7.ウーマニズムな女性運動 長い人類の歴史の中では、男性だけが働いてきたのではない。 女性は田や畑で男性に交じって働き、しかも家の中でも働いてきた。 労働時間だけを比較すれば、男性より女性のほうが長く働いている*37。 しかし伝統的な社会では、個体維持に屈強な肉体が不可欠だったので、男性一般が上位価値とされてしまった。 個人的には有能な女性であっても、社会的には男性の後塵を拝さざるを得なかった。 男性が論理に目覚めた機械文明の近代へ入っても、肉体的な腕力が不可欠であったので、女性は男性に対して劣位にあることは変わらなかった。 むしろ、近代にはいると男性が論理的思考を体得し、男性の仕事場を飛躍的に増加させた。 それまで女性が行ってきた仕事を、機械が代替するように男性たちは、働く場を作り替えた。 近代文明は、糸紡ぎとか機織りとかといった伝統的な生産労働を、女性からほとんど奪ってしまった。 オリーブ・シュライナーは次のようにいう。 「近代文明は女性から伝統的な仕事をほとんど奪ってしまった。社会は男性には怠惰になることを許さないが、女性には『性的寄生虫』となることを奨励している」*38 農耕社会では、田や畑で男性と一緒に働いた女性は、男性とともに個体維持をも担っていた。 人力にしか頼れなかった伝統的な社会では、男女ともに過酷な農作業に良く耐えてきた。 囲炉裏におけるカカザという名称が示すように、女性の地位はそれなりに確保されてきた。 非力な体力といえども、生産労働に従事し個体維持をも担ったので、家の中にも女性の地位は明確にあった。 瀬川清子の「若者と娘をめぐる民俗」に従えば、農耕仕事において女性は男性の50から70パーセントの労働成果をだせば、一人前の労働力と見なされた、という*39。 非力な女性も個体維持の担い手であった。 女性の不足分は、種族保存への貢献が補ったことはいうまでもない。 それゆえ伝統的な社会では、女性はけっして種族保存に特化していたわけではない。 女性も生涯にわたって、男性とともに幾分かは小さいながらも、充分に個体維持を担っていた。 工場労働が主流になるに従って、人間は農業から徐々に排除されはじめた。 男性は工場へと働きにでた。 しかし、女性は働く場を探せなくなった。 女性の工場労働はひどい低賃金の別名であり、若いときの一時的なものに過ぎなかった*40。 それでは一生にわたる生活費はもちろん、他の人間を養うほどの賃金は稼げなかった。 近代の工業社会は、女性が一人前に働く場を奪った。 農業から排除されると、若年以外の女性には働く場所はなかった。 田や畑における生産労働という仕事を失った女性は、生きる場所を家庭へと絞り込まれた。 職業から排除された経済力のない女性には、口を糊するために結婚が強制された。 賃金労働に従事する男性と、無職の妻という組み合わせが誕生した。 近代のはじめには、家庭内にも山のように家事仕事があったので、女性は家事仕事に励んだ。 家事仕事を消化することが、女性の存在証明を確保するかに思えた。 しかし、家事労働は生産労働ではない。 家事労働は賃金をうまない。 女性は男性の稼いでくる賃金に頼る以外に、自分の生活の方法がなくなった。 結婚によって家庭へ送り込まれた女性は、個体維持からその役割を外された。 女性は個体維持において、直接性を失った。 工業社会の家庭は、仕事場と離れており、子供以外には何も生産していない。 近代の家族は消費に特化している。 同じ家族だと勘違いされるが、生産組織だった伝統的社会の家族と、近代の家族は異質なものである。 伝統的社会の家族は、子供や老人も個体維持のために働いている。 各人の力量に応じて、その全員が個体維持に携わっていた。 しかし、近代の家族では、女性の役割は種族保存に特化させられた。 個体維持の場を失った女性は母になることを強制され、生んだ子供によって自己の存在を証明せざるを得なくなった。 近代という工業社会は女性をして、専業主婦という個体維持にかかわらない存在をうみだした。 生産労働からはなれた専業主婦は、夫の補助者でしかない。 近代の工業社会は、女性を男性の性的寄生虫になるよう促し始めた。 伝統的社会の生産労働から追い立てられた女性は、自らもまた賃金労働者の妻となって、核家族へと入らざるをえなかった。 工業社会という時代が強いたのである。 男女の役割は質的に異なり、両者は画然と区別された。 性別による男女役割の強調である。 母性や女らしさの強調といった女性の生理になぞらえた主張、つまり人間の自然的な属性への依拠は、女性に関する限り近代になってからのほうが強い。 水田珠枝は女性史研究のなかで次のようにいう。 「市民階級が未成熟であった時期には、この階級の女性は、夫とともに経営に参加し、相応の発言権をもつ場合もあったのだが、…この階級が政治的にも経済的にも飛躍的に成長すると、女性の地位は向上するどころか、反対に女性たちは社会的活動から排除されていった」*41 19世紀的な機械文明の段階でも、ジェシー・ブシェット*42やスーザン・アンソニー*43のように男性に互して、社会的な活動を指向した女性もいた。 歴史をひもとけば、西洋でもわが国でもそうした女性を簡単に見つけることができる。 女性運動はいつの時代にもあった、といったほうがむしろ適切であろう。 しかし、論理と共に屈強な肉体が支配した工業社会では、女性の社会活動はその果実を収穫できなかった。 電脳的機械文明が開花する前の女性運動は、腕力の劣性をどうしても克服できず、女性は非力な体力という自然の支配から脱皮できなかった。 そのため、この時代の女性運動は、男女が対等だというのではなかった。 女性運動は、太古にあっては女性が優位したと主張し、人類の始まりを、あるかどうか不確かな母権制社会に求めざるをえなかった*44。 仮定のうえでも女性が優位しなければ、女性運動の正当性=正統性を確保できなかったのである。 当時の女性運動は、高名な女性史研究者だった高群逸枝や市川房枝の例が示すように、女性自身の生活が脅かされると、男性の暴力的な戦争賛美へと同化しさえした*45。 電脳文明以前の女性の社会活動は、労働が頑健な肉体に支えられたがゆえに、今日にいうフェミニズムに孵化する条件を持てなかった。 それらは女権拡張運動であり、産む性に基づいたものだった。 女性は弱者であると主張した。 出産時における女性の死亡が多いことも手伝って、女性=母体は保護されるべきだといった。 当時の女性運動は、女性の身体的な特性に基盤を置いたウーマニズムに過ぎなかった。 工業社会の終盤になると、先端的な女性運動はウーマン・リブを生み出した。 ウーマン・リブは観念する女性運動だったが、女性固有の権利なる概念から自由になれなかった。 ウーマン・リブは、女性が産む性であることに拘ってしまった。 その理由は、もちろん機械文明がいまだ主流であり、電脳的機械文明が未発達だったので、体力と論理の劣性を出産で担保せざるを得なかったからである。 |