母殺しの思想−フェミニズム誕生の意味するもの
    匠 雅音著 2001.8.20
目  次
1. はじめに 7.ウーマニズムな女性運動
2.農耕社会から工業社会へ 8.フェミニズムの誕生
3.神とその代理人たる父の死 9.子供の認知と母性愛
4.新たな論理の獲得 10.母殺しの意味するもの
5.機械文明の誕生 11.おわりに
6.電脳的機械文明の誕生  
                 
6.電脳的機械文明の誕生

 論理=科学する精神活動が時代を支えた。
そして、工業社会を生み出した神への反逆は、肉体のみならず頭脳の代替物をも作り出した。
論理的思考を担当するのが頭脳だとすれば、自分という人間はなぜ存在するのかの問いが、頭脳の代替物を生み出すのは自然の流れである。

 肉体の代替として機械を作った男性たちが、論理的思考をになう頭脳の代替物を作らないはずがない。
第二次世界大戦後になって生まれた頭脳の代替物、それは電脳つまりコンピュータだった*34

 電脳なるコンピュータは、工業社会の機械文明と結びつき、電脳的機械文明を生み出した。
電脳は暴力的だった機械文明を、華麗に変身させた。
電脳的機械文明は、騒音も出さず油まみれにもならない。
わずかな埃をも許容しないほど清潔に、素早く生産を開始した。
電脳的機械文明の別名を情報社会というが、それは工業社会の機械文明より一層生産性を向上させ始めた。

 電脳的機械文明は繊細で優美でありながら、しかも人間の肉体労働を不要にした。
初期工業社会の機械文明は、屈強な男性の肉体の代役にしかすぎなかった*35

 しかし、電脳的機械文明は人間の知能に類したものを内蔵し、機械自らが人間に代わって働いた。
機械は力の代替であり、優れた肉体の代替でありながら、人間の肉体を不要にした。
ここでは肉体が屈強であるか否かは問題にならない。

 工業社会の機械が変身した。
農耕社会における過酷だった肉体労働の代替だったことを、機械は電脳によって越えた。
電脳は馬力のある機械をあやつり、速やかな生産を始めた。
電脳的機械は、女性の細指でもたやすく操作できる。
そのため電脳的機械は、農業や工業生産においては不可欠だった人間の屈強な肉体を不要にした。
電脳工場には、大勢の人間がならんで働く姿はない。

 電脳的機械文明では、ただ頭脳の働きが、優れているかどうかだけが評価の対象である。
複雑な論理を理解し、それをいかに操れるかのみが問われる。
論理によって、新たな機械を創ることに意味がある。
社会における競争は、肉体の勝負ではなく、知力の勝負となったのである。

 肉体労働が社会の主流であれば、体力差のある男女に同じ働きを期待することはできない。
しかし、働くことに、腕力といった意味での体力は不要になった。
いまや仕事のうえで、知力だけが求められる。
男女に知力の差はない。
だから、男女に同じ労働を求めることが可能になり、雇用機会均等法が制定できるようになった。

 工業社会では、性別による役割分担がしかれ、男性は種族保存から離れ、もっぱら個体維持を担っていた。
生産労働に参加する女性は、今や個体維持を担う男性と同じ立場になった。
個体維持において、女性は男性に引けを取らなくなった*36

 だから女性は、種族保存に自己の存在を担保しなくてもすむようになった。
今や男女がまったく同じである。
男性と同様に個体維持さえすれば、女性は種族保存つまり子供を産まなくてもいい、と社会が女性にいい始めた。
出生率の低下となって表れた。

 論理は相変わらず自然環境の解読を続けながら、その論理が自然や環境を解読すればするほど、人間の生活は神から離れ、自然の摂理から限りなく遠ざかり始めた。
生産性を上げるために、夜でも照明をこうこうと照らして植物を育てたり、動物を育成するようになった。

 神が創った生物の遺伝子を組み替えたり、自然界に存在しないものを生みだすようになった。
昼夜が反転した生活をする人は多くなったし、世界を駆け回って時差に悩む人もでてきた。
そして、日々神に祈る人は少なくなった。

 今や観念が現実を支配する。
思考の成果物が、豊かな社会を実現してきた。
コンピュータは観念の塊である。
機械言語は、現実に根拠がない。
しかし、充分に意味を語る。
労働の対象が物だった工業時代、思考は労働の対象であるところの、硬くて重さがある物の性質に規定された。

 物は手で触ることができる。
物を製造することは、手応えのある世界にいることだった。
知識とは重さもなく、無形で無色透明である。
知識を労働の対象にすることは、手応えのない世界にはいることを意味する。

 男性の生み出した論理は、男性が男性である所以だった肉体的な屈強さを無価値にした。
電脳的機械文明は99%の男性を不要にした。
1700年代から1800年代つまり近代に入ってから、男性性は肉体的頑健さプラス論理的思考となっていた。

 情報社会の入り口に立った今、論理的な思考だけが大切で意味あるものとして残された。
生産労働に肉体的な頑健さは不要になった。
知識の生産のほうが、高給をかせぐようになった。
ここで女性の肉体的な非力さが、社会的活動つまり生産労働のうえで劣性ではなくなったのである。

 近代的な学校教育が普及したことによって、人口のほぼ100%が識字力と演算力を体得した。
機械文明に支えられた近代的な社会が実現された後になって、電脳的機械文明が実現されつつある。
21世紀、そこでは非力な女性でも論理を体得して、頭脳さえ優れていれば、男性と同等以上の働きができる。

 男女の頭脳には優劣がないから、男女はまったく同じ地平にたつことになった。
体力の劣性から、伝統的社会では女性は下位におかれた。
体力の劣性と論理の未体得によって、近代社会において女性は家内労働や種族保存に専従させられた。

 女性は母として賛美されはしたが、女性個人としては社会的劣位におかれ続けた。
しかし、電脳的機械文明つまり情報社会では、男性と同じように個体維持の主役になれる。
つまり女性も、男性と並んで生活を維持するための生産労働に参画できるようになった。

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