった。 と同時に、女性も個体維持を担っていたから、子供を自己の存在証明とする必要もなかった。 |